9

 カイルの部屋はいつも明るい彼とは不釣り合いなほど、殺風景だった。大きな部屋の真ん中にぽつんと大きなベッドがあるだけ。不必要なものは何一つない。ベッド脇のランプに灯りをつけても、温かさなど感じないほどに寂しい部屋だ。


「この部屋にはメイドも入れてない。掃除も自分でしてる。外では愛想良く振る舞わないといけないから、ここでは感情を無にしてただ寝る為だけに帰る場所にしたくて、余計なものは置いてないんだ」


 座る所はベッドしかなくて、そこにふたりで並んで腰掛けた。カイルは枕元にあった小さな扉から、一本の羽を取り出してきた。手のひらに乗るほどの大きさの青灰色の羽だ。


「これは遺羽いばね。デグーでは、親しい人が亡くなった時、翼を取ってお守りにする風習があるんだ。亡くなったバーディルの雨覆羽あまおおいばねが様々な災いから守ってくれる、と信じられているから」

「じゃあ、この羽は……」

「父さんの遺羽だ。ログに聞いたんだろ? 父さんと母さんの話」

「なっ」

「あいつ、堅物だって言ったろ。ビアンカには自分から話したことを言うなって言ったらしいが、その後に俺のとこに謝りに来た」

「ごめんなさい。私、どうしても」

「いいんだ。ログが言っていたのはデグー国民ならみんなが知ってること。でも、本当のことは俺しか知らない。父さんの力は弱ってなどいなかったし、母さんは育児放棄なんてしていない」

「……どういうこと?」

「父さんは本当に力のある人だった。戦の時、放たれた矢を防ぎきれなかったのは、自分ではなく子ども達を守っていたから。学校や孤児院、小さな子ども達を持つ家が戦禍に見舞われて、子どもやその両親が犠牲になるのを防ぐ為に父さんはそれら全ての領域に強力な風壁の魔法をかけていた。だから自分の防壁に力が回らなかったんだ」

「それなら……」


 何故カイルの母親であるアリアが非難されるのだろう。それが真実ならば、きちんと伝えれば分かってもらえるはずなのに。

 私がそう言おうとしたのは、カイルは知っていたのだろう。首を横にふって、続けて話しだした。


「俺がその話を父さんの部下だった人から聞いたのはかなり後のこと。俺も、ちゃんと本当のことを世間の人に話そうとしたんだけど止められた。実は、父さんは同盟国側だけでなく、敵国の子ども病院にも風壁の魔法をかけていた。そこには難病をかかえた子ども達が大勢いて、戦が起きても逃げられない状態だったそうだ。でも、その病院には怪我をした軍人も運び込まれていたらしい。それを知られたら、裏切り者のレッテルを貼られるから黙っていてほしいって釘を刺された」

「でも、そうしたらカイルのお母様が……」

「真実がデグーに伝わることはなかったからな。英雄であるヒューズ•コールドウェルがただの矢なんかで死んだなんて納得できない誰かが、責任を誰かに押し付けたかっただけなんだろう。もともと母さんが父さんと結婚したことをよく思っていなかった人達が、英雄を殺したのは魔力をもたない悪女、っていうくだらない噂を広げて回って面白がってただけなんだ」

「……そんな、酷い……」


 夫が亡くなり他人から言葉で責め続けられたら、心も病んでしまう。でもカイルは、育児放棄はされていなかったと言っていた。


「母さんは魔力は持っていなくても心の強い人だった。どんなに罵倒されようと、俺の前ではいつも笑顔だった。父さんの戦死を知らされても気丈に振る舞ってた。だけど、父さんの葬儀が終わった直後、俺は無理矢理コールドウェルの本家に連れ去られた」

「どうして?」

「父亡き後、俺が正式にコールドウェル家の跡取りになった。魔力のない母親のもとでは由緒正しきコールドウェルの家が廃れる、と言って……それからしばらくして、母さんが流行り病で亡くなったと聞かされた。死に目にも合えず、葬式もあげられなかったから、母さんの遺羽は俺の元にはない」


 羽をなぞるカイルは憂いを帯びていて、何と声をかけていいか分からない。


「父さんは母さんのことを愛してた。魔力がなくても前を向いて明るくたくましく生きている、その強さに惚れたんだって。最期に父さんと話したことは鮮明に覚えてる。『母さんを守れるのはお前だけだ。しっかり頼む』。父さんは射手団長だったからなかなか家にいない人だったけど、俺のことを信頼して頼ってくれてるんだって思ってすごく張り切った。父さんも母さんも俺にとってはかけがえのない大切な家族だった。それなのに俺は……父さんとの約束を守れなくて、母さんを……」


 カイルは、悲しくも怒りに満ちた表情をした。男達に暴言を吐かれた時に見せたものと同じ。あの時顔に表れた悲しみや怒りは、男達に向けたものではなくて、大切な人を守れなかった自分へ当てたものだったのだろう。


「コールドウェルの本家に連れ去られた次の日から、弓矢や風魔法の特訓を朝から晩までさせられた。辛くて苦しかったけどさ、言われたことをできなかったら、お前の父親はもっとすごいことができたのに、とか、これだから魔力のない母を持った子は、とか散々嫌味を言われた。俺ができないと父さんや母さんが悪く言われる。でも、できることが増えれば増えるほど、さすがコールドウェル家の跡取りだって喜ばれて、母さんは悪く言われなくなった。子ども心ながらに、今度こそ父さんとの約束を果たさなければって思ってさ、辛いのも全部隠して誰よりも強くなろうとしたんだ。でも……奴らに言われて気づいた。いくら強くなったところで、俺は、何も守れないんじゃないかって」


 父親を亡くし、母親から引き離された少年の心は喪失感と悲哀でボロボロだっただろうに。両親との別れを悲しむ時間も与えられず、コールドウェル家の跡取りとして弱音を吐くことは許されず。

 心が折れてしまいそうな状況の中、ここまで強くなったのは今度は大切な人を自分の手で守りたいと強く思ったから。強くならなければと、ずっとひとりで頑張ってきたのだ。

 だけど、それは腐りかけの大木と同じだ。中身はボロボロでいつ崩壊してもおかしくない状態だが、外から見たら幹も太く頑丈そうに見えてしまう。

 このままでは、カイルの心は壊れてしまう。

 カイルに必要なことは、私にできることは。


 考える前に体が動いていた。

 カイルの唇に、唇を重ねた。

 

 ——花よ、香れ。


 唱えたのは、癒しの魔法。花の香りを口移しして、心を包み込むもの。

 カイルに必要なのは、弱りきった心に寄り添う存在。はばたき続けた翼や心や体を休めなさいと、カイルの心を想像して花の香りを柔く送り込んでいく。


 淡い蜜の香りを流し込んで唇を離した後、ぎゅっとカイルを抱きしめる。心だけではなく、体も花の香りで満たして包み込んだ。


「……ビアンカ?」

「私にできることはこれくらいしかないけれど……今だけは何も考えないで。花の香りに身をゆだねて」


 本当なら、少年時代のカイルをこの手で抱きしめてあげたい。苦しいのを必死で我慢して、必死に強くなろうとしている傷だらけの少年を。けれどそれはできないから


「今までひとりでよく頑張ったね。今は休んで。私の胸で……」


 少年のカイルに呼びかける。気休めにしかならないのは分かってる。

 でも今夜だけでもいい。孤独に打ちひしがれてもなお、強くあろうと無理をし続けた心を、体を労って、慰めてあげたいと思った。

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