七話 紅葉、妖街道を駆ける(一)

「おぉ……森って言うか……山、だな」


 紅葉が次に来ていたのは参番街道だった。この街道が司るのは木行であるため、木々や草花が主な割合を占めている。

 なのでどちらかと言うと街道と言うより山道なのだが、誰もそのことを気にする者はおらず、みな普通に参番街道と呼んでいるのである。


 紅葉は立ち止まったまま眼前にそびえ立つ山を見上げた。先程のけもの道とは比べようが無い程に山である。


 その中でふと紅葉の目に、遠くから見ても立派だと分かる、さながら御神木とも呼べる様な大木が映りこんだ。こんなに離れていても、微かながら力を感じる。


「……こりゃ、誰かに聞かなくてもよさそうだけど念の為……水紋みなも


 あの大木の元がこの地で一番力が強い所だと言うことは一目瞭然であったが、念には念をということで紅葉は水紋みなもを呼び出した。


『あらあらぁ、今度はどうなさいました?』


 先程呼び出したばかりにも関わらず、水紋は即座に応えを返して現れる。


「度々悪いな。この辺で一番強い力を持ってるのって、あの明らかに御神木っぽい木だよな? 確認してくれ」


 水紋は水鏡を扱えるだけではなく、気配の探知にも優れているのだ。

 今更ながら紅葉は、肆番街道でも最初から彼女に頼るべきだったかもしれないと思い始めていた。


『えぇと……、確かにそのようですわぁ。紅葉様は今からお登りに?』


 そんな風に考えを巡らせていると、どうやら水紋の探知が終わった様だ。彼女は紅葉の推察を肯定しながら、恐らく首を傾げて問うてきた。紅葉からみたら、青い火がユラユラと揺れていただけだったが。


