第54話

 2021年5月24日。村井達がこの世界の昏き幽王を討伐してから一年後の夜。


 村井達は祝賀会を開いていた。


「それでは、昏き幽王の討伐後一周年を記念して、乾杯!」

「「「「かんぱ~い!」」」」


 村井の音頭で同室の琴音、花音、彩音、聖が乾杯する。店ごと貸し切っており、他の部屋の席では主に弓削家の私兵たちなどの協力者によって既に練習と言う名の飲酒の解禁が始まっており、村井の乾杯前から騒がしい様相を呈していた。


(この世界では新型感染症がそこまで大流行しなくてよかった。それでもギリギリまで緊急事態宣言だったから危ないところだ)


 今年の祝宴は各自の家になりそうだったが、ゴールデンウイーク前から三週間という日程での緊急事態宣言で何とか祝賀会を開催出来たことを喜ぶ村井。

 ただ、周囲の状況を考えると村井に呑気にしている暇はない。


「兄さん、私もお酒……」

「来年からな」

「むぅ」


 彩音のおねだりを躱して村井は彼女にオレンジジュースを与える。それを見て勝ち誇るようにサワーを見せながら聖が村井の腕を取った。


「そーですよ。皆さんには大人の時間はまだ早いです。ねぇ? 心哉さん」

「お前も去年からだろ」

「でも、大人です!」

「その去年の初飲みでお世話したのが誰か覚えてます? あ、あの時の状態を覚えている訳ないですよね。覚えてるならそんなに威張れませんもん」


 豊かな胸を張って威張る聖に釘をさす琴音。実際、記憶にないものはないのだが、後で聞いた失態を思い出すとあまり強気にも出られない。聖の勢いはそのまま失墜していった。

 そんな両隣の攻防に巻き込まれないように酒を飲んでいた村井だが、折角の酒席ということで食事を楽しみたいところだ。だが、彼には問題があった。


「ところで花音、そこに座られると俺が非常に食べ辛いんだが」

「食べたいもの言って。取る」

「何なら私があーんを」

「お兄さんのご飯は私が」


(うーん、食べ辛いことこの上ない)


 膝の上に花音が座っているので食べ物は取り辛いし、動こうにも両隣を聖と琴音が固めている。おかげで彩音は一人で村井の向かい側の席に座っていた。


(まぁ、こうなることは何となく想定出来たんだが)


 両隣に誰もいない一人席でちょっと寂しそうにしている彩音だが、彼女は宴会の前に少しやらかしているので遠慮せざるを得ない。というのも、この世界で救われた日が誕生日ということに戸籍上なっている彩音が誕生日プレゼントに村井との間に愛の結晶が欲しいとか言って夜這いを仕掛けてきたことで年下のお姉ちゃん二人の怒りを買ってしまったのだ。

 そういう訳で日頃は精神的に末っ子ということで甘やかされている彼女でも流石に今日は少し控えめになっている。


「おにーさん、どれ食べたい? 私?」

「……普通に、今出されている刺身かな」

「じゃあ私があーんしますね。花音のも食べさせてあげるから大丈夫だよ」

「ん……この席、座り心地は最高だけどおにーさんのお世話には向いてない……!」


 今更なことに気付いた花音だが、勝手に琴音がお世話係に就任しているので食べること自体に問題はない。強固な布陣に聖は少し悔しそうにするが、入口付近に位置取りしている彼女の挽回はこれからだった。


「むぅ……」


 そんな光景を見せつけられている彩音は少し寂しそうに食事をする。それを見て流石に不憫だと思った村井は彼から彩音の方に何か食べたいものはないか尋ねた。


「……兄さんにあーんしてほしい」

「ちょっと遠いけど、いいか?」

「うん……!」

「あ、また彩音だけ甘やかす……私もあーんして」


 彩音に食べさせてあげると周囲から不満の声が上がる。各自の要望に応えていると村井は自分で食べるより数段面倒臭いことに気付いた。


「次のメニューが来たので私も挨拶に……うわ、凄い。村井さ~ん、どうしてそんなにモテモテになったんですかぁ?」

「何でだろうな……」


 新たな飲み物と食べ物を持ってきた久遠が個室内に入ってくると村井の状況を見て驚く。かつて一緒に肩を並べて戦った冴えないはずの人物が美少女に囲まれて何か燕の親鳥みたいなことをしているのだ。


