恋願う心は偽りでなく

ゆちば

恋願う心は偽りでなく

「先の魔竜との戦いはとても激しいものでしたが、貴方のおかげで村一つが救われました。感謝します、ジーク」


 白銀色の長い髪をした美しい少女が、斬り傷を負った俺の背中に万能薬を優しく塗布し、包帯をくるくると巻き付ける。

 時折触れる彼女の華奢な指がこそばゆく、俺はむずむずとしながら俯いていた。


「ちゃんと救えてないよ。魔竜の瘴気に侵された土地は元に戻らないって、村の人たち、泣いてただろ」

「すべてを救おうとすることの方が傲慢ですよ。……大丈夫。魔王を倒せば、大地は蘇りますから」


 落ち込んでいた俺を諭すように励ますこの少女は、ルカディア。フラン王国のお姫様で、【白銀の巫女】だ。


 そしてそんな彼女と共にいるこの俺の名は、ジーク。平々凡々な16歳だが、なんと伝説の聖剣を引き抜いた勇者である。

 勇者の俺は伝承に従い、【白銀の巫女】を護衛しながら神殿に宝玉を収めたり、魔物を討伐したりしながら聖剣を研磨し、魔王城を目指している――のだが。


 実は、俺は聖剣を引き抜いていない。

 だから当然、勇者でもない。

 俺の正体はただの盗賊。

 王国の隅のドブみたいな貧民街で生まれ育ったこそ泥だ。

 そして、この聖剣は盗品。

 たまたま盗んだ品の中に聖剣が混ざっていて、質屋に売りに行ったら「これ、聖剣じゃない?」と町中が大騒ぎになってしまい、盗んだことがバレたら厄介だと思った俺が「間違えて売りそうになっちゃいました。危ない危ない」と誤魔化して所有物にしてしまったものである。


――という経緯で聖剣の主になった俺は、あれよあれよという間に王様から呼び出され、救国の勇者に任命されてしまい、【白銀の巫女】であるルカディア姫と共に魔王を倒す危険な旅に出ることになったのだ。


(そう。マジで危険ばっかの旅で、命がいくつあっても足りねぇ……!)


 道中は魔物だらけ。殺意レベルマックスの魔物たちを退け、神殿に入ったとしても魔物だらけ。

 俺には神がかった剣術も特別なスキルもないのだから、もうとにかく一戦一戦が死線。ルカディアの魔法にかなり助けられながら、必死に聖剣を振るっている。

 だが、死ぬ気で戦ってもやはり所詮は盗賊。敵感知能力に長けているため、少しばかり魔物の攻撃を回避しやすかったり、魔物とのエンカウント自体を減らすことはできても、生傷は絶えず、回復薬の消費量が半端ない。まるでヤク漬け患者だ。


 そんな状況で、なぜ俺が聖剣を捨てて逃げ出さないのか。あるいは、本当のことを誰にも打ち明けないのか。

 本来小心者で陰に生きるべき存在の俺が、分不相応にも勇者のままでいる理由――。

 地位、名声、富、愛国心?

 違う。答えはもっと単純だ。


(ルカディア姫が可愛いんだよなぁ〜)


 俺、うっとりにっこり。

 手当てを終えたルカディアと目が合い、思わず頬が緩んでしまう。


 ひとつ年下なのに大人びた雰囲気のあるルカディアは、こぼれ落ちそうなほど大きな翠眼で俺を見つめていた。何を笑っているの? という顔である。

 俺の好意はなかなか伝わらないままにふた月経ってしまったが、きっとチャンスはまだまだあるはずだ。


 この愛らしい姫は、救世の旗印――【白銀の巫女】として国を巡ることが使命らしい。

 いくら国民を鼓舞するためとはいえ、こんなにも危険な旅に兵士の一人も付けずに行かせるなんて、王様は非情すぎやしないかと俺は思う。自分の娘なんだから。


 けれど、ルカディアは文句一つ言わずに俺と旅をしている。

 俺が不甲斐ないせいで怪我も負うし、野宿も当たり前だし、ひもじくて野草だって食べる羽目になっている。普通のお姫様なら初日でギブアップするだろうに。


(普通のお姫様とは一味違うんだ、ルカディアは)


 彼女は困っている人を見かけたら問答無用で助けに行くし、凶悪な魔物を見かけたら杖を片手に魔物退治に挑んでいく。適応能力や溢れる正義感が一国の姫の規格を越えているのである。


(ま、そこがいいんだけどさ)


「ジーク、貴方はしばらく休んでいてください。私は魔竜の死体を解体してきます」


 手当ても済んだし、今夜の宿を探そうかなと考え始めていた俺の耳に、とんでもないセリフが飛び込んできた。

 マジか。このお姫様、マジで言ってんのかと、俺はギョッとしてしまう。


「おいおい。戦闘が終わったばっかで、ルカディアも疲れてんだろ? あの馬鹿でかい魔竜を解体って、正気かよ」

「魔竜は刻んでから聖火で燃やさなければ、瘴気を流し続けます。これ以上、大地を穢させるわけにはいきませんから」


 真面目な顔でたいそうなクッキング予告をするものだ。魔力も底をついている上に、自分だって怪我だらけのくせに。

 この正義感と慈愛と度胸は、どんな教育を受けたら身に付くのだろうか。自分のためにだけ生きてきた盗賊の俺には、これっぽっちも想像できない。


(生きづらくねぇのかな。善意ばっかりで動いても、まともな見返りなんてないのにさ)


