午後6時
「あれ、すず? こんなところでひとりで何してるの?」
窓際の席でトウと机を挟んで向き合ったまま座っていると、ジャージ姿のミオちゃんが教室に入ってきた。
陸上部で短距離の選手をしているミオちゃんの肌は健康的に日焼けしていて、耳が見えるくらいに短くしているショートヘアがとても似合っている。
「ミオちゃんこそ、どうしたの? 忘れ物?」
「そうそう。数学の問題集。明日提出だよね。帰ったら必死にやんなきゃ」
「それ、わたしもだ」
顔を顰めているミオちゃんに笑いかけると、ミオちゃんが何気なくと言ったふうにわたしの前の空間をぼんやりと見て、それからわたしに視線を戻す。
「すず、さっきまでここで誰かと電話してた?」
「ううん、文化祭のときに合唱部で歌うかもしれない曲を歌ってた」
「ああ、それで。廊下を歩いてるとき、教室から女の子がひとりでしゃべってるみたいな声が聞こえたから」
「怪しかった?」
「ううん。歌の練習でしょ。合唱部のステージ見に行くね」
「ありがとう」
「じゃあね」
笑顔でお礼を言うと、ミオちゃんがわたしに手を振ってバタバタと教室を出て行く。
ミオちゃんの足音が遠ざかって聞こえなくなると、わたしも立ち上がって、座っていた椅子を元の場所に戻した。その様子を、トウが窓際の席に座ったままじっと見ている。
「トウ、また明日ね」
座ったまま見上げてくるトウに手を振ると、トウの唇が静かに動く。
『また明日ね』
唇の動きでトウの言葉はわかるけど、午後の6時を過ぎた教室では、彼の声はわたしの耳に届かない。
わたしとトウが直接言葉を交わすことができるのは、放課後のたった5分。午後5時55分から6時までのあいだだけ。
トウ曰く、彼はいつの頃からか二年三組の教室に住み着いているユーレイで、その姿はわたしだけにしか見えていないらしい。
教室の窓際から離れられないトウは、なぜか放課後の5分間、わたしとだけ会話ができる。わたしも、毎日放課後の5分間だけ、トウの時間を独占できる。
わたしにだけしか見えない、わたしだけの透明色の男の子。
トウとの時間とわたしの想いは、誰にも言えない。それはわたしと彼だけが知っている、放課後の秘密。
fin.
透明色の恋人 月ヶ瀬 杏 @ann_tsukigase
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます