私の隣はキミだから。

日和ひよこ

第1話


「あんた、merlot.好きなの?」

それは、私にとって青天の霹靂。

声をかけられた方角を見れば、紫がかった髪をした男性が、何処か機嫌悪そうに立っていた。

黒いマスクをしているので表情はよく分からないけれど、見える瞳は不機嫌そうに歪められている。

「え?」

私の口から漏れ出たのは、情けない声だけだった。


「オミくーん!オミくん!!」

履いてきた黒いサンダルを脱ぎながら、部屋の奥まで届くように声をかける。

「オミくん!起きてるの!?」

マンションの一室で大きな足音を出す訳にはいかないので控えめに、けれど足早に進む。

廊下の隅には脱ぎ捨てられた衣服やら、何枚もの紙やら…とにかく汚い。

心の中でため息を吐きながら、リビングへと繋がる扉を開けた。

目に飛び込んできたのは、廊下よりも悲惨な惨状が広がる室内。

置かれているローテーブルの上にも、2人が座るにはちょっと大きすぎるソファの上にも物が散らばっていた。

目線をズラせば床の上にだって色々なものが散乱している。

そして、何故か窓ガラスの一部分が割れている。

しかしながら、それもいつもの事なので今は見なかったことにした。

お目当ての人物はここにはいないようだ。

「オミくん!?」

ソファの後ろにある扉を開けば…

部屋の真ん中に鎮座していたものをみて、私はホッと息を吐いたが、イラつきは募った。

「オミくん!!」

声をかけても反応はない。そりゃそうだ、ヘッドホンをして紙にペンを走らせている。

「オーミーくん!」

ヘッドホンをしてる人間へ声をかけるのは無駄なのだが、とりあえずもう一度だけ。

やっぱり気づいてないみたいだから、私は思いっきりヘッドホンを外してやった。

「…は?」

外された本人は、とびっきりの不機嫌な顔で私を見上げた。

「もう…!オミくんが呼んだんでしょ?

