誰にも分かってもらえない、おかしいのはどっち?

卯月ましろ@低浮上

誰にもわかってもらえない、おかしいのはどっち?

 ――小学五年生の娘が、「誰にも言えない恋をしたの」と教えてくれた。


 私に告げた時点で「人に話しているじゃないか」なんて、野暮やぼなことは言わない。

 娘はギリギリまで、言うべきか言わざるべきか迷っていた。けれどきっと、自分の胸の内に秘めておくには想いが大きく膨らみすぎたのだろう。


「どんな子? どういうところが好きなの?」

「うーん……優しくて明るくて面白くて、体育が得意なところが格好いいから」

「あら~、ビックリするほど典型的な小学生女児の好みじゃない! 素敵ね!」

「なんかお母さん、バカにしてない?」

「してない、してない。でも、どうして誰にも言えないのよ」


 こうして相談してくるということは、アドバイスなりサポートなりを欲しているに違いない。もしくは、ただ誰かに話を聞いて欲しかっただけか。


 もし「相手は先生だから」と言われたらやや困ったが、幸い体育が得意と言うからには同じ生徒だろう。

 ――いや、体育が得意な先生という可能性も捨てきれないか?


 とにかく、母としてできることをしようと意気込んだ。しかし続く娘の言葉を聞いて、私の勇み足は急ブレーキをかける。


「仲の良い友達と、同じ子を好きになっちゃったみたい……だから、私の気持ちは誰にも言えない」

「まあ、なんてアンニュイな顔なのかしら」


 娘の表情には諦観ていかん哀愁あいしゅうの色が浮かんでいて、とても小学五年生には見えない“女”の情念のようなものを感じた。


 女の子は精神的に成熟するのが早いと言うけれど、まさかここまでとは。

 娘の想いを茶化したい訳ではなくて、ただ純粋に感心した。子供というのは、親の知らぬうちに大人になるものらしいと。


 それにしても、仲の良い友人と同じ男の子を好きになってしまうとは、割とよく聞く話だ。


 友情をとるか、恋愛をとるか――子供の頃は誰しも視野狭窄きょうさくになりがちで、学校の人間関係や友達付き合いだけがこの世の全てだと勘違いする。

 だから進んで友情を壊す選択肢は取りたがらないし、学校で孤立するような真似もしない。


 あの子、友達の好きな人を横から奪ったらしいよ――なんて噂が出回ったら、その後の学校生活はお先真っ暗である。

 そのせいで娘は、この想いを秘めるしかない訳だ。


「その仲の良い友達は、ユキの気持ちを知らないの? ユキだけが友達の気持ちを知っているの?」

「うん。私より友達の方が好きになるのが早かったし、この前「好きだから応援して」って言われたから……今更、私も好きなんて言えないし。あと、なんか両想いっぽいもん」


 しょんぼりと落ち込んだ様子の娘――ユキを見ていると、何やらフツフツとしたものが腹の底に沸いてきた。


 先に好きになったかどうかなんて、誰にも分からないではないか。そもそも恋愛が早い者勝ちだなんて、そんなルールいつ決まったのだろうか。

 肝心なのはユキの気持ちと、他でもない相手の男の子の想いなのに。


 しかも――娘の友人を悪く言いたくないが、「応援して」なんて用意周到に釘を刺してくる辺り、油断ならない悪女である。

 もしや娘の想いを察しているのではないか? 察した上で牽制けんせいしているのではないか? 本当に仲の良い友人と呼べるのか?


