八話 鬼と宴会と霊山と(一)
「ふんふんふ〜ん」
弐番街道、少し関所を越えた場所を、緋月は呑気に鼻歌を歌いながらぽてぽてと歩いていた。
騒々しいに近い賑やかさを持つ、この酒臭い街道が緋月は嫌いではなかったからだ。
それに緋月は、この街道の真っ赤に燃えるような空が好きだったのだ。自身の名を連想させるようなこの緋色の空が。
緋月はるんるんと楽しい気分で歩き続け、ようやく賑やかすぎる弐番街道へとたどり着いた。「弐」と派手な文字が描かれた真っ赤な門をくぐればそこは、酒と活気と闘気に溢れた豪華な街道だ。
「よぉ、嬢ちゃん見ねぇ顔だなぁ?」
意気揚々と足を踏み出した途端、緋月の真横から強気な声がかけられた。
「――!」
突然のことに緋月は慌てて警戒態勢を取る。耳をピンと立て、声をかけてきた相手を真っ直ぐに見据えた。楽しい気分が台無しだった。
「まぁそんなに警戒すんなって、ちょいと俺たちに付き合うだけでいいからよぉ!」
それを見た相手――長い赤毛でガッシリとした鬼は、ケラケラと愉快そうに笑って手にしていた盃を緋月へと向けた。
「……っ!」
盃に並々と注がれた酒を見て、緋月は目を丸くして後ずさる。何かを言わなくては、と何度か口をパクパクとさせてから、小さく息を吐いた。
「……んもーっ!! おっちゃんったらまたそんなにお酒飲んでーっ! て言うかあたし、おっちゃんに会うのももう三回目だよっ!」
そしてぷぅっと頬を膨らませると、
「おん? そうだったかぁ?」
赤毛の鬼は全く覚えがないと言ったように首を捻ると、勢いよく盃の中の酒をゴクリと飲み干した。
「おいおいそうだろうがよぅ。何てぇんだったかほら、あの飯のうめぇ店の子じゃないの、その子。お前さん、会う度に同じように声掛けてるじゃないのさ」
その様子を見守っていたヒョロリとした灰色の髪の鬼は、やれやれと言ったように口添えをした。店の名前までは覚えていなかったようだが、どうやらこちらの鬼は緋月のことを覚えているようだ。
灰鬼の言う通りなのである。依頼の為に緋月は何度か弐番街道を訪れているのだが、その“何度か”の全てで赤鬼に同じように声をかけられているのだ。
「陰陽亭ね!」
「そうそうそれそれ」
緋月が自身の働く店の名前を告げてやれば、灰鬼はやっと思い出したというように何度も頷いていた。
「おぉ、言われて見りゃその服はそうだなぁ、なんか前にも見た気がするぜ」
灰鬼に言われて思い出したのか、合点がいったとでも言うように赤鬼はペチンと自身の膝を叩いた。
「もー、おっちゃんたちってばお酒ばっかり飲んでるから忘れちゃうんだよっ! そんなに飲んで、お仕事とか大丈夫なの?」
緋月は腰に手を当てると、まるで子を叱る親のように二人の鬼を諭そうとした。
赤鬼たちも赤鬼たちで、毎回同じように酒を飲み交わしているので、緋月は心配の気持ちも兼ねて口を出したのである。
「馬っ鹿、仕事の途中に飲むからうめぇんだよぉ!」
ところが赤鬼は態度を改めるどころか、現在仕事中であるという衝撃の事実まで露呈させ、いつの間にか注がれていた酒をグイッとあおった。
「もー、信じらんないっ!」
よく見れば宴会でもしていたのだろうか、赤鬼と灰鬼の横には何人かの鬼が顔を真っ赤にして伸びていた。
緋月はそれを見て驚愕し、非難の言葉を浴びせた。だが二人の鬼はケラケラと笑って、気にしているような様子は微塵もなかった。
「ところでよぅ嬢ちゃん、ここにゃあ一体何しに来たんだ? こんな時間に依頼って訳でも無さそうだし、ここに観光なんかに来ても何も面白くないでしょ」
不意に灰鬼が思い付いたかのように問うてきた。確かに現在は夜中と呼ばれるような時間に近いため、緋月のような子供がここに居ることはかなり不自然なのである。
「おぉ、そうだなぁ。こんな遅くに散歩って訳じゃなかろうし……」
灰鬼の言葉に、赤鬼も顎を触りながらしみじみと賛同していた。
「あ、えっとね、あたし今、ここで火の力が一番強いところ探してるの! おっちゃんたち、それについて何か知らない?」
そこで緋月はおそらく現地民であろう二人に、自身の目的を話した。依頼で来ることがあるとは言え、そのほとんどが入口付近で済むような依頼ばかりなので、緋月は紅葉ほど弐番街道に詳しいという訳では無いのである。
「そりゃお前さん、火の力が一番強ぇってんなら
緋月の読みは当たり、赤鬼は悩む素振りも見せずに即答した。どうやら霊山と言うところに行けばいいようだ。