講義終わって急いで電車飛び乗って来たのに…ぜんぜん気づかないし、部屋は汚いし…というか、なんでまた窓ガラス割れ」

「うた、遅せぇよ」

私の抗議の声なんて遮って、彼はそんな事を言った。

「遅いって…これでもめちゃくちゃはやく来たんだからね!?」

「遅せぇ。俺が来いって言ったらもっとはやく来いよ」

「あのね…!大学からオミくんの家までどれだけ距離あると思ってー!」

「あ〜…生き返る」

半立ちになって憤慨する私なんて見えてないみたいに、オミくんは腰へと抱き着いてきた。

そんな事されたら何も言えなくなるじゃないか。

「もう…」

私は怒るのを諦めた。数分近く無言のままだったが、私はオミくんへ話しかける。

「どうしたの?急に呼び出して…」

「別に。会いたかったから」

「…なるほど」

「最後に会ったのいつだった?」

「えーっと…一昨日?」

「嘘だろ。1ヶ月会ってねぇ気分なんだけど」

「そんなに期間空いたことないじゃん…ほら、オミくん離れて。お部屋の掃除とかしなきゃ…!」

「むり」

「無理って…そもそもご飯食べた?」

「あ〜…覚えてねぇ」

「いつもそればっかり…!ほら!はーやーく!」

「暴れんなって」

「そういう事じゃなくて…!」

どうにかしてオミくんから抜け出すと、私はとりあえずこの部屋ー寝室の掃除に取りかかる。

落ちている服を拾って纏めたり、散らばった紙を纏めたり…その間もオミくんが私から離れることはなかった。


「オミくん、毎回言ってるけどご飯食べて

あと、お部屋の掃除も」

「…めんどくせぇ」

「面倒くさくてもやらなきゃダメ!」

「なんで?」

「なんでって…」

2人で並んでご飯を食べながら、オミくんの素朴な疑問に手が止まった。

なんでと言われても、、、人間らしく生きるため?としか言いようがない。

そんな事言っても、オミくんが分かってくれるとは思わない。なんて言おうか悩んでいると…

「うたがいるからいいじゃん」

と言われてしまった。

またもや私の動きは止まってしまう。

「オミくん…」

「なに」

「私と会う前はどうやって生活してたの…?」

「覚えてねぇ」

心配だ。彼はこのまま死んでしまうのではないか

「掃除はいいとして…ご飯は食べなきゃダメだよ」

「掃除はいいのかよ」

鼻で笑いながら言われるも、私はその件に関しては何も言わない事にした。

黙々とご飯を口にして、最後の一口を飲み込む。

2人でバラエティ番組を見ながら、「そうだ」と私は思い出したように口にした。

「明日から1週間、サークルの合宿あるから会えないよ」

「は?」

「言ったじゃん…また覚えてなかったの?」

「聞いてねぇし」

「言った」

「言ってねぇ」

「言ったから。とにかく、会えないからね」

「…行かなくてよくね?」

「よくないから」

ビシッと言って紅茶を飲むけれど、隣からは不機嫌なオーラが収まることを知らない。

「いつもは短くても3日くらいだったけど、今回は1週間だよ?だから」

はい、とカバンから紙を1枚取り出す。

オミくんが怪訝そうにそれを受け取った。

「ここに書いてある事、守ってね」

「げっ…なんだよ、これ」

その紙には、『1週間でやることリスト』と書いておいた。内容は至って簡単なものだ。

掃除をする、洗濯をする、時間通り行動する、人に迷惑をかけない、ご飯を食べる。

ご飯を食べるには赤いマーカーで大きく囲っておいた。

「1週間後、ちゃんと出来てるか確認するからね」

「むり」

速攻で拒絶がくるけれど、私はじっとオミくんの目を見つめた。

「意地悪で言ってるんじゃないの。また前みたいに喧嘩したくないでしょ?」

「うっ」

オミくんのおざなりにされた生活にブチ切れた私は3日間、オミくんとの連絡を断ち切ったことがあった。

オミくんのバンドメンバーにも迷惑をかけてしまった事もあり、私は反省している。

だけど、だけど!やっぱりオミくんがこのままじゃいけないと思う!

「私は、オミくんのこと好きだし、オミくんの作る歌も好き。全部が好きだからちゃんとして欲しいの

だって、もし…もし、オミくんが倒れたりしたら…」

部屋の中で倒れているところを想像しただけでゾッとする。

そんなこと、普通は想像しないのに、オミくんの場合は意図も簡単に出来てしまう。

だって…

遠くの方で私の掠れた声がした気がした。

「…わかった」

オミくんはそう言ってギュッと私の肩を抱き寄せた。

「善処する」

小さく呟かれたその言葉に、今は縋ることしかできなかった。


merlot.

それは、マイナーなバンド界隈でも一線を画す存在だ。

全員同い年…近くで構成されたバンドは、現れるなり一気に熱狂的ファンを獲得した。

瞬く間に人気を博し、地下界隈では有名な「ファイナリズムレコード」に所属。

ボーカルで作詞作曲を担当するオミは、ビジュアルはもちろん、音楽にかける情熱は本物だ。

この間のライブで披露された新曲は、merlot.にしては珍しい純愛ソングで…

電車に乗って、何度も推敲した自分の文章を読みながらカクカクと寝落ちしそうになる。

今日の講義で提出する予定のレポートに力を入れすぎたかな、なんて思いながら、推敲した文章をカバンにしまった。

これは働いてるCDショップで掲載しようと思っているPOPだ。

まだまだ、メジャーではないけれど大好きなバンドの売り上げに貢献できるのかもしれないなら何枚だって描く。

降りるべき場所まで、まだ30分以上はある。

私はカバンを持ち直して、ゆっくりと目を閉じた

寝過ごさなければいいな、なんて思いながら。

…次に意識を取り戻したのは、何かが右足に、割と強めに当たった感触がした時だった。

え?と思って、電車内の表示を見れば降りるべき駅名。

「す、すみません!」

と言いながら慌ててホームに飛び降りる。

すんでのところで、プシューと扉が閉まる音がした。

降りれたのはいいけれど…不思議に思って自身の右足へと視線を落としてしまう。

誰かが自分の足を踏んだ…いや、蹴った?

