十一話 術の輝きに包まれて(二)

「――天に下れ」


 十六夜が小さく、しかしハッキリとした声でそう言った途端、地面に五芒星が現れて眩く輝き始め、同時に強風も吹き荒れ出した。風に吹かれて行灯の火が消えたが、五芒星が輝いているため暗くなることは無かった。


「わっ!?」


「うおっ!?」


 そしてグラグラと地面が揺れ始め、緋月と紅葉は耐えられずにしゃがみこみ、眩い光を遮るように目をつぶった。ハクはそんな二人を守るように、二人の方を抱いて寄せる。


「唯一神……の名に…………ず、く隠り……街道を…………」


 吹き荒れる強風により兄の声は掻き消され、何を言っているのか全く分からなかったが、この辺りの変化から察するに恐らく術を唱えているのだろう。


「――っ!」


 何が起こっているのか興味が湧き、緋月はうっすらと目を開ける。案の定視界は真っ白に染まっており、何かをハッキリ捕らえることは無かったが、一瞬だけ兄にあるはずの無い金の長髪が翻ったような気がした。


「――我が御心のままに……っ!」


 十六夜が叫ぶ。恐らく呪文の終わりだろう。その声が聞こえてから、徐々に徐々に揺れが収まり、つぶった目に入る光も暗くなっていく。


「……お、終わった?」


「……ぽい、な」


 揺れと光が完全に収まったように見えたところで、緋月と紅葉は恐る恐る顔を上げた。

 誰かの術だろうか、消えていた行灯にふわりと火が灯って辺りはまた薄暗く照らされる。


「ん〜、凄かったんよぉ〜。びっくりしたんねぇ」


 もう危険はないと判断したハクは抱えていた二人を優しく解放すると、びっくりしたと言いながらほわほわと笑っていた。


「あ、ハクさん、ありがとな」


 紅葉はゆっくりと立ち上がった後、すぐさまハクに礼を告げた。


「んふぅ〜、気にせんといてぇなぁ。それと、ウチのことはハクでいいんよぉ〜」


 ハクはにこにこ笑ったままその礼を受け取ると、紅葉に自分をハクと呼ぶことの許可を出した。


「ん、分かった……じゃあ、ハク」


「ふふぅ〜、はぁい〜」


 どこか照れたように名前を呼ぶ紅葉と、それに嬉しそうに返事をするハク。その様子を緋月はわくわくと嬉しい気持ちで見守っていた。自分が大好きな人同士が仲良くしている、ということは緋月にとって何よりも嬉しいことであったからだ。


「……っ、げほっ……!」


 と、そこに苦しそうに咳き込む声が聞こえ、緋月は慌てて振り返った。

 緋月の目に映ったのは、御景に支えられながら片膝をつき、辛そうにゼイゼイと肩で息をしている兄の姿だった。


「あっ、おにぃ!? 大丈夫!?」


「……っ、はぁ……へ、平気……だよ。ちょっと……、力を消耗しすぎた……かな……」


 目を見張った緋月が大慌てで十六夜に駆け寄ると、彼は真っ青な顔のまま息も絶え絶えに大丈夫と告げた。


「十六夜様、こちらを」


 明らかに大丈夫ではない様子の十六夜の元に、影津が水の入った杯を持って現れた。行動が早いのが彼の自慢だ。


「ご……、ごめん……ありがとう、影津…………ぷはっ。い……、生き返る……」


 十六夜はそれを受け取ると、一気に水を飲み干した。やがて息も整い始め、今までずっと支えになっていた御景にありがとうと告げた。



「えっと……これで現し世がすぐ近くになったってことでいいの?」


 十六夜が落ち着いた段階で、緋月は小首を傾げながら質問した。


「うん、多分……術は成功したはずだから……」


 十六夜は静かにそう言うと、鉄扉の先の何かを見透かす様に見つめていた。その表情はどこか複雑で、緋月には兄が怒っているようにも感じられた。


「じゃ、じゃあこの先に晴明様がいるってことか……」


 同じ様に鉄扉の先に思いを馳せ、扉をじっと見つめていた紅葉はゴクリと息を呑むと、緊張したように呟いた。


「これなら例え別の隠り世にいたとしても、連絡鏡は通じるだろうし……影津、連絡鏡を……」


 十六夜がそう指示を出すと、影津はさっと頭を下げてから早歩きで上階へと向かう。その速さはまさに走っているのかと思う程で、彼の姿はあっという間に見えなくなってしまった。



 そんな中緋月は一人、脳裏に思い浮かんだ断片的な記憶と邂逅していた。


『いいかい緋月。立派な陰陽師というのは、人にも妖怪にも分け隔てなく優しくする陰陽師のことを言うんだよ。緋月もそうなりなさい』


 目の前に座る老人は、しゃがれた声で緋月に言い付ける。その声色は優しく、しかししっかりと芯を持っていて、聞いているだけで心地が良かった。


『はい! じー様!』


 記憶の中の、今より幼く見える緋月は、真っ直ぐに老人を見据えてハッキリと返事をする。


(……じー様?)


 記憶の中の緋月は、目の前の老人をそう呼んだ。つまり、この記憶の中の老人は緋月の祖父――安倍晴明ということになる。


(……あぁそっか、あたし、晴明様のこと、ずっとじー様って呼んでたんだ)


 その事実に緋月はすんなり納得した。心の中でそう復唱した際にやけにあっさりと馴染んだからだ。


(あたしが呼ばなくちゃ、じー様のこと)


 そう強く思った途端、どくんと心臓が高鳴って、緋月の感情を前へ前へと誘う。

 気が付いた時にはもう、緋月の足は動き始めていた。飛び出す様に鉄扉の目の前まで駆け寄って、大きく息を吸った。


「――じーさまぁぁっ!!」


 そうしてそれを思い切り声として吐き出せば、その場にいた全員が緋月に注目した。


「なっ!? 何してんだ緋月!?」


「あたしーっ! 思い出したのーっっ!」


 少し離れた場所で紅葉が素っ頓狂な声をあげて驚くが、緋月は気にせずに叫び続ける。


「あたしずっと、じー様のことじー様って呼んでた! じー様に沢山術のこと教わった! じー様に、沢山名前呼んでもらったのーっ!!」


 緋月は叫ぶ。晴明と重ねた時間の記憶を。一つ口にしてしまえば、そこから湯水の様に言葉が溢れて止まらなかった。

 周りにいた者は皆、呆気に取られた様な表情のまま緋月を見守っていた。紅葉ももう何も言わずに、静かに緋月の言葉を聞いていた。


「あたしっ! 思い出したのっっ! あたしはっ!! じー様がっっ大好きーっっっ!!!」


 緋月は最後に精一杯の愛を叫んだ。心の底からの言葉を、腹の底からの声を出して。その声はびりびりと大気を震わせて、その場にいた誰彼もの心を打った。


「緋月……」


 静かに見守っていた十六夜は面食らった表情のまま、無意識のうちに声をもらした。妹の中に眠っていた記憶と感情に、何か思うところがあった様だ。



 誰もが黙りこくってしんとした部屋の中、不意にギィと鉄扉が開く音が響き渡った。


「へっ!?」


 緋月は気の抜ける様な声をあげて飛びずさると、信じられないといった顔で鉄扉が開いていくさまを見守った。


「――いやぁ、これは驚いたよ」


 そして眩い光の中から、ケラケラと低い声で爽やかに笑う、皆が捜し求めたは姿を現したのだった。

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