七話 紅葉、妖街道を駆ける(二)

『この辺りまで来ればもう安心ですね。それではわたくしはこれで失礼致しますわぁ』


 再び中心街へ足を踏み入れた途端、水紋はひと段落着いたとでもいう風に声をあげた。


「ん、ありがとな、水紋」


『いいえ、また何かございましたらいつでもお呼びくださいね?』


 それに頷きながら紅葉が礼を言えば、水紋は仮初の体をふるふると揺さぶってから消えた。恐らく手を振っていたつもりだったのだろう。



「……よし、最後は伍番街道か」


 紅葉は水紋が完全に消えるのを見届けると、手元に残った「金」の札を取り出して一人呟いた。


「…………」


 急いで伍番街道へと向かっていた紅葉はふと足を止めて、弐番街道へと続く関所に目をやった。

 

 弐番街道は酒の匂いと活気に溢れた場所だ。

 唯一酒の匂いのしない霊山れいざんを越えれば、そこには紅葉の故郷――――地獄がある。


 それ故に弐番街道に住まう妖怪はそのほとんどが鬼だ。無論、警備隊が至る所に常駐しているのでそこまで心配はしていないが、それでも紅葉は気がかりなのだ。


 紅葉が今と思っている人物に、緋月が会ってしまうのではないか、ということが。


 いや、恐らく緋月は会ったとしても、相手にも自分にも何も言わないだろう。


「……って、こんなこと考えてる場合じゃねぇか」


 紅葉はパチンと両頬を叩いて気合を入れると、関所の門番に通行許可手形を見せてから伍番街道へと飛び込んだ。



****


「……やっぱちょっとさみぃな」


 まぁ昼は小雪さんが居たからもっと寒かったけど、と紅葉は付け袖の隙間から覗く二の腕をさすりながら独り言を零した。


 伍番街道はしんと冷えきっている場所だ。常に霧がけぶっていて薄暗いため、紅葉は転ばないように慎重に歩いていた。



「…………ここ、か」


 そうして紅葉がたどり着いたのは、くすんだ朱色の古ぼけた鳥居の前だった。


「……入るのは初めてだな」


 この先には、かの大妖「葛の葉」が眠るという墓がある。実を言えば、紅葉はこの鳥居の先に立ち入ったことは無い。


「でも、絶対ここ……だよな」


 紅葉は静かに呟いた。これは水紋や火刈に問わずとも分かる。入り口である鳥居からでさえ、凄まじい力を感じるのだ。ということは、この鳥居が守っている存在は更に上を行く力を持っているということだろう。


 紅葉は決意したように息を吐き出すと、墓の元へと足を進めた。


 まるで神社の御前にある様な長い階段を、一歩一歩と紅葉は登って行く。体力もあり、足腰もしっかりしている彼女は、汗を流すことも息を切らすことも無く階段を登り続けた。


「……おぉ、さながら神社だな」


 そうしてようやく頂点まで登り詰めた時に、紅葉の目に入ったのは一般に言うような墓所ではなく、立派な社であった。まるで人々に祀りあげられる神が如く、葛の葉の魂はそこに眠っていたのだ。


 そんな神聖な雰囲気を前して、紅葉は神妙な面持ちになると、ふっと息を短く吐いて最後まで残っていた「金」の札を指で挟み込んで構えた。



「掛けまくもかしこ八百万やおろずの神々よ、我が願いをきこせと畏み畏みもうす。我らが祖、どうか其の御力をこの札にお恵み下さい……」


 荘厳に構える神社の姿に圧倒され、紅葉は先程までとは違う奏上をあげた。


『――いいよ』


「――いっ!?」


 何故だか声が聞こえた気がして、紅葉は慌てて辺りを見回した。火刈も水紋も呼ばなければ来ないため、当然近くには誰もいない。


「き……、気の所為……か……?」


 紅葉は得体の知れない寒気を感じて、再び二の腕をさすって一人震えたが、気の所為ということにして頭を切り替えた。



「……これで、俺の分は終わりだな」


 手元に残っている札は無い。「火」の札を渡した緋月は上手くやっているだろうか。


 紅葉は静かに赤紫色の空を見上げた。

 妖街道に日は昇らない。故に、妖怪たちはその気になれば連日活動を続けることが出来る。


 だから、もし緋月が何日も戻って来ない場合はどうしたらいいのだろうか、と紅葉は考えていた。


 一番近寄りたくない場所で、一番大事な存在が困っていたとしたら。


 その時自分は――――。


「――っ」


 やめだ、起こってもいないことを考えるのは。どうも自分は一人になると、いつも暗い考えを起こすようになる。


 紅葉は悪い考えを四散させるように首を振ると、踵を返して走り出した。

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