 やれやれ。世話の焼けるお姫様だなと、俺は背中の痛みを堪えて立ち上がる。聖剣は完全に杖になってしまっているが、仕方がない。


「俺なんかでも、手伝えることあるだろ? 二人でやろうぜ。魔竜の解体」


 俺の言葉にルカディアの翠眼が分かりやすく輝く。

 あぁ、この笑顔に弱いんだよなと、俺は照れを隠してまた俯いた。


「ありがとう、ジーク。」


 ルカディアの改まった礼がキリキリと胸を衝く。


 俺は、君を騙しているのに。

 俺は勇者じゃなくてただの盗賊なのに。

 俺が嘘つきだってバレたら、君の国民守りたいものを守る手伝いができなくなるのかな。

 これまでと同じように、君が俺に笑顔を向けてくれることはなくなるのかな。


 俺は勇気がない自分を呪いながら、こっそりと神様に祈った。


(神様。もう少しだけ、俺を勇者のままでいさせてください。ルカディアのことが好きって気持ちだけは『本物』だから)




 ◇ ◇ ◇


「先の魔竜との戦いはとても激しいものでしたが、貴方のおかげで村一つが救われました。感謝します、ジーク」


 私は斬り傷を負った青年――ジークの背中に万能薬を塗布し、包帯をくるくると巻き付けながら言った。

 今回も酷い傷だ。すでに傷だらけの彼の背中に新たに加わったその傷は、魔竜との戦闘が如何なるものであったかを生々しくもの語っている。

 あぁ、治癒術が使えれば……と、私は今日も自分を呪わずにはいられない。


 けれど、ジークは自分の勝利を誇ることなく肩を落として俯いて、「ちゃんと救えてないよ。魔竜の瘴気に侵された土地は元に戻らないって、村の人たち、泣いてただろ」と落ち込んだ声を出す。

 辛勝だったが、村人から死傷者は出なかったというのに、彼はどこまでも優しい。


「すべてを救おうとすることの方が傲慢ですよ。……大丈夫。魔王を倒せば、大地は蘇りますから」


 私はそう諭すように言いながら、「何が傲慢だ」と胸のうちで己を罵った。


 私は気がついていた。

 彼がたまたま聖剣を手に入れただけの青年であり、選ばれし勇者ではないことを。

 伝承では、勇者の手にある聖剣は眩い光を宿すという。けれど、城で初めて彼に会った時、聖剣は鈍い色をしていたのだ。

 それなのに陛下はジークを勇者に仕立て上げ、私を【白銀の巫女】として彼と共に旅立たせた。

 彼に「自分は聖剣を引き抜いていない」と正直に語る隙など、与えずに。

 偽りの希望だとしても、我が国には必要なものだと言って。


(騙してごめんなさい。ジーク)


 私の胸は切り裂かれるような常に痛みを帯びている。きっとすべてが終わるまで、この痛みが消えることはないだろう。


 本当の勇者ではないのに命懸けで戦う運命となってしまったジーク。

 戦う術こそ知っていたようだが、突き抜けた剣術やスキルを持たない彼は、一戦一戦が最期であるかのような気迫で戦っていた。

 私はそんな彼をどうしても守りたくて、いつも魔力が枯れるまで魔法でサポートをしていたけれど――。


「ジーク、貴方はしばらく休んでいてください。私は魔竜の死体を解体してきます」


 胸の痛みに耐えきれず、魔物の後処理に立ち上がった私をジークはギョッとした表情で見つめている。

 だが、私には休んでいる資格などない。私が魔竜の解体をしなければ、大地はさらに瘴気で穢れ、人々を苦しめてしまう。ジークもさらに気に病むだろう。


(だから、これくらいのことはさせて……)


 私にできることなんて、ほんのわずかしかないのだから。


 だって、私は【白銀の巫女】ではないのだから。

 娘可愛さに陛下が用意した影武者に過ぎないのだから。

 ただ、髪色がルカディア姫と同じだというだけで連れて来られた小娘なのだから。

 だから――。


(騙してごめんなさい)


 本物の【白銀の巫女】ならば、その身に宿した聖なる魔力で穢れた大地をすぐに浄化できるのに。

 本物のルカディア姫ならば、治癒術で貴方の傷を癒すことができるのに。


 ジークのように私も『本物』になりたい……。

 泣き出しそうになるのを堪えて魔竜の方へと足を向けた私の視界に、「よいしょっ」と立ち上がったジークが映る。


「俺なんかでも、手伝えることあるだろ? 二人でやろうぜ。魔竜の解体」


 ジークはよく、「俺なんか」と自らを卑下するような物言いをする。

 きっと彼の胸の奥底には、本物の勇者ではないという負い目があるに違いない。


(けれど、貴方は他の誰よりも優しくて強い。私はそれを分かっている。貴方こそが、我が国の勇者)


 私は、ジークが杖にして立ち上がった聖剣の輝きに目を細める。

 聖剣に認められ、国民から慕われるジークを誰が勇者でないと言うだろうか。

 彼の不器用な優しさとたゆまぬ努力から生まれる勇敢さを、私は心の底から羨ましく尊く思う。

 そして、愛おしく思う。


「ありがとう、ジーク。」


 彼から向けられる優しさが嬉しくて、私の顔は自然と笑顔になった。


 私は、貴方を騙しているのに。

 私は【白銀の巫女】でもルカディア姫でもないのに。

 私が影武者だとバレたら、貴方のそばにはいられなくなるのだろうか。

 これまでと同じように、貴方が私に温かい眼差しを向けてくれることはなくなるのだろうか。


 私は勇気がない自分を呪いながら、こっそりと神様に祈った。


(神様。もう少しだけ、私をルカディアのままでいさせてください。ジークのことが好きって気持ちだけは『本物』だから)




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