十二話 唸る雷鳴の拳(二)

「それじゃあ始めるぞ、いいか?」


 数分後、ようやく準備が整い、コックリさんが始まろうとしていた。この部屋に来た時より遥かに床の面積が少なくなった様な気もするが、緋月はそれを気にしないことにした。


「いいよーっ!」


「俺も大丈夫です!」


 緋月と紅葉は、雷の問いかけに元気に返事をした。ハクはもちろん、と言いたげに微笑むばかりであったが。


「わかった、行くぞ――コックリさん、コックリさん、おいで下さい。おいで下さいましたら『はい』へお進み下さい」


 雷は三人の反応を見て頷くと、ゆっくりと静かに常套句を唱えた。

 緋月は少しだけワクワクしていた。どことなく、というものを味わっている気分であった。鬼が出るか蛇が出るか、緊張と期待が入り交じった気持ちのまま変化を待つ。


「……あれ? 何も……起きない?」


 しかし、手元の十円玉はうんともすんとも言わない。それどころか、霊の気配すら感じられなかったのである。緋月は肩透かしを食らった気分だった。


「……あ、もしかしてハクがいるから、ですか?」


 残念そうな緋月の横で、紅葉がハッとしたようにそう言って雷を仰ぎ見た。彼女は、ハクがいつも「ウチの気配に皆怯えてくから」と妖街道で気配を絶っていたのを思い出したのだ。


「いや、そもそもこの場には低俗な悪しきものが寄り付かない様結界を張っているからな。ここでは何も起こらないのが正常なんだ」


 淡々と説明する雷に、緋月は思わず「えーっ!?」と声を上げてしまった。不満が思い切り声色に現れている。


「か、カミナリ先輩! 一回だけ! 一回だけ結界解いてちゃんとやってみようよぉ!」


 緋月は「何だ」と眉をひそめる雷に懇願した。やはり血は争えないのか、今の緋月は楽しいことを逃すまいと駄々を捏ねる晴明にそっくりであった。


「あぁ!? ダメに決まってるだろ! 呪われた奴もいるんだぞ!? あとカミナリ言うな!」


「そ、そうだぞ緋月! だってお前、絶対近付いてきた霊とかに話しかけるだろ!?」


 駄々を捏ねる緋月に返ってきたのは、素っ頓狂な雷の却下する声と、いつものように声を荒らげて緋月をたしなめる紅葉の声であった。

 二人の声の圧に押され、緋月は「うっ」と小さく声を上げた。もちろん、紅葉の言うことが図星であったからだ。


「は、ハクぅ……!」


「だぁめ。緋月はほんま晴明にそっくりやねぇ、すぐ危ないことに手ぇ出すんやもん」


 自分では説得しきれないと理解した緋月はハクに助けを求めるが、今回ばかりは彼女も味方してくれない様だ。優しく叱るようなハクの言葉に、緋月は「そんなぁ」とガックリと項垂れた。


「全く……まぁ、これで分かったろ。偽コックリさんの発生条件は分からない。それに――」


『――――見ツ、ケタ』


 何か、声が聞こえた。

 瞬間、場の温度が急激に下がり始め、辺りに身の毛もよだつ様な禍々しい気が漂い始める。


「――っ!? 何だ!? 結界が……全員十円玉から手を離せッ!!」


 雷は焦った様に声をかける。声に反応した二人と一柱は即座に飛び退いた。辺りのものが崩れる音がする。

 だが、遅い。

 十円玉からいきなり邪気が噴き出した。緋月も紅葉も、これに見覚えがあった。これは、あの時動画の中で見た、呪いそのものだ。

 呪いは勢いを付けて、緋月と紅葉へと手を伸ばした。


「緋月ッ!」


 ハクは緋月を庇った。紅葉を。しかし、そんな誰かなど存在しない。


「ぇ、あ」


 残された紅葉は硬直していた。眼前に呪いが迫る。式の鬼火たちを呼ぼうにも、頭が回らない。恐怖が喉元に張り付いている。目の前のおぞましい気配に、全身が凍り付いている。

 ゆらり、ゆらり、ぐらり。

 呪いは、紅葉を飲み込もうと、ゆっくり、ゆっくりとその手を伸ばして――


「――轟けいかづちッッ!!!!」


 瞬間、バリバリと空気を裂く音が鳴り響いた。

 紅葉を飲み込もうとしていた呪いの手は、彼女の顔に触れる寸前で四散した。

 辺りに焦げ臭い匂いが充満する。バチバチと静電気が発生している様で、緋月の毛は逆立っていた。


 場を変えたのは雷だった。彼は机に拳を叩き付けたまま、呆然としていた。その拳がまとっているのは強大な神気。彼はただ何かを考え込む様に、焦げた紙を見つめ続けていた。


 紅葉は緊張が解けた様にその場に崩れ落ちた。緋月はその音で我に返り、今にも泣き出しそうな声音で紅葉の名を呼んだ。


「くれはぁっ!」


「ぁ、ひ、づき……」


 紅葉は相棒の顔を見た途端、安堵した様だ。がくりと全身の力を抜いて、長く長く息を吐く。そうしてただ一言、「びっくりした……」と呟くのであった。


 その間、ハクは苛立ちを募らせていた。紅葉を守らなかったに。何か起きたら真っ先に近くの存在を守ると取り決めていたはずなのに、は何もしなかったからだ。


「っ、ほんま何やってん! ドアホ――」


 後ろを仰ぎ見てハクは硬直した。そこには誰もいるはずがないからだ。空白を見て、彼女の背筋は凍った。


 自分は今、何に腹を立てていた?

 誰に何を言おうとした?

 違う、そもそも一体紅葉を任せようとした?


「……ぅ、ち……は」


 ハクはぺたんとその場にへたり込んだ。一歩間違えば、紅葉を傷付けることになっていたのだ。恐ろしくて震えが止まらなかった。

 先程の怒号に驚いて、ハクをずっと見ていた緋月は「ハク……?」と掠れた声で彼女の名を呼んだ。


「――お前たち、怪我は無い、か?」


 そこで、ようやっと思考の海から浮上したらしい雷が、声に緊張を張り付けたまま問うてきた。

 緋月と紅葉は、こくこくと声を出さずに頷いた。ハクは俯いたまま動かない。


「あ……、ありがとう、カミナリ先輩……! でも、良かったの? その手、神様の……」


 礼を告げつつも、緋月はどこか申し訳ないような声音で聞いた。雷の拳がまとっていたのは、明らかに神気であった。それは、彼に手を貸している天津神あまつかみの力であるのだろう。


「……正当防衛だ。大目に見てもらえるだろう」


 雷はゆる、と自身の拳を眺めながら、ぼんやりと呟いた。相当動揺している様で、彼は「カミナリ」と呼ばれたことに気付いていない様子だった。


「今日は、帰ろう。一応家まで送る。危険だからな」


 彼はそのまま続けると、グッと拳を握り直した。どことなく、ぎこちない空気が流れている。声を出せない二人と一柱の代わりに、カァとカラスがどこかで鳴いていた。

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