 親バカの脳がいつもの十倍くらいスピードを増して回転する。私がこれらの疑念を抱くのに五秒とかからなかった。


「今度、二人をウチに招待したら? 皆で一緒に遊ぼうって。仲の良い友達にとって応援になるし、ユキも好きな子が遊びに来てくれたら嬉しいでしょう?」

「え!? 絶対にヤダよ、お母さん変なことを言うつもりでしょう? よ、呼ばないからね! 私のコレは誰にも言えない恋なの!」

「そんなことしないわよ! お母さんはただ、ユキが好きになった子がどんな子か見てみたいだけだもん!」

「だもん! って……年齢を考えようよ」

「娘が辛辣だわ」


 私の口は特別堅くないが、軽くもない。だと言うのに、なぜこうも猜疑心さいぎしんたっぷりの眼差しで見られているのだろうか――それも、愛娘に。


 ユキの想いが知られたら友情は脆く崩れ去るだろうし、想いを告げたからと言って男の子に通じるとは限らない。

 今まで三人で仲良く過ごしてきたようだし、それを私の勝手な失言で台無しにはできない。


 ただ、せめて男の子の気持ちを確かめてみたいと思っただけだ。


 もしも友人と男の子が両想いに見えれば、今回は運が悪かったと思って諦めなさいと慰められる。

 けれど、もしも男の子が友人よりもユキを好いているように見えれば――背中を押さない手はないと思う。


 もちろん今すぐにではなく、クラスが変わるとか小学校を卒業するとか、のちに要らぬ禍根かこんを残さぬよう良いタイミングを見計らって。


「でも、そう言えば……今度、三人で集まってゲームしようって言われてる」

「ちょうどいいわね、ゲームならウチにあるじゃない」

「だけど友達が勝手に決めただけで、私の好きな子はあんまりゲーム好きじゃないよ? 外で遊ぶのが好きだから……」


 最近の子供は男女問わずゲームに夢中だと思っていたけれど、意外とアグレッシブな子も存在するらしい。

 さすが体育が得意なスポーツ少年だ、きっとクラスを引っ張る人気者に違いない。


「ゲームを口実に二人まとめて招待して、あとで外へ遊びに行けば良いでしょう? とびきりのオヤツも用意するから」

「うーん……」


 その後も「ジュースもつける」「帰る時にはお土産をもたせるから」などと必死に口説けば、やがてユキは渋々頷いた。


「お母さん楽しみだわ~。ユキの好きな男の子と会うのは、これが初めてだし! 格好いい系? 可愛い系? 芸能人で例えたら?」


 舞い上がってたずねてみたけれど、ユキは茶化されているように感じたのか、ハッとした後にムッと口をつぐんでしまう。


「教えてあげない」


 そもそも自分から勝手に告白してきたくせに、妙に恨みがましい目で見てくるのはなぜのか。


 私は内心、「口に出したからには、今更なかったことにはできないのに」と思いながら肩を竦めた。






 そうして訪れたエックスデー、もとい『ユキの友人』と『好きな男の子』が遊びに来る日。

 日曜日で学校は休みだし、旦那は朝から夕方までゴルフに行っているため邪魔にならない。


 私のミッションは、ユキの部屋でゲームしているところへお菓子とジュースを運び込むこと。そのついでに子供たちの恋愛模様を観察させてもらうつもりだ。

 誰が誰に想いを寄せているかなんて、大人の目で見れば丸分かりである。


 やがて呼び鈴が鳴らされると、ユキは「お母さんはまだ見ちゃダメだから!」と言い含めて1人で玄関へ駆けて行った。

 ダメと言われては仕方がない。私はキッチンに身を隠して、ソワソワとしながら聞き耳を立てることしかできなかった。


 ユキとはまた違う、高くて可愛らしい女の子の笑い声が聞こえる。続いて、声変わり前の男の子が大きく「お邪魔します」と挨拶した。

 子供たちは何事か談笑しながら、部屋へと続く階段を元気いっぱいに登っていく。


 さすがに来てすぐお菓子を運び込むのはいやらしいだろうと、私は一時間ほど待ってからユキの部屋を訪れることにした。

 大きな笑い声の漏れるドアをノックすれば、三人分の「はーい」が返される。


「いらっしゃい。お菓子とジュース持ってきたから、どうそ」