特大のクエスチョンマークが浮かびながら首を傾げると、ポンっと肩を叩かれた。

「なにボケーッと突っ立ってんの」

「あ、おはよー、かなちゃん」

「はよ、で?何考えてんの」

「んー?んーん、別になんでもないよ」

「あっそ。ほら、はやく行くぞ」

「うん」

たまたま同じ電車に乗っていたのだろう幼なじみの後を追いかけるのだった。

ー違和感が確信へと変わり始めたのは、あの日から3日後の事だった。

足を蹴られた感覚がした次の日、また寝落ちてしまっていた私は同じ衝撃で目が覚めた。

やっぱり誰かが足を蹴っている?

と思って、3回目は寝たフリをしてみた。

降りるべき駅でギリギリまで寝ているのは、流石に冷や汗をかいたが、、、

コツン、いや、ガッくらいの衝撃が右足に走った

私は飛び起きた振りをして電車の扉から駅のホームへ。

振り返って見れば、私が座っていたはずの場所には紫がかった髪をした男性が気だるそうに座っていた。

「あの人…かな」

そう言えば、いつも同じ時間に乗っていたような気もするけれど…

「何があの人?」

「え?」

ビックリして振り向けば、かなちゃんが立っていた。

「う、ううん!なんでもない!てか、また同じ時間乗ってたの?」

「たまたま。この時間に講義があんの」

「学部違うのに珍しいね」

「そーゆーもんじゃん?行こうぜ」

「はーい」

もう一度だけ後ろを振り返るけど、電車はとうに過ぎ去っていた。

何処か後ろ髪を引かれる想いのまま、私はあの日のように幼なじみの背を追うのだった。

ー答え合わせは突然のものだった。

今でも覚えている。

働いて半年ほどになるCDショップで、推敲に推敲を重ねたPOPを貼り出して、在庫整理をしていた時。

「あんた、merlot.好きなの?」

突然、そんな声が聞こえた。

声につられて振り返れば、いつか見た紫がかった髪。それにどこか聞いた事のあるような声。

私は、お客さんに声をかけられたのだと思って笑顔を作った。

「はい。好きなので、ここのエリアを任せて貰っているんです。お客様もお好きなんですか?」

そう聞けば、彼は眉を寄せた。

「接客とかいいから。俺はあんたに話しかけてんの」

「え?」

私の対応が不味かったのか、彼はイライラしているように見えた。

サーっと私の顔が青ざめる。まさか、クレーム対応?まだ慣れていないのに?

どうしたらいいのか分からなくて、目の前の彼を見つめてしまう。

数秒の沈黙、先に口を開いたのは彼だった。

「…10:08着の電車。なんで最近いねぇの」

10:08着の電車。

そう言われて思い浮かぶのは、私がつい最近まで乗っていた路線だ。

「え…えっと…その、その時間の講義が無くなって…」

「ふーん、あっそ」

そこで会話が途切れてしまう。

どうして私がその時間の電車に乗っていたことを知っているのだろう?

まさか…ストーカー?

