写真と思い

小西オサム

写真と思い

 私がこの高校で写真部に入った訳は誰かに言えない。だから入学前の下見で訪れた文化祭で出会った、見時先輩の写真に憧れたからですと答えることにしている。当の本人はそれを聞くと何度でも照れるからもっと褒めてみたくなる。それに調子に乗ると放課後の部活帰りにおごってくれる。


 それが目当てと指摘されると否定できないけれど、見時先輩の写真に引きつけられてしまう私だってちゃんといる。見時先輩の写真は多彩で、伝えたい言葉がはっきりと分かる。それにその言葉たちは三大欲求を超えた純情が詰まっている。見ているだけで、まるで私にもその感情があるように思えてくる。


 私は手軽に撮れたらそれで十分だと考えてしまいがちだから、一枚の写真のために全力を出し切ろうとする見時先輩たちを知って、不思議な人たちもいるなとなんだか驚いてしまった。写真のためにお金も時間も存分に使おうとする人は家族にいないから、それを知らない入部したての頃はまぁ適当に参加してもいいかなと気楽に取り組むつもりだった。


 だから最初、私はお金がないことを盾にして専用のカメラを買うことを拒否していた。それで部長はなんで入ったんだよと苦い顔をしていた。お金がないのは事実だし、あったら私立のかわいい制服の高校に入学したかった。それもあって、携帯端末でなんとかしようとしていた当初の私は孤立しかけていた。


 そんな私を救ってくれたのは見時先輩だった。見時先輩は写真部にいるからにはそれじゃだめだよと、放課後一人で帰っていた私を呼び止めて、以前使っていたというカメラとその充電用コードを譲ってくれた。見時先輩は過去に撮った写真を私が見てしまえることを忘れていたのか、何も削除していなかった。


 私は家に帰ってからさっそく慣れないカメラをいじってみて、見時先輩の写真も一緒にもらえたことを知った。そこには見時先輩の人生のほんの少しが隠されていた。私はカメラを食い入るように見て、そこにある写真に一つずつ見時先輩が込めた言葉を予想して当てはめていった。


 私はこの先輩のような写真を撮れるようになりたいと思った。それで次の登校日、他の部員に見時からもらったのかといじられた私は、見時先輩に感謝してから、続けて、いつか見時先輩みたいな写真をこのカメラで撮ってみたいですと打ち明けた。周りが見時先輩をはやし立てたりして、ちょっと気恥ずかしそうな見時先輩が記憶から消えなくなった。


 それから私は見時先輩からのカメラを持って一人でも散歩のついでに情景を追いかけるようになった。部内でも野外活動はしていたけれど、それだけでは物足りなかった。なにより見時先輩のカメラを使えることが私の喜びをどんどん増やしていって、もっと誰かに伝わるような一枚にしてみたくなってしょうがなかった。


 その気持ちだけが先走っているだけで、夏を越えても見時先輩のような写真にはならなかった。私は才能がないのかもしれないと思い始めた。そのことは見時先輩には会っても相談できず、言いたくもない話で無理に笑ったり、やっぱり先輩はすごいですよと絶賛してみたりするばかりだった。


 夕暮れのある日、私はあまり気乗りしない心のまま外へ出る。まだ夜になっていないのに虫が通りの隅のどこかで鳴いている。まるで言葉ばかりが衝いて出てしまう私のようだった。もう私はカメラを構える気すらなくなりかけてしまっている。


 学校で見時先輩にこの悩みを話してみようかなと思い立っても、すぐにくじけてしまう。先輩はお金がなくて用意できない私にカメラを譲ってくれた人で、その人に私には才能がないと伝えることは、かなり失礼なのではと疑問がよぎるからだった。それでもこの悩みを真剣に聞いてくれそうな人は見時先輩だけだ。


 私は立ち止まり、カメラは首に引っかけたまま、夕焼けの空を見渡してみる。雲が仲間を引き連れて空を進んでいき、それらを淡い赤の光が照らし出す。川面にも光は揺らぎ、私には見向きもせずに一緒に穏やかに夜の訪れを讃えていて、私はこの景色をくり抜いたところで言葉として現れてこないと落ち込む。


 特に考えもせず、とりあえず私は川べりを歩くことにする。重さなど感じていなかったはずのカメラが、今は存在を激しく主張していて、投げやりにカメラを川と空に向けて写真にしてみると、ありふれた光景がカメラの中にあって、私はカメラから馬鹿にされているように思えてしまう。


 それからもう今日の撮影は諦めて進んでいくと、焦点を夕焼け空に合わせて無我夢中でカメラを覗き込んでいる人がいた。私の視線など目もくれないその姿をつい見てしまう。私はその人の制服が私の通う高校のものだと気づいた。横顔を遠巻きにちょっと眺めると、それは見時先輩だった。


 「見時先輩。どうしたんですか」


 「ちょっとだけ待って。日没前に納得のいく写真にしたいから」


 どうやら私と気づいたみたいで、それでも見時先輩は相変わらずだ。私は先輩が納得するまで待ってみる。先輩はカメラの位置や角度を微調整したりしながら、瞬間を追い求めている。ようやく先輩は撮り終えて、もう終わったよと私に満足そうな表情をする。それからカメラ持ってきているんだと私の貰い物のカメラに視線を送った。


 「見時先輩。どうしてここにいるんですか」


 「友達がこの川からの夕空がいいって話すから、つい寄り道しちゃって、ここまで来たんだよね。そうだ。まだ日暮れではないし、そのカメラでこの景色、撮ってみたら」


 見時先輩と目が合って、私は心を決めた。先輩に今、入部するきっかけになったこの思いを告げて、それでもし断られたらきっぱり撮影をやめて、このカメラも捨ててしまおう。先輩がいいよと答えたら、部活動以外で一緒にあちこち撮りに行って、いつか先輩に追いついてみたい。先輩はどう私に返してくるだろう。


 「先輩」


 「なんか悩みとかあったりするか」


 「えっ」


 「いや。前は追いつきたいって言って部活動中に立ち止まっては撮影していたのに、今日はしていないから」


 「あっ、あの。じゃあ、どうしたら先輩みたいに写真から言葉が浮かんできますか」


 「それは、感覚でやっているからあんまりまともな回答にならない気がするけど、今までの連写みたいな撮り方をやめて、何か強く念じながら一枚だけ撮ってみたらどうだろ」


 私があんまり受け入れられないという顔をしていると、見時先輩は、少なくともこの先輩にはその言葉が伝わると信じていいってと私を安心させようとしてくれる。本当ですかと私が念押しすると、先輩は、信じてそのカメラを使い続ければいいだけだよと言い切ってくれる。


 私はそれを聞いて、入学前に行った文化祭で、写真への愛を落ち着いた声量で力を込めて語る先輩の姿を思い出す。そのあとに私が見時さんの写真はどれですかと尋ねて見せてもらった写真とその隣の先輩の笑顔で、私はこの高校に通ってもいいかもしれないとわずかに考えられるようになった。


 きっとあんな風に生きている見時先輩なら、私に嘘は言わない。だから私は先輩を信じてみることにする。きっといつか、見時先輩は私の写真に込めた思いを言い当てられる。だから今は言えずじまいのままでも、私はこの心を強く念じて写真にして先輩に見せ続けてみよう。この決意は誰にも言わないでおこう。


 どうせなら見時先輩のように表現できるようになって、そしてこの思いが伝わってほしい。首にかかるカメラはやっぱり重たいけれど、その重みを嫌だと思えなくなっている。

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写真と思い 小西オサム @osamu55

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