十五話 歌え、想いを乗せて(一)

『――――――!』


 割れんばかりの歓声がホール中に響き渡った。期待と興奮が混ざり合った熱気が宵霞を包み込んで、心地の良い緊張感を与えてくる。


「――皆ーっ! Shoだよーっ!!」


 拳を突き上げて、心のままに叫ぶ。その瞬間、歓声が一段と大きくなった。

 一面にサイリウムの海が広がっている。さざめく鮮やかなショッキングピンクが、宵霞の赤い瞳に映り込んで揺れた。


「今日は来てくれてありがとーっ!! それじゃあ行くよっ!?」


 込み上げる感動を声に変えて思い切り声を上げれば、会場には大地を揺るがすほどの大歓声が上がった。同時に、何度も何度も聞いて、何回も何回も練習をしてきた大好きな曲のイントロが流れ始めた。


 ――ここから、アタシのステージが始まるんだ!


 宵霞は会場中の光と熱気を浴びながら、喉を震わせる。瞳の中のサイリウムは相変わらず煌めいていた。


****


「――か、宵霞!」


 一人、目を閉じてかつてのステージを思い出していた宵霞は、低く心地のいい声に揺さぶられてハッと目を開けた。


「……あ、おじぃ様」


「もしかして集中している所だったかな? すまないね。だが、そろそろ出番の様だよ」


 目を開けて一番に飛び込んできたのは祖父の姿であった。一丁前にSPよろしくスーツに身を包んで、いつもの余裕そうな笑みを浮かべていた。


「んーん、大丈夫! ただアタシの初めてのステージを思い出していただけだよ〜。今でもあの時のことを思い出すと、不思議と自信が出るの」


 宵霞は彼が差し出したマイクを受け取りながら、片目をつぶって答えた。晴明はその瞳の中に桃色の光を見た気がして、そっと息を飲んだ。


「それじゃ、行ってくるね!」


 そうしてヒラヒラと晴明へ手を振ると、宵霞はステージへと続く階段を一歩、また一歩と踏みしめながら上がる。


「それではShoさん、お願いします!」


 舞台裏を担当していてくれた先生が、感動に震える声を宵霞にかけた。

 宵霞は笑顔で頷くと、スポットライトで照らされ煌めいているステージへと一気に駆け出した。


『――――――!!』


 宵霞が姿を現した瞬間、あの時のような大歓声が上がった。しかし、客席に目を向けても、いつもの様なサイリウムの海は広がっていない。


「――皆ーっ! Shoだよーっ!!」


 それでもいつもの様に興奮を声に変えてぶつければ、甲高い悲鳴と唸る様な雄叫びが同時に返って来る。かろうじて見える最前列の生徒たちの顔は、歓喜と期待に満ちていた。


 ――アタシには、それだけでじゅーぶんっ!


 あの時のように、苦楽を共にしてきた曲のイントロが流れ始める。宵霞はそれに合わせて踊り始めた。更に会場の熱気が高まるのを感じた。

 いつもの様にコールは入らない。それでも充分だ。会場に響く手拍子と歓声が、宵霞に確かな熱狂を伝えてくる。


「――――♪」


 待ちに待った歌い出し。鮮やかでのびのびとした、底無しの明るさが込められた歌声で、会場の色が宵霞の色で塗り替えられていくのを感じる。

 キラキラとした電子音と宵霞の鮮やかな歌声が合わさって、その空間はまるで水晶のように輝いた。


「――――!」


 興奮と熱狂に乗せられたまま、曲は見せ場のサビへと入った。会場のボルテージはもう最高潮だ。


 ――あぁ、やっぱり楽しい!


 永遠に続いて欲しいと思う時間、宵霞はその時間を全身で楽しんでいた。

 生徒オーディエンスへウインクと共に指を向ければ、わぁっと黄色い歓声が上がる。


「――皆っ! もっといけるよねーっ!?」


 宵霞が煽れば、客席からは割れんばかりの声が上がる。この場は既に彼女の独壇場だ。

 続くメロディーに妖気おもいを乗せ、宵霞は全身全霊で歌を届けるのであった。


****


 晴明は静かに、孫娘のステージに魅入っていた。それは、テレビやスマホなどの媒体で見るよりも、彼女のステージが遥かに凄いものであったからだ。


「……ほほ、晴明様。魅入るのも致し方ありませぬが、本来の目的を忘れぬようお願いしますぞ」


 そんな感動に頬を染める彼へ、ゆると声をかける存在が一つ。


「あぁ、分かっているよ。夕凪ゆうなぎ


 声の主は晴明の式神が一柱ひとり、四神の一角でもある玄武――夕凪だった。晴明はふっと微笑んで、姿を隠したままの式神へといらえた。


「ただ宵霞から、一曲だけは普通に全力で歌わせて欲しいとお願いされてね。だからこの曲だけは僕も素直に鑑賞しようと思っていただけさ」


 目を細める晴明は、視線を宵霞から動かさず言葉を続けた。彼女がとても眩しいのは、ステージが照らされているせいだけでは無いのだろう。


「おや……、それは失礼なことを致しましたな」


 空気が振れる気配がした。恐らく夕凪が頭を下げたのだろう。姿は見えていないというのに、何とも律儀な男だ。


「いや、いいんだ。君がそうしてしっかりと警戒してくれているから、僕の気持ちも引き締まると言うものだよ」


 晴明はようやく声のする方を向いて微笑んだ。ゆらりと陽炎が揺れる様に空気が震え、大きな亀に乗った老人の矮躯わいくが現れた。


「左様で」


 夕凪はほほ、と小さく笑うと立派な白い髭を静かに撫でる。口には出さないが、彼も宵霞の歌を楽しんでいる様であった。


「――さぁ、次からが僕たちの本番だよ。夕凪、宵霞の気配だけを通す結界を頼めるかい?」


 唯一宵霞が歌う曲が終わった様だ。音楽が止まり、拍手と歓声、そして何やら宵霞の声が聞こえてくる。


「えぇ、承知致しましたぞ」


 夕凪はおもむろに頷くと、手にしていた長い杖でコンと地面を叩く。その瞬間に、この場を包む気配が変わった。神気と確かな安心感が会場を包んだが、それに気付くことが出来るのは晴明や道真などの強い力を持った者たちだけであった。


『――――!』


 次の曲が始まった様だ。マイク越しの宵霞の歌声は、優しく芯のある妖気が乗っている。彼女はかなり気合いを入れている様で、その妖気の強さは相当な物であった。


「気を付けて下され、何処から来るか分かりませぬぞ」


 夕凪は声を固くしたまま呟く。その言葉に晴明も頷いたが、その表情はいつも通り余裕そうなものであった。まるで「心配などいらない」と言っている様で、夕凪は困ったものだと微かに苦笑した。

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