別の意味で顔が青ざめた気がした。

そんな私に気づいたのか気づいていないのか。

彼は言葉を続ける。

「最初の方は寝過ごしてなかったのに、最後の方は寝過ごしてたじゃん

どうでもいいと思ってたけど…あんたが聞いてる音楽みえたから」

「え…」

「俺が起こしてやってたの気づいてねぇの?」

言われて、パァンっと脳内で花火が散ったみたいだった。

そうだ、なんですぐに思い出せなかったのだろう

紫がかった髪色、どこか不機嫌そうな表情。

「もしかして…私の右足蹴ってたの…」

「俺だけど」

「な、んで…」

「いつも乗る時間にいるとは思ってたけど、たまたま目に入った音楽がmerlot.だったから気になっただけ」

「そ、そう、なんですか…」

馬鹿みたいにそんな返ししか出来ない。

ただ、あの時期寝過ごさないで済んでいたのは彼のおかげ。ひいては、merlot.のおかげだ。

「で?好きなの?」

ありがとうmerlot.なんて思っていると、また同じ質問が投げかけられた。

彼の瞳を見れば、真剣そのもので。

「は、はい…ファイナリズムの中で1番好きです」

「へぇ、レコード会社も知ってんだ」

コクコクと頷けば、彼は少しだけマスクを下ろしてニッと笑った。

「俺のことは?」

「え…」

マスクを下ろしたその顔、その笑みは…

ヒュっと息を飲み込む音が嫌でもわかった。

「な、なんで…!オ」

名前を言おうとしてガバッと口元を抑えられる

「バレるのめんどくせぇからやめて」

「ん、んー!んー!!」

「俺、あんたと話したいと思ってたから連れてくわ」

「んー!?んー!!んー!!!」

「うるせぇ」

有無を言わさずに連れて行かれそうになったが、異変に気づいてくれた同僚が止めてくれて事なきを得た。

退勤後に会う約束をつけられてしまったのだが。

ー出会った時、私は19、彼は1つ上の20歳。

衝撃的な出会いから2ヶ月経たないうちに私たちは付き合い始めた。

告白なんて呼べるものなんかじゃなくて。

何度も呼ばれているさなかに私がなけなしの勇気を持って

「私達ってどういう関係なの?」

と聞けば

「は?彼氏彼女だけど」

何言ってんのと言われてしまったのだ。

彼の中では、初めて会って言葉を交わした時からそのつもりだったらしい。

本当に色々と説明が足りない。

というか下手したら犯罪じゃない?

なんて思ったけれど、私はすでに彼に落ちてた。

だって、大好きなバンドのボーカルで。

大好きな曲を作ってる人で。

それで恋に落ちない人はいるの?

