第10話 遭遇

「はぁ……あれ、いないじゃん……」


 階段をダッシュで上り、息を切らしながら体育館から戻ってきたのは17時35分、いつもなら琴乃はもうとっくに着いているであろうに、そこにその姿はなかった。おかしいな、さっき通知あったはずなのに。そう思ってスマホのロックを開くと、そこには琴乃からのメッセージ。


『ごめん、やることあって少し遅れそう!』


 なんだ、急いで損した。ほっとすると、久しぶりに走ったからか、ふくらはぎがどっと重くなる。こんなことならもう少しゆっくり来れば良かった。まあ、あの通知が来たときはぼーっとしていて、通知の中身を確認するのを忘れていたのが悪いんだけど。

 気が付けば、もうすっかり太陽は落ちていて、真っ白な蛍光灯が昇降口を無機質に照らしていた。私は下駄箱に寄りかかって、琴乃が来るのをぼんやりと待っていた。


 それにしても、琴乃が遅れることはなかなか珍しい。合唱部の練習は指導する先生の都合で終わりの時間がきっちりと決められているって前に言ってたのに。現に、私と琴乃と由貴が一緒に帰るときは、一番先に着いた琴乃がグループにスタンプ爆撃をしてくるのがよくあることだった。だから、逆に私が琴乃を待つというのはなんだか不思議な気持ちだ。

 そういえば、ひとりで人を待つということをしばらくしていなかったかもしれない。待ち合わせをする相手なんて、琴乃と由貴と……あとは家族くらいなものだけど、行動が遅い私はいつも待たせる側だった。待つ側になると、この1人の時間がいつまで続くか分からなくて、少し寂しいんだな、なんて。


『今終わった、すぐ行くね』


 待つこと数分、メッセージと共に、電気が消えて暗くなった廊下からぱたぱたと上履きの足音が聞こえてきた。合唱部の練習が終わったのだろう。私は寄りかかっていた下駄箱から背中を離して、音のする方に歩き出した、その瞬間。


「「……あっ」」


 丁度曲がり角で柱の陰になっていた所から人が飛び出してきて、私はその人の体に軽くどんっとぶつかった。その拍子に手に持っていたスマホが宙を跳ねて床に落ち、廊下に大きな音が響いた。


「スマホ、落としたよ?」

「あ、ごめんなさい、前見てなくて……あっ」


 スマホを拾うために屈んだその相手に、私は見覚えがあった。黒髪のボブヘアに大きく丸い目、私とは比べ物にならない背の高さとスタイルのよさ。


「水瀬……さん?」


 屈んだ姿勢でそのまま私の方を向いたのは、水瀬沙織、一昨日茅原さんに掴み掛かられていたその人だ。

 

「えっ?……あぁ、一昨日の」


 水瀬さんはそう言って少し目を逸らす。私との再会をあまり喜んでない様子だ。


「……その、……」


 かくいう私も言葉につまる。水瀬さんと顔を合わせるのは一昨日が初めてだった。あのときは茅原さんを止めようと必死で、いつの間にかいなくなった水瀬さんと話すことは出来なかった。だから面と向かって話すのは今が初めてだ。

 けれど、何を話していいか分からない。普通なら自己紹介なんかをするべきなんだろうけど、こんな時すらすらと口が回るなら、私は今まで友達作りに困らなかったと思う。なにか話題はないかと、私は頭の中を必死にぐるぐると回した。

 そんな私のあたふたする様子を見てか、先に口を開いたのは水瀬さんの方だった。


「……一昨日、大丈夫だった?」

「えっ?」

「階段から落ちてたけど」

「あ、えーと、私は大丈夫だったんだけど、茅原さんは肩痛めたみたいで」

「……そう」

「ああ、でも、昨日はもう大丈夫って言ってたし、今日は部活にも出てるみたい」

「なら、良かった」

「うん……」


 また、少しの沈黙。前髪をくるくるといじっている水瀬さんと一瞬目が合ってまた逸らされる。私は沈黙の気まずい雰囲気に耐えられず、頭の中に引っかかっていたことを思わず声を出した。


「あの……一昨日は何があったの」

「……何がって?」


 水瀬さんの手が止まる。


「あんまり聞くことじゃないって分かってるけど、あんなに怒ってる茅原さんは初めて見たから、気になって」

「……」


 口が回り出すと、なかなか止まらない。私は水瀬さんの顔を見ないようにして言葉を続けた。

 

「茅原さんを保健室に連れていった時にはもう水瀬さんいなくなってたし、怪我させちゃったのもあって茅原さんにはちょっと聞きづらいんだけど」

「……」

「その……茅原さんと仲直り、できた?」


 そこまで言って私ははっ、と水瀬さんの顔を見た。ちょっと喋りすぎたかもしれない。水瀬さんはアーモンドのような丸い目をさらに真ん丸にして私の方を見つめていた。

 校舎の外で冷たい風が吹く音がした。やがて水瀬さんは無言のままその表情を少し険しくして、私の方に1歩右足を出した。見下ろす冷たい目に私は気圧されて1歩後ずさり。ただそこには下駄箱があって、私の背中がピッタリとついた。


「水瀬……さん?」

「……一昨日のことは忘れて。二度と口に出さないで」


 トーンをひとつ落として、少し低くささやくような水瀬さんの声。背中にぞわりと震えが走って、私は思わず頭を縦に振った。やっぱり背の高い人にこうやって迫られたら逆らえない。見下ろす水瀬さんの目を恐る恐る見つめながら私はそんなことを思った。


