十二話 おかえり、じー様(一)

 現れたのは一人の男性。灰の袴を揺らし、こちらへと歩み寄ってくる。


 自信に満ち溢れた紫紺の瞳に、腰骨の位置まである艶やかな黒い髪。スラッとした長身に纏う、白を基調とした狩衣の袖は、端に行くほどに紫がかっていた。


 そこにいるだけで伝わってくる圧倒的な妖力と、兄や自分らにそっくりな顔立ち。一目見ただけで緋月と紅葉は直感的に、この人こそが自分たちの祖父である安倍晴明だ、と理解した。


「いやぁ、本当に驚いたよ。何やら大きな力が動いたと思ったら、妖街道の気配がすぐ近くに迫っていたからね」


 晴明は喉をくつくつと鳴らして笑うと、本当に驚いたと楽しそうに告げた。


「あ、貴方が晴明様……?」


 いつの間にか緋月の隣に来ていた紅葉は、ぽかんとしたまま呟いた。その声には、にわかには信じられないと言うような困惑の色が浮かんでいた。


「に、にしてはすごーく若い……?」


 緋月もそれに同意する。

 何せ目の前に現れた安倍晴明は、記憶の中の様な老人ではなく、若々しい男性の姿だったからだ。


「ふふふ、今の僕は人神のようなものだからね。これが一番力が強かった時の姿なんだ、格好いいだろう?」


 二人の困惑を受けて、晴明はまたもや楽しそうに笑い声をあげる。そうしてサッと自分を指す様に胸に片手を当てると、現在の自分は人神と同等の存在であることを暴露した。


「そうなんだ……、凄い……!」


 晴明のまるで自慢するような言葉に、緋月は素直に感心した。自分たちの祖父はこんなにも凄い人だったのか、と瞳を輝かせて晴明のことを見つめていたのであった。


「にゃぁ〜ん晴明〜! 久しぶりなんよぉ〜!」


 緋月が尊敬の眼差しで晴明を見つめていると、今まで静かにしていたハクがもう堪えきれないと言う様に晴明に飛び付いた。


「おや、白虎……いや、ハク。久しぶりだねぇ。ふふふ、主に忘れられたまま居残るとは、全く君も無茶をするものだ」


 晴明はハクの突然の行動にも動じず、そうすることが自然と言う風に彼女を受け止める。そしてクスクスと笑いながら、ハクの揺るぎない忠誠心を褒めたたえた。


(……あれ? なんでじー様がそのこと知ってるんだろう?)