いないでしょ、絶対に。


1週間の合宿を終えて。

私は一言だけオミくんへメッセージを送り、家へと向かっていた。

心のどこかで期待はしていた。

付き合い初めて1年。きっと、私のあの想いは届いてるはずだって。

紙に書いて渡すほどではないと思っていたけれど、ちょっぴり不安だったから。

祈るような気持ちでインターホンを押す。

返事はないから鍵を使って玄関を開けた。

そして目に飛び込んできたのは…


付き合い初めてすぐの事だった。

彼が生活能力皆無に近いことに気がついたのは。

寝食を惜しむほどに彼は歌が好きだった。

歌が作れて、聞ける環境があればいい。

それはつまり、パソコン、楽器、ヘッドホンがあればいい。

お腹がすいても、眠くても関係ない。

音楽が彼にとって全てなのだ。

いつもの様にオミくんの家へ向かえば、部屋は静まり返っていた。

散らかった部屋に既に慣れ始めてしまっていた私は、また寝室で楽曲を作っているのだろうと思っていたのだ。

けれど、現実は違った。

「オミくん?」

一応ノックをして返事を待つけれど返ってこない

「入るね?」

扉を開けて、目に入ったのは床の上に落ちているパソコン。

画面が少しだけ割れていた。

そしてその隣に、なにか大きな、ものが、倒れていた。

「オミくん…?」

そっと震える手を伸ばせば、オミくんは真っ青な顔で倒れていた。

「オ、オミくん!!」

揺さぶっても反応はない。意識がないんだ。

「きゅ、救急車…!!」

慌ててカバンからスマホを取り出す。

コール音を聞きながら呼吸が定まらないのがわかった。

オミくんは息はしているけれど、反応がない

どこか辛そうな顔で汗も凄い。

『こちら、119番です。事件ですか?事故ですか?』

「オ、オミく、か、彼氏が倒れてて!い、意識が、意識がなくて…!!」

回らない舌で必死に説明をして、救急車が来るのを待つ。

その間に、もしもの時にって教えられていたバンドメンバーの1人に電話もした。

その時はもう泣いていて、自分が何を言っているか分からなかった。

病院に着くと、バンドメンバーはみんな来てくれてて。

幸いにもオミくんはただの脱水症状と栄養失調、それに過労からくるものだった。

けど、私は私自身が倒れてしまうのではないかってくらい泣いて、泣いて、怒った。

なんで、どうして、どうして。

そう、言い続けてた。

それからだ、彼の生活に目を光らせるようになったのは。

好きだと伝えてくれなくてもいい。

ただ、彼が隣にいてくれれば、それでいいのに。


「いい加減にして…!!」

バンっと私は乱暴に彼からヘッドホンを剥ぎ取った。

「は?」

取られたことへの怒りなのか。彼はいつもの様に不機嫌にそう言った。

けれど、私の怒りが収まることなんてなかった。

1週間前と変わらない惨状。

私の想いなんか結局伝わってなかったのだ。

「なんで!?私言ったよね!?私がいなくてもちゃんとしてって…!

ユウさんにも聞いた!遅刻してるって!

なんで!?なんで出来ないの!?やってくれないの!?」

「なんでユウの名前が出てくんだよ」

「今そこは関係ないでしょ!?あれだけ…!あれだけ言ったのに…!!」

「…ちっ、うるせぇな…」

「え…?」

「新曲作ってて、忙しかったんだよ」

「なに、それ」

新曲作ってるからなに?あなたはいつも曲を作ってるようなものじゃない。

それなのに、なのに…!それを、曲を、あなたも私も大好きな曲を言い訳にするの?

私はグッと唇をかみしめて背を向けた。

「〜っ!もういい!」

「は?おい!」

腕を掴まれるけど思いっきり振り払う。

「オミくんは一生曲とだけ生きてけばいいよ!

オミくんにとって私なんかいらないでしょ!?」

「んなわけねぇじゃん、なんでそんな話に」

「オミくんがそんななら別れる…!!」

「だからなんで…!」

オミくんの目を睨みつける。

涙が溢れて止まらなかった。

やっぱり私の想いなんて気持ちなんて関係ないんだ。

オミくんにとって私は、ただ家事をしてくれる人でしかないんだ。

「今のオミくんなんか大っ嫌い…!!」

そう言い放って私は部屋を後にした。

もう知らない、知らない知らない知らない!!