「席が空いてるなら私、彩音ちゃんの隣に行きたいんですが!」

「……んー」

「私、去年とても頑張りましたよね! しかもお返しも控えめでしたよ! 少しの間だけ! 持ってきたお酒がなくなるまででいいので!」


 必死にお願いする久遠。確かに、去年の彼女は頑張っていた。そのお返しも最初に提示した以上は受け取らなかった。特に異界渡りでサポートして貰った花音と彩音はあまり彼女を邪険にするのも躊躇われる。そうなると琴音も自動的に邪険に扱えない側に回るので多数決で彼女の参加が決まる。


「やったぁ! じゃ、じゃあ彩音ちゃん。お隣失礼します」

「ん。正面席が甘々だから気を付けてね」

「いやいや、恋する乙女の愛くるしい顔が並んで……眼福じゃないですか。あ、村井さんとひじりんは別です」

「わざわざ言わなくて結構です」


 花音推しの久遠からの攻撃を笑顔で叩き落とす聖。因みに、この二人も過去には共に背中を預けて戦った仲なので割と気安い関係にある。ただそれでも想い人の前で貶されると悲しい気分になってしまう。その機微を読み取った彩音から久遠に苦言が呈された。


「あんまりフォマを詰ってもいいことないよ」

「流石は彩音ちゃん。恋敵のことすら思いやれる! 偉い!」

「……さては久遠ちゃん、相当酔ってるね?」

「あなたのところのお弟子さんたちにやられたんですぅー! くぉぉ……私が魅力的だからって、あんなに下心満載で飲め飲めと」


(うーん、これは私も少し悪いのかな……?)


 一色姉妹の味方になる久遠を適当な場所に遠ざけて配置したのは聖だ。その結果が一色姉妹の恋を応援する彼女が少し邪魔になることを承知の上でこの席に逃げる程のストレスを感じたのであれば彼女の責任だろう。


 だからと言って、村井をめぐる戦いで譲ることは何もないが。


「あ、若鶏の唐揚げ来ましたよ」

「取り分けて私の前に持ってきてください。お兄さんに食べさせてあげるので」

「私がやるから琴音ちゃんは自分の分を食べてね~?」

「……時間減らしますよ?」


 笑顔でそれほど大きな声を出しているわけでもないと言うのに謎のプレッシャーを与えてくる琴音。さしもの聖も村井家のスケジュールを管理している琴音には大きく出られないようで大人しくなった。


「うぐぅ……」

「あのフォマを完全にやりこめてる……流石お姉ちゃん」


 琴音に尊敬のまなざしを向ける彩音。そんなやり取りを間近で見ながら村井は酒を口に運ぶ。


(……賑やかだなぁ)


 あの日、琴音と花音に出会う前は考えられないほど賑やかな毎日を過ごしている。村井としては豊富な引退資金で静かな生活を決め込もうと思っていたが、その思いとは裏腹な騒がしい生活だ。


 だが、決して悔いはない。


(色々と決断を先延ばしにしてるが、殆ど考えは決まった。花音と彩音には読まれていることだろうが……)


 彩音の一周年記念日。村井が人知れず心に決めたこと。彩音はそれをふと読んでしまったことで暴走したのだろう。それが他の人に伝わっていないとは思えない。


(ま、それでもこれだ。これからも楽しい隠居生活になるだろう)


 思っていたのとは趣が異なるが、これも楽隠居には変わりない。村井は大きな困難を乗り越えた美酒を飲みながら喧噪に巻き込まれていくのだった。



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楽隠居を目指して 古人 @furukihito

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