 嬉しそうに晴明の腕に擦り寄るハクとされるがままになっている晴明を見ながら、緋月はふと疑問に思った。


「それにしても久しぶりだねぇ。二人とも、前に見た時よりも背が伸びたんじゃないかい?」


 しかし緋月がその疑問を口にする前に、晴明が嬉々とした表情で口を開いたので、緋月はそれを聞く瞬間を逃してしまったのである。


「そ、そりゃそうですよ……だって晴明様が現し世に行った時、俺たちは生まれたばっかだったんでしょう?」


 緋月はともかく、紅葉には晴明の記憶は一切無い。彼女は苦笑しながら、久しぶりと言われてもと言う風に告げた。


「おや、敬語なんてやめておくれ、紅葉。それに晴明様だなんて、まるで他人の様ではないか」


 恭しく敬語で対応した紅葉に対して晴明はムッとした顔になると、自身に対してもっと砕けた態度をとるよう促した。


「へ? そ、そうか……? ええとじゃあ……爺さん、とかでいいのか?」


「うん、それでいいよ!」


 そう言われて最初は戸惑った様子の紅葉だったが、にこにこと笑みを崩さずに期待して待っている晴明を見て、おずおずと言った様子で爺さんと口にした。

 それで満足したのか、晴明は更に破顔すると何度も頷きながら喜びを表現していた。その仕草はまるで褒められた子供の様で、緋月も紅葉も思わず吹き出してしまった。


「あぁ、それと、僕が現し世に行ったのは君たちが生まれたばかりの時ではないよ。こっちの感覚で言えばついこの間なんだ!」


 晴明は先程の笑顔のまま衝撃の事実を露呈させる。緋月と紅葉は鳩が豆鉄砲を喰らった様な表情で、思わず晴明の顔をまじまじと見つめた。


「へ!? ど、どういうこと!?」


 遅れてやって来た素っ頓狂な驚きの声をあげながら、緋月は晴明へと詰め寄る。


「確かに二人の前に姿を表さなかったのは事実だが、僕は少し前までこの妖街道に居たんだよ。ねぇ、十六夜?」


 晴明はあっけからんとした様子でそう言うと、晴明が現れてから一言も発せず、ただじっと彼を睨み付けている十六夜へと声をかけた。


「…………、貴方があんなことをしなければ、僕が二人に嘘をつく必要は無かったのですよ」


 声をかけられた十六夜は顔をしかめて一度目線を逸らすと、忌々しそうに言葉を吐き捨てた。腕を組んだまま機嫌が悪そうに、まるで全身で怒りを表する様に言葉を続ける。


「貴方が……、貴方が勝手に……!」


 十六夜は一度そこで言葉を止め、堪えきれないと言う様に息を震わせながら吐き出す。そうして再びキッと晴明を睨みつけると、思い切り息を吸い込んで感情を爆発させた。



「アンタが勝手に安倍邸に居座ったりっ! 姿を変えて妖街道を徘徊したりしなければねぇっ!?」



「うわーっ!?」


 ようやく顔を上げた彼の額には青筋が浮いていた。普段の彼からは想像できない程の声量に、緋月は飛び上がって驚き、更にその緋月の声に紅葉が身を竦ませた。


「まぁ? 百歩譲って? ここに居座ってたことくらいは許しましょうか? えぇ、だってあの頃は現し世との繋がりが不安定でしたからねぇっ!?」


「お、おにぃ……?」


 いつもの囁く様な喋り方はどこへやら、十六夜はまさに獰猛な犬が噛み付くが如く声を張り上げて言葉を連ねる。普段と様子が違いすぎる兄に、緋月はぽかんとしたまま声をかけた。


「問題はそれからだよっ!! あろうことかアンタは勝手に妖街道を闊歩しやがって! こっちがどんだけ緋月と紅葉にバレないように苦労したか知ってるんですかっ!? そうして僕たちを散々振り回した挙句、最終的にアンタなんて言いました!? 『飽きたからそろそろ現し世へ行くね』ってふざけてんのかぁぁあっっ!!」


 十六夜にはもう緋月の声も届いていない様で、彼の文句は一向に止まることは無かった。それどころか文句を重ねていくうちに十六夜の激情は昂っていき、最後の方の言葉は最早絶叫と言っていいほどの声量であった。


「そう言ってアンタは僕たちが止める間もなく勝手に現し世への扉を開けて行ってしまうし、そればかりか連絡も寄越さずにその現し世からも居なくなるしっ!!! 本っ当に今まで何をしていたんだアンタはぁっ!?」


 これだけ言ってもまだ十六夜の煮えたぎる様な感情は収まらない様で、彼は晴明に詰め寄りながら更に言葉を続けると、最後の言葉とともに十六夜は晴明の真ん前に指を突き出した。


「あはは! 今日も元気だねぇ、十六夜!」


 しかし十六夜の激高の対照になっていた晴明は何処吹く風で、彼の怒りの言葉を冗談同然に笑い飛ばすと、あろうことか十六夜の状態を元気の一言で済ませたのであった。


「喧嘩売ってんのかアンタはぁぁぁっ!!!?」


 無論それは十六夜の青筋を増やす一助になっただけであった。彼は今にも晴明に殴りかかりそうな勢いで、更なる憤怒の言葉を連ねていった。



「な、なんか凄まじいな……夜兄さん……」


 再び始まった文句の嵐を呆然と聞きながら、紅葉は若干引きつったような表情で呟いた。


「だ、だね……あたし、おにぃがあそこまで怒ってるの初めて見たかも……」


 その呆然と吐かれた言葉を受けて、緋月も半笑いのまま同意する。緋月はあんなに感情を、それも怒りを全面に押し出して叫ぶ兄を見たことがなかったのだ。


「んふふ、二人は知らんやろけどぉ、十六夜は晴明の前だといつもあんな感じなんよぉ〜?」


 ハクはぽかんとしたまま言葉を交わす二人に向かって、限られた者しか知らない十六夜の一面を語った。一切動じずにふわふわと笑っている彼女の様子からして、十六夜が晴明に対して激情をぶつけるのは本当にいつもの事の様だった。



「っ、本っ当に貴方って人は……! ……はぁ、もういいですよ……今の今まで一体何処で何をしていたんです? というよりそもそも、どうして勝手に現し世から居なくなったのですか……」


 やがてこれ以上続けても無駄だと気が付いた十六夜は深い深いため息をついて、晴明が現し世に行った後は何をしていたのかを問うた。

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