「大っ嫌い…っ!!!」

涙が止まることもなかった。


「クッソ!!」

ガンッと壁が思いっきり蹴られる音がした。

「おーおー、荒れてんねぇ」

「どしたのあの子」

ギターとベースの合わせをしていた2人が、近づきたくねぇと前面に押し出した顔で荒れてる人物に目をやる。

誰に当たるでもなく、無機物に向かって攻撃してる時点で嫌な予感しかしない。

2人がしばらく黙って見ていた時、ブースの扉が開いた。

入ってきた人物は、2人と1人を目に止めると、眉を顰めて2人の方へと歩み寄る。

「おっはよー、リーダー」

「はよ」

「おはよう…なに?あれ」

リーダー、と呼ばれた男は、イライラと紙にペンを走らせる我がバンドのボーカルを指さした。

ギターが肩をすくめる。

「知らねぇ〜、来てからずっとあんな感じ」

リーダーは思い当たる節があるのか、「あぁ、」

と呟くとため息をついた。

「…彼女ちゃん案件?」

ベースがそう言うと、リーダーは頷いた。

納得がいったように2人はもう一度、ボーカルへと目をやる。

「またかよ〜、なに?今度は何したん?」

リーダーはそれに答えることなく、キレてる張本人へと声をかけた。

「オミ、うたちゃん怒らせたんだって?」

「あ゛?」

「図星、ね」

「…だったら、なに」

「その様子だと、うたちゃん、物凄い怒ったんじゃないの?」

「…お前…ユウが余計なこと言ったからだろ」

リーダーことユウは、何のことやらと肩を竦めてみせる。その態度にオミが更に怒りを募らせる

「俺は、うたちゃんに頼まれたんだよ

オミのこと、信じてるけどお願いしますって」

「んだよそれ」

「オミ、うたちゃんに何言われたの」

オミは、チラッとユウを見やったが、すぐに壁の方へ視線を戻し、、、少ししてから小さく

「大嫌いって…別れる、って、言われた」

そう、呟いた。

ユウと、ほかの2人が驚きで目を瞬いた。

「マジで!?うたちゃんが!?」

「ソラ、声でかい」

「だって、キラもビックリだろ!?」

ギターのソラの言葉に、ベースのキラが小さく頷いた。

「それ、本当にうたちゃんが言ったの?」

「…嘘言ってどうすんだよ」

「連絡は?」

「…全部無視されてる」

「どのくらい?」

オミは静かに指を2本立てた。

それはつまり、2週間、という事だ。

「ながっ」

「うたちゃん、マジギレしてるじゃん…」

ソラとキラは顔を見合せ、ユウは大きなため息をついた。

「オミ、それでいいの?」

「それは…つか、アイツが別れるっつったから…」

「それで?うたちゃんと別れて、お前は平気なの?」

「…」

ユウの言葉にオミは無言を返した。平気なわけない。

「オミ」

「…わかってる、わかってるから」

「なら、はやくうたちゃんのところに行きな」

ユウはそう言って、オミの背中を押す。

ソラとキラも「そうしろ」と目で言ってる。

オミは、1つ舌打ちをすると背中を押されるままブースから出ていった。


「…た、おい、うた」

「へ?」

名前を呼ばれた気がして横を向けば、幼なじみのかなちゃんが私の顔を覗き込んでいた。

不機嫌そうだが、この表情は私を心配してくれている時だ。

「なに?」

「授業終わったけど、バイトは?」

「今日はおやすみだよ」

「あっそ…で?なんかあったん?」

「なにかって…なにが?」

「なにがって…彼氏となんかあったんだろ」

「っ」

その通りなので、私は固まってしまった。

かなちゃんは、「だと思った」と言うと私のカバンを手に持つ。

「ちょ、かなちゃん!?」

「飯、行くぞ」

突然のことに頭はついていかないけれど、慌ててかなちゃんの背中を追ったのだった。


チーズケーキを頼んで、1口食べて、、、嫌でも彼のことを思い出してしまう。

彼は甘いものが得意じゃないけれど、チーズケーキだけは好きなのだ。もぐもぐと食べながら、最後の会話が頭をよぎる。

『大っ嫌い!!』

そう言って飛び出したあの時、彼は一体どんな顔をしていたのだろうか。

「喧嘩?」

「…うん」

かなちゃんは、モンブランを食べながらそう言った。大きな栗が美味しそうだ。

「なに、前みたいなやつ?」

「…の、大きいやつ…」

「マジか。なんで?」