「あ、絵美、おまたせ!」


 水瀬さんの体で半分隠れている視界の外から、琴乃の明るい声が聞こえた。同時に、水瀬さんの体がばっと離れる。


「あれ、沙織もいる。絵美、知り合いだったの?」

「え、あぁ、えぇと……」

「スマホ落としたみたいだから拾ってあげた」

「あ……うん、ありがと」

「なんだ、そうなんだ」


 水瀬さんからまだ受け取っていなかったスマホを受け取る。そのとき、さりげなく水瀬さんの手が私の手をぎゅっと握った。分かってるよね。……そう言われているような気がした。


「じゃあ私はこれで」


 そう言って水瀬さんは下駄箱から靴を取り出す。

 

「あ、沙織、今日はありがとね」

「うん、まあ、あれくらいならいつでも」

「じゃあね」

「じゃあまた、琴乃さん」


 靴を履き替えた水瀬さんはこちらに振り向く。


「絵美さんも、またね」


 そう言うと水瀬さんは外へ駆け出していった。残されたのは私と琴乃のふたり。


「遅れてごめんね、私たちも帰ろっか」


 琴乃は申し訳なさそうにしてそう言いながら靴を履き替えた。


 


 校舎の外に出ると、もうすっかりと太陽は落ちてしまって、電灯の白い光が銀杏の匂いのする坂を照らしている。今日は北からの風が強くて、びゅんと吹いた風がブレザーの上から私の体を冷やした。

 

「さむっ」

「手貸してあげるよ、絵美」

 

 そう言って琴乃は私の手を握った。琴乃の手はそんなに温かくはなかったけれど、何もないよりは少しだけましなような気がした。


「合唱部の練習が長引くのって珍しいね」

「あー、練習自体はいつも通りだったんだけど、どうしてもやっておきたいことがあって」

「やりたいこと?」

「ほら、今日でテスト前最後の練習でしょ?今やってる曲の発表ってテスト明けたらもうすぐだから、不安なとこ色々確認したかったんだよね」

「あ、なんか大会出るんだっけ」

「そう、今月末」

「そっか」


 琴乃は高校から合唱を始めた。カラオケがすごく好きだった琴乃は、高校に入ったら合唱部に入りたいと思っていたらしい。部活の時の話をしている琴乃は楽しそうで、私まで嬉しくなってくる。


「そういえば、絵美、さっき沙織と話してたね」

「え、あぁ、うん。……そういえば、水瀬さんも合唱部だっけ」

「そうだよ。あんまり来てなかったんだけど、昨日今日は来てくれてる」

「……そうなんだ」

「沙織、久しぶりに来るのに楽譜見るだけですぐ歌えてさ、それにめちゃくちゃ歌上手いの」

「へぇ」

「私と同じパートなんだけど、沙織がいるだけですごく歌いやすくなったんだよね」

 

 琴乃から水瀬さんの話を聞いたのは久しぶりだ。最初は部活の体験入部が始まった6月で、その時はものすごく歌が上手い友達ができたと嬉しそうに話していたのを覚えている。けれど、その後は水瀬さんは部活に来なくなったと聞いていた。

 その水瀬さんが練習に現れたのは昨日。私はそれが引っ掛かった。やっぱり、一昨日の茅原さんとの一件が関わっているのだろうか。さっき水瀬さんに茅原さんの話をした時のあの反応も気にかかる。二度と口に出さないで、なんて、相当気にしてる証拠だ。


「あのさ、琴乃」

「ん、何?」

「水瀬さんって、茅原さんと仲いいの?」

「え、茅原さんって……杏奈のこと?」

「そう」

「うーん、私は知らないなぁ。何かあったの?」

「え、あぁ、いや、なんでもない」


 不思議そうにこちらを見る琴乃を適当にはぐらかして、私はまた頭をぐるぐると回す。茅原さんとも水瀬さんとも仲がいい琴乃の話だから、2人の仲を知らないというのは本当なんだと思う。じゃあ、2人はどこで出会って、なんであんな喧嘩になったんだろう。

 あぁ、もう。これを考えるには私は水瀬さんのことを知らなさすぎる。同じクラスの茅原さんはともかく、水瀬さんはクラスも違うから、知る機会すらなかなかない。せめて、さっき地雷を踏まずにもうちょっと話していれば、なんて後悔する。


「絵美、どうかしたの?」

「え?」


 不意に琴乃が私の顔を覗き込んできた。


「なんかずっと考えてるみたいだから」

「え、別にそんなことはないと思うけど」

「そう?絵美のことだから、さっき沙織となんかあったんじゃない?」


 ぎくり。心臓からそんな音が聞こえた。こういうときの琴乃は、当たらずも遠からず、妙に鋭いことを言ってくる。

 

「なに、友達になり損ねたとかそんな感じ?」

「あー、まぁ、そんな感じといえばそんな感じかな」

「さっき連絡先交換すればよかったのに」

「そんなこと出来たら、私はもう友達たくさんできてるよ」

「まあ、そうか」

「納得するな、そこで」


 私がツッコむと、琴乃は長い金髪を揺らしてけらけらと笑った。


「また会ったら連絡先聞いてみるよ」

「えー、そんなこと絵美にできるかな。私が仲介してあげようか」

「いや、いいよ。仲良くなれなかったら気まずいし」

「失敗から考えるんだ。絵美らしいね」

「なんか嫌な言い方」

「ふふ、ごめんごめん」

「……失敗と言えば、私今日の部活でさ」


 手をつないで今日の出来事をだべりながらなんはんを下る、いつも通りの帰り道。最近いろいろなことがあったけれど、なんだかんだでこの時間が一番落ち着くな、と私は思った。

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学年一の美少女を階段から突き落としたら、償いとしてひどいことをしてもいい権利を要求される眼鏡女子の話 わびさびぬき @wabi_sabinuki

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