10
夢を見た。私は明るい日差しが降り注ぐ豪邸の庭にいた。その庭の、隅にひっそり佇む大きな木の影に隠れて、ひとり泣いている少年がいた。
どうしたのと声をかけても、翼が生えている小さな背中をひくつかせてしゃくり上げるだけ。
おろおろとその場を行ったり来たりした後、そっと背中をさすってみる。泣きじゃくる少年の側にいることしかできない、無力な私の夢だ。
ぼんやりとした意識の中、体を優しい温もりで包まれている気がした。
この温度は知っている。いつも朝になると『恵風』を送ってくれる彼の体温だ。でも、何故寝ているのに彼が側にいるのだろう。不思議に思いつつ目を開けて、喫驚した。
「おはよ」
まだ寝起きなのか、とろんとした金色の双眸と視線がぶつかる。枕にしていたカイルの腕から起き上がり、ベッドの隅に迅速に移動して衣服を確認した。服の乱れはないようだ。私の慌てぶりがおかしかったのか、起き上がったカイルはくすっと笑った。
「何もしてないから安心しなよ。添い寝だけ」
「添い寝……昨日は確か……」
「いきなりビアンカがキスしてきて抱きしめてきたと思ったら、花の香りが漂ってきて、気がついたら寝てた」
そうだ、昨日の夜私はカイルの両親の話やカイルの過去を聞いて、癒しの魔法をかけた。そしてそのまま、ふたりして寝てしまったようだ。
カイルは、折りたたんでいた青灰色の翼をうんと広げてほぐした。
「狭かったよね。私、けっこう真ん中で寝てた気がするから」
「んー全然。すっごく快眠だった。ビアンカの抱き心地良かったからかな」
「だきっ」
「抱き枕って意味だよ。何もしてないって言っただろ?」
ケラケラと楽しそうに笑った。カイルはいつも明朗だが、今朝はどこかさっぱりしたようにも感じる。
「夢を見た。俺がコールドウェルの本家の庭で、隠れて泣いてる夢」
「えっ」
「辛いのに助けてって誰かに言うことができなくて平気なふりしてさ。木の影なら誰にも見つからないからって、泣いてた。そしたら、どこからか妖精が現れて寄り添ってくれた。久しぶりに良い夢見れたし、寝起きも最高」
私の夢と同じだ。けれど、私とカイルとでは夢の印象がだいぶ違うようだ。
「誰かに気づいてほしかった。苦しくてずっともがいてることを。でも弱いところを見せたら、両親が悪く言われるかもしれないからって痩せ我慢してた。だから、弱った心に気づいてくれて、寄り添ってくれてありがとう。ビアンカ」
無力ではなかったのかもしれない。カイルの晴れやかな顔に、ほっと胸を撫で下ろす。
「ビアンカが初めてだよ。弱い所を見せたくなくてわざと遠ざけたのに、助けたいからって近づいてくるお節介な人は。みんな、コールドウェル家とか射手団長とかいう地位にあやかりたい奴らばっかりでさ。俺の気分を害するようなことは避けたくて、ちょっとでも嫌な顔したらご機嫌取りにまわるから」
「……初めてのご感想は?」
初めて魔力を口移しされた時にカイルから問われた言葉をそっくりそのまま返すと、カイルは苦笑いを浮かべた。
「かなり恥ずかしいな」
「強がってばっかりじゃカイルが壊れてしまうわ。心が休める場所を作らないと」
「じゃあさ、ビアンカがなってくれる? 心の休憩所」
「でも『風花の契』が終わったら、私」
「花の代表としてここにいる時だけでいいから。少しだけ」
ベッドの隅にいた私のもとへ近づいてきたカイルに、柔く抱きしめられた。顔を首元に埋めてきて、青灰色の髪の毛がくすぐったい。
「あと少しだけこのままでいたい。そしたらまた、頑張れる」
耳元で囁かれた声の甘さに、胸の奥がざわめいた。カイルのためになれるのならと、つい頷いてしまう。
カイルの背中に手を回す。再び癒しの花の香りを放とうとしたが、止められてしまった。
「あ、それは無し。また寝ちゃいそう。寝坊したら団長の面目丸潰れ」
「そうね。二度寝はいけないわ。私も遅刻して大神官に怖い顔で睨まれたくないから」
ふたりでくすくす笑った後、私を抱きしめていたカイルの腕の力が緩んだ。
彼の金色の瞳が、まっすぐ私を射抜いてくる。相手を威嚇するような強い視線ではなくて。まるではちみつみたいな優しい甘さを纏っていた。
顔が近づいてきて、重なった唇から爽やかな風が吹き込まれてくる。
いつもと同じ『恵風』なのに、とくとくと甘やかに胸が高鳴るのは、離れていく唇に寂しさを感じてしまうのは一体何故だろう。
ほう、と口からこぼれ落ちた白い花弁が、僅かに開かれた窓の外へと行ってしまった。
ふと、その窓から流れ込んできたのは夏の暑さをまとったものではなくて、かすかに侘しさを感じる涼しげな風。
もうじき秋がやって来るのを知らせるかのように、私の体を掠めた後、すうっと消えてなくなってしまった。
(つづく)
春になったら優しいキスで目覚めたい 空草 うつを @u-hachi-e2
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