「ん、そのつもりだ。まぁだいぶ時間かかるだろうな……全く、ここを最後にするべきだったぜ」


 紅葉は水紋の問いに首を縦に振ると、己の段取りの悪さに小さく悪態をついた。


『ならばわたくしもお供致しますわぁ。道中に危険が潜んでいてはいけませんもの』


 そんな紅葉を他所に、水紋はほわほわと同行することを申告した。


「本当か? 悪いな、もしもの時は火刈かがりに変わってくれ!」


 紅葉は同行の申し出を素直に受け入れると、危険が差し迫った際には武力担当の火刈を頼る様お願いした。


 今の紅葉の力量では、二人を同時に呼び出すことは出来ない。どちらか片方を、それも彼女らが持つ力の半分程度しか引き出すことが出来ない状態でしか呼び出せないのだ。


 紅葉はそのことを大変申し訳なく、かつ大変歯痒く思っているのだが、いつも式の二人は気にしなくていいと言ってくれるのである。


『えぇ、承知しましたわぁ、ふふ』


 水紋は紅葉の言葉にお任せ下さいな、とのんびり返事をして優しい笑い声をあげた。



『にしても……、どうして紅葉様はこのような所まで? 陰陽亭のご依頼ですか?』


 しばらく取り留めのないやり取りを交わしつつ登山をしていると、ふと水紋が思い出したかの様に質問を投げかけてきた。


「あぁそっか、見てなかったのか。今は大掛かりな術の準備中なんだ。それで……」


 それを聞いた紅葉は、そう言えば詳しいことは何も言っていなかったなと思い当たり、順を追って説明を始めた。



『なるほど、そういうことでしたのね……あら、ですがそれでは紅葉様……』


 全てを聞いた水紋は納得したような素振りを見せたが、行くべき街道の中に弐番街道も含まれていることに気付き、少し遠慮気味に何かを言おうとする。


「……弐番には緋月が行ってくれたよ」


 水紋の言いたいことを察した紅葉は、少し目を伏せて呟いた。その表情はどこか暗いものだった。


『あら……そうでしたか……』


「わがまま言ったとは思ってんだけど……それでも俺はに合わす顔が無いから……」


 紅葉はそう言うと自嘲気味に笑った。脳裏にあの時の記憶が蘇って、自然と声が震える。


『紅葉様は悪くないと言っておりますのに……。それに皆、紅葉様のお帰りをお待ちしておりますよ?』


 水紋はそんな様子の紅葉に、何も気にすることは無いと仮初の体を揺らした。


「……ごめん」


 そんなこちらを気遣う様な水紋の行動に、紅葉は一層俯いて謝罪の言葉を一言口にした。


『……いいえ、わたくしたちはいつまでもお待ちしてますから……その気になりましたら、いつでもいらして下さいな』


 水紋は、表情を曇らせてしまった紅葉を更に傷付けてしまわないように、ゆっくりと慎重に言葉を選びながら発言した。


「うん……、ありがとな」


 紅葉はそう言うと、この話はここで終わりだと言わんばかりに、そう言えばと呟いた。再び取り留めもない会話が始まっていく。


****


「……よぉし、やっと着いたぜ!」


 しばらくして、ようやく御神木の元までたどりついた紅葉は、大きく伸びをして達成感とともに大きな声を出した。


 切り立った崖の近くに、力強く生える御神木。背後を振り返れば、参番街道の全容が一望できた。


「おぉ、思ったよりたっけぇな! すげぇ、めっちゃ綺麗だぞ、水紋!」


 そして紅葉は目に止まった眼前に広がる絶景を、年相応の笑顔で褒めたたえた。


『あぁ、あまり端にいかれると危険です、紅葉様……!』


 ひょいひょいと軽い足取りで崖に近寄る紅葉を、水紋は慌てて諌めた。


「へーきへーき」


 紅葉は運動神経に自信が合ったため、その忠告を軽く流して聞くことは無かったが、あまりにも水紋が心配した為すぐに御神木の元まで戻った。


「……この辺りはやっぱ、他の街道と空の色が違うよな。なんか青というか紺というか……」


 御神木に寄りかかって、紅葉が一言。彼女が言う通り、ここの空の色は壱番街道や肆番街道と比べると青みがかっていた。


『あらぁ、現し世の空はもっと明るい青だと言いますよ?』


 その紅葉の珍しがる様な言葉を受けて、水紋は現し世についての知識を披露した。最も彼女も隠り世から出たことは無いため、他人からの受け売りであるが。


「へぇ、そうなのか。あはは、想像できねぇな」


 紅葉は素直に驚いて、まだ見ぬ世界に思いを馳せた。

 一体どんな世界なのだろうか、かつて緋月が暮らしたという世界は。



『……そう言えば紅葉様、御用はよろしいのですか?』


 そうして紅葉が遠くの世界へ意識を集中させていると、水紋がはたと思い出したように問いかけた。


「っと、やべっ! 忘れてた! ありがとな、水紋」


 紅葉はその言葉の内容に体を跳ねさせて驚くと、慌てて先程まで背もたれとして使用していた御神木と向き合った。


『ふふ、いいえ』


 心底焦ったような紅葉の感謝を受けて、水紋は優しく笑い声をあげた。


 紅葉は気合を入れるためにペチペチと自分の頬を叩くと、懐から「木」と書かれた札を取り出した。


「よし……、く札の力を増幅し給え、急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 紅葉が肆番街道で使ったのと同じように術を唱えれば、あの時と同じく札は五芒星を煌めかせ、「木」の文字を刻んでから溶けるように消えていった。


「……っと、これでよし!」


 その様子を見届けた紅葉は、手馴れたもんだと一人で頷いていた。


『まぁ、とても格好良かったですわぁ、紅葉様! ふふ、陰陽師が様になってますね』


 その横で、水紋は大袈裟だと言われてもおかしくない程の勢いで紅葉を褒めたたえた。拍手のつもりだろうか、火の粉をぱらぱらと舞わしている。


「そ、そうか? そう言われると照れるな……」


『ふふふ、本当に紅葉様は自慢の主様ですわぁ。わたくしも火刈も、紅葉様のお傍に仕えることが出来て本当に幸せ者ですね』


 照れる主をそよに、水紋は怒涛の勢いで紅葉を褒める言葉をまくし立てた。ころころと楽しげに笑う声色は、とても優しいものであった。


「やっ……やめろやめろぉ! 急に褒めんなっ! ほっ、ほらっ! さっさと降りんぞ!」


 ある程度まで言ったところで、耳まで真っ赤にした紅葉が自身を賞賛する声を遮った。かなり動揺しているようで、その声は度々裏返っていた。


『ふふ、承知しましたわぁ』


 水紋は再び楽しそうに笑って、照れ隠しか大股で歩いて行く紅葉の背をゆるゆると追った。

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