「ありがとうございます! お邪魔してまーす!」

「やったー、後でいただきます!」

「ちょっと今手が放せないから、机に置いておいて!」


 ゲームで対戦中なのか、ユキと男の子がそれぞれコントローラーを握りしめたままテレビを凝視している。

 友人の女の子は二人の後ろで声援を飛ばして――いるのだが、その見覚えのありすぎる顔に肩透かしを食らった。


「なっちゃん、なんだか家に来るのは久しぶりね」

「あ、はい! お久しぶりです」


 ユキの言う仲の良い友人とは、彼女が保育園に通う頃から一緒に育った幼馴染の『なっちゃん』こと、ナツミちゃんだった。


 ほんの少しでも悪女と疑ったことが申し訳なくなるくらいイイコで、礼儀正しい女の子である。

 小学校低学年の頃は毎日ぐらい互いの家を行き来していたが、彼女が習い事を始めたのを境に疎遠になってしまった。


 まあ疎遠とは言っても、学校では毎日顔を合わせているらしいけれど。我が家の食卓で彼女の話題が出ない日はないくらい、ユキとは大の仲良しなのだ。


 なっちゃんがユキに釘を刺して牽制するなんて、とんでもない。きっと純粋に恋路を応援して欲しいと思っているのだろう。

 だからユキも、口を噤むしかなかったのか。彼女と争い事なんて起こしたくないから――。


 ユキとその隣に並ぶ男の子を見れば、どちらもゲームに熱中している。

 なっちゃんは二人を平等に応援しているが、背中を見つめる回数は圧倒的に男の子の方が多かった。


 よそ様のお子さんなのに、「ははあ~! あのなっちゃんが恋ですか! 良いですね~!」なんてにやけそうになる。

 親としてはユキの応援をしなければならないのに、この幼馴染が相手では仕方がないと思ってしまったのだ。


「あぁ~! 負けた! クソ、ユキ強すぎるだろ! ……じゃあ次は、ナツと俺で勝負だ!」


 ゲームの対戦はユキが勝利したらしい。

 ぶっきらぼうで否やを許さない断定的な男の子の言葉に、ユキは少し間を空けてから小さく頷いた。


 そうしてなっちゃんにコントローラーを手渡せば、彼女はユキと入れ替わりで男の子の真横に座る。


「ユキに勝てないからって、ゲームが弱い私に勝って嬉しいの? 後ろから見てても、やり方全然分からなかったのに……」

「うるさいな、教えれば良いんだろ! 教えれば! ナツって本当に面倒くせ~!」

「ゲームしようって言い出したの、そっちじゃん!? 責任取って教えてくれないと困るし! もう、だから私は外で遊びたいって言ったのに――」


 ユキと隣り合っていた時はもう少し距離があったのに、わざわざ肩がくっつきそうなくらい近付いて。

 つっけんどんな口調とは裏腹に、彼の耳は赤く染まっている。


 ええ、誰がどう見ても両想いです、本当にありがとうございました――。


 ふとユキを見れば、先ほどまでなっちゃんが座っていたのと同じところへ腰を下ろして、二人の背中を眺めている。

 別に泣き出しそうでも、ショックを受けている様子でもないけれど……さすがにコレは、憐れだと思ってしまった。


 家に招待すれば良いなんて、言わない方が良かっただろうか。この後どう慰めれば良いのか。


 ただ薄く笑って、じっと背中を眺めている愛娘を不憫ふびんに思いながら、さっさと退散してしまおうと踵を返す。

 しかし廊下に出たところで、「おや?」と首を傾げた。


 今日の集まりってそもそも、仲の良い友達なっちゃんが「ゲームしよう」って提案したんじゃないの?

 ゲームが苦手で外で遊ぶ方が好きなのは、ユキの好きな子男の子じゃなかったっけ――と。


 ドアの隙間からユキの様子を盗み見れば、彼女はただ一点、一人だけを見つめていた。それは決して、名も知らぬ男の子ではなくて。


 私は勝手な思い込みと決めつけで、娘を酷く傷付けてしまったのだと理解した。


 ああ、これは……これは確かに、誰にも言えない。母親にさえひとつも理解されぬまま、『あなたが好きなのは男の子』と先んじて封じ込まれてしまった――誰にも言えない恋なのだ。

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