「合宿で会わない期間に、頼んだこと…全然できてなくて…」

「…なるほど。それで泣くほどキレたのか」

「な、なんで泣いたのわかるの!?」

「何年幼なじみだと思ってんだよ」

それは…うん、幼稚園の頃からだ。

やっぱり、かなちゃんに隠し事は難しい。彼氏が出来たこともすぐに見抜かれたんだから。

「別れるって言って…それっきり」

そう言うと、かなちゃんはゴホゴホと噎せた。

「大丈夫?」

「っ…別れるって…別れたのか?」

私は、ふるふると首を横に振った。勢いで言ってしまっただけで、本気でそのつもりはない。

彼と別れるなんて…想像したことがない。

「どのくらい連絡取ってないん?」

遠慮がちに2本の指を立てると、かなちゃんはまた不機嫌そうな顔になった。

「…それ、実質別れたみたいな、」

「ち、違う…!…はず」

「はずとか」

あれから連絡は沢山来てた。けど無視をしてる。

どうしても許せなくて。それに、なぁなぁなままにしたくなくて。

今回ばかりは、彼に折れて欲しかった。

「俺さ、前にも言ったことあるけど…今の彼氏、うたと合わないんじゃねぇの」

「そ、れは…」

「バンドマンって聞いて、マジでビックリしたし。あんまいいイメージないじゃん」

世間一般的には、そうなるに決まってる。

現に、目の前の幼なじみは有り得ないくらい反対した。そんなの許せるわけないって。

でも、私のことだから、かなちゃんにはそこまでいう権限ないよね?と口論になって、、、

最終的に、かなちゃんが折れてくれたのだ。

それでも、かなちゃんは心配なのか。事あるごとに「大丈夫か?」と聞いてきてくれていた。

前回の喧嘩の時も、かなちゃんには迷惑をかけたし、お世話にもなった。

「うたのこと、困らせて泣かせてる時点で…俺は会ったことないけど、嫌いだ」

「かなちゃん…」

「ごめん、けど、これは譲れない。

お前のこと傷つける奴は、嫌いだから」

「…でも、私は…」

「知ってるから。言わなくていい」

私は、かなちゃんとオミくんに仲良くなって欲しい。そして、認めて欲しいと思ってる。

自分がどうすれば、何をすれば良い方向に向かうのかなんて、足りない頭で考えても思いつかなくて。残っているチーズケーキを口に運ぶことしか出来なかった。


かなちゃんとお別れした後に、1人帰路につく。

大事な幼なじみを困らせて、大切な恋人を怒らせて。私は一体全体何をやってるんだろう。

でも、今回ばかりは…オミくんにわかって欲しい。意地悪じゃなくて…。

はぁ、ともう何回ついたかわからないため息。

スマホに目を落とせば、通知がたまっていた。

ほぼ全部、オミくんからだ。

私だって連絡したい、会いたい、会って話したい

ただそばにいたい。

「…これで、別れることになっても…」

嫌だけど、嫌だけど…仕方ない。

そう割り切って、自宅のあるマンションのエレベーターに乗り込んで、自分の部屋へ…。

「え」

自室の扉の前に誰かいる。それは、大好きな色

動けなくなって固まっていると、その人は寒そうにマフラーを少しだけ下にズラした。

「遅せぇよ、帰ってくるの」

「な、んで…」

「…話が、したいから」

「話って…そんなの…」

「全然、既読つかないし。電話もメッセも無視だし。だから…来た」

そう言って、彼は私に近付こうとしたけどすんでのところで止めた。

「さみぃから中で話すのじゃダメ?」

私は、ひとつだけ頷いて自室の扉を開けた。

どんな顔して彼を見ればいいかわからないから、できるだけ目を合わせないように気をつけて。

「…どうぞ」

「…お邪魔、します」

パタン、と扉が閉まる。他人行儀な彼の言葉が、ちょっとだけ面白くて…寂しい。

靴を脱いで、キッチンへ向かおうとしたが腕を引かれた。

「…なに?」

自分の声とは思えないくらい冷たかった。

そんなふうに言うつもりなかったのに。

彼は、一瞬だけ動きを止めたけど、腕を握ったままで。

「…ごめん、本当に悪かった」

「なにが?」

「全部、お前がいなかった時のこと、全部」

「謝って…どうするの?」

「俺は…」

沈黙が落ちる。カチャ、とコップがズレる音がした。外からは、車の音が聞こえる。

たっぷり数分の間をとって、彼が言葉を紡ぎ始めた。