「れーざんかぁ、分かった! ありがと! そのれーざんってどっちにあるの?」
「おいおい、霊山に行くってのかぁ? 残念だが今はやめときなぁ」
緋月はお礼を言って早速向かおうと方角を問うたが、赤鬼から返ってきた言葉は望んでいたものと違うものであった。
「ほぇ? なんで?」
「どうも地獄から逃げ出してきた悪鬼が潜伏してるって話でよぅ、今の霊山はとんでもなく危ねぇってこった。嬢ちゃん一人じゃ危険って訳」
肩透かしをくらった気分で緋月が問い返せば、今度は灰鬼が即答した。灰鬼はおっかないねぇとどこか面倒くさそうに呟いていた。
「そうそう、今警備隊が念入りに調査してっからよぉ、もう数日は待ってろなぁ」
続く赤鬼もどこか面倒くさそうであった。
警備隊というのは現し世でいう警察のようなもので、悪人を取り締まったり諍いを鉄拳制裁したりする武力派の集団なのである。
陰陽亭にも時折、協力要請が入ることがあるのだが、その際は十六夜が出ているので緋月は詳しくは知らなかった。
「え、えぇ〜っ!? そんなの困るよぉっ!」
何故か面倒くさそうな二人に対して、緋月は非常に困ったように悲鳴をあげた。
「そんなの困るってお前さん、なんか霊山に用でもあんのかぁ?」
赤鬼は焦燥したような緋月の表情に気付いて、はてと首を捻りつつ聞いてきた。
「うん、ある! すっごくあるよぉっ! あたし、今すぐにれーざんに行かなきゃなの!」
緋月はぶんぶんと首が取れそうなくらいの勢いで頷いた。正確には霊山に用ができたのは先程なのだが、そこは気にしないでおく。
「そうは言われても、危ねぇもんは危ねぇんだよぉ」
「ぬぐぐ…………はっ! そうだ……!」
しかし赤鬼は頑として首を縦に振らなかった。まるで岩のようなその態度に緋月は辟易としたが、やがてあることを思い付くとぱぁっと瞳を輝かせた。
「ねぇねぇおっちゃんたち、そう言えば地獄ってどっちの方向だっけ?」
緋月が取った行動というのは、霊山に続いているはずの地獄の方向を聞く、ということであった。冷静に考えれば成功確率の低い作戦ではあったが、相手は酔っ払い二人だ。おそらく成功するだろう。
「うん? そりゃ嬢ちゃん、霊山のあるあっちに決まってるだろうがよぅ」
緋月の思った通り、相当判断力が低下しているらしい灰鬼は間髪入れずに返答した。何も考えていないような表情で、緋月の背後を指さしている。
「あっちか!」
「あ」
「馬っ鹿お前!!」
緋月は作戦が成功したため嬉しそうに呟き、灰鬼は呆然としたように小さく声をもらす。そんなやらかした灰鬼を非難するように、赤鬼は声を荒らげた。
「えへへ、ありがとうおっちゃん! 助かっちゃった! それじゃあまた――」
「まてまてまて」
緋月はニコニコと示された方向に駆けていこうと回れ右をしたが、座ったまま伸ばされた赤鬼の大きな手に首根っこを捕まれ、その場を去ることは叶わなかった。
「本当に今は危ねぇんだよ、どうしても行くってんなら今から呼んでやるから、他に警備隊が来んのを待ちなぁ」
緋月をこちら側へと引き戻しながら、赤鬼は今までとは違って真剣な表情で緋月に告げた。
「で、でも……あたし急がなきゃ……」
その真剣な雰囲気に呑まれ緋月の声も小さくなるが、こちらとて簡単に譲るつもりは無い。緋月はしゅんと耳を下げながら、悲しそうな表情で赤鬼に懇願した。
「そんなこと言ったってよぉ……」
『ぐるるりらるるるぅ』
「あ……」
頑として譲らない赤鬼と押し問答を続けていると、不意に緋月の腹の虫が唸るような悲鳴をあげた。一瞬で緋月の顔は真っ赤になり、恥ずかしそうに目を泳がせた。
「なんだい嬢ちゃん、飯食ってねぇのかぇ?」
「た、食べたは食べたんだけど……その、ちょっとしか食べれてなくて……」
キョトンとした灰鬼の問いに、緋月はしどろもどろになりながら答えた。
月楼を出る前に影津が渡してくれたおにぎりを食べたのだが、如何せん見た目によらずよく食べる緋月に取っては全く足りないに等しい量だったのである。
「がはは、しょうがねぇなぁ、ちょいと座ってこの握り飯でも食べてけ!」
先程の真剣な雰囲気はどこへやら。赤鬼はゲラゲラと楽しそうに笑うと、腰に巻いていた皮袋から笹に包まれた大きなおにぎりを取り出し、緋月へと差し出した。
「うぅ〜ありがとぉ……」
緋月はしょぼくれたままそれを受け取ると、二人の鬼の傍に腰を下ろした。
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