「俺、本当にダメだから。ずっと甘えて、お前は優しいから、それに頼って…それだけ、で。お前がいてくれるのが当たり前で、言葉も、足りないから。

なのに…お前は文句言わないで、俺のそばにいてくれて

それが居心地良くて…でも、ダメだよな。

お前のこと大切なのに。俺、ほんとに…お前が、うたがいなきゃ生きてけない」

「っ」

何かがこみ上げてきて、喉が詰まる。

そんなの自分だってそうだ、彼がいないことなんて想像したことない、できない、したくない。

「別れるって言われた時、ほんとに死ぬかと思った。無理だって…ありえねぇって頭の中で言ってるけど…

俺は、俺から別れるなんて絶対言わないから

お前から言われたら受け入れるしかないって、初めて会った時から決めてた

だから…受け入れよう、って、でも、やっぱり…俺、は…」

「っ…オミ、くん」

「っ!…なに?」

私は、オミくんの目を見つめた。綺麗な葡萄色。

いつからか大好きになった私だけの色。

「私、ね、、、私もね、オミくんのこと大好きだよ。別れるなんて…そんなこと考えたことない。けど…けど、私といて…オミくんが、不幸になるのが、いや、で…だから」

「違う、そんなことねぇ。俺が、うたといて不幸になることなんて、絶対に、ない」

「…オミ、くん…っ」

「ごめん、ごめんごめんごめん…何回言っても許してもらえるわけないけど…

うた、本当にごめん」

「遅いよ…っ!もっと、もっとはやく…」

「うん」

「オミくんのこと、嫌いになるはず、ないのに」

「うん」

「オミくんしか…私の世界にいないのに…っ」

「…うん」

「バカ…っ!」

「…ごめん」

そうして、私達は抱き合っていた。涙が止まるまで、オミくんは私のことを離さないでくれていた。

遠回りして、喧嘩して…けど、離れることなんてできなくて。きっと、私達はずっとこうなんだろうな、なんて考えながら。

私はオミくんの胸の中で泣いた。

外が暗くなることに気づくまで、ずっと、ずっとそうしていたのだった。


「オミくーん、朝だよ!おーきーて!」

ゆさゆさと揺するが起きる気配が全くない。

すやすやと気持ちよさそうな寝息が聞こえる。

「もう…今日はライブのリハがあるって言ってたのに…オミくーん!?」

もう一度、揺さぶってみるがやっぱりダメだ。

「どうしよう…とりあえず、朝ごはん」

そう思って立ち去ろうとしたら、グイッと腕を引っ張られた。

「え!?」

驚く暇もなく、私はベッドへ倒れ込む。

そのまま、オミくんの抱き枕にされてしまった。

「…はよ」

「おはよ…じゃなくて!もう起きないとー」

「…あと、5分…」

「ダメだよ!遅刻はダメ!」

言いながら、ほっぺを抓ると、オミくんは不機嫌そうに目を開けた。

「…いたい」

「そうしてるから。ほら、起きて?」

渋々と言ったように起き上がる。けれど、私は解放されない。

「オミくん?」

「ん〜…あったけぇ…」

「もう…!」

やっぱり離れることなんてなくて。

いつもみたいに、オミくんはずっと私にくっついたまま朝の支度を終えたのだった。

あの喧嘩から、オミくんは変わった。

遅刻も少なくなって、ある程度のことは自分でやるようになった。気を抜くと、すぐに曲だけの生活になってしまうけれど。

「オミくん、行くよ〜」

玄関から先に出ようとしたが、

「うた」

呼ばれて振り向けば、顔が重なる。温かい感触に顔が赤く染るのが嫌でもわかった。

「すげぇ真っ赤、いつ慣れんの?」

「…わ、わからない…」

「じゃ、もう1回」

「だ、ダメダメ!遅刻しちゃ…!」

けど、誘惑に抗うことなんてできなくて。

「よし、行くぞ」

「う、うぅ…恥ずかしい…」

両頬を手で挟めば、「ん」とオミくんの手が差し出される。

私は、その手を笑顔で握り締めた。

絶対にこの手を離さない、離すことなんて想像できないし、する必要ない。

大好きな彼の隣が、大好きだから。

end.

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私の隣はキミだから。 日和ひよこ @hiyohiyoko

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