SNSという名の焚書

うなぎの

第1話

 皆さま、数ある小説の中でこちらを選んで頂き誠にありがとうございます。わたくしうなぎの心より御礼申し上げます。


 さて、皆さま。人類史始まって以降長きにわたり繰り広げ続けている一つの戦いというものがございます。そう、あらゆるものを意のままに操ろうと目論む権力者と、それと対立する者達との戦いでございます。この両者と言いますのは時に謀略、また時に暴力と、お互いに様々な方法で圧力を掛け合って来たわけでございますが、今回はその数ある方法の内の一つである、『焚書』について持論を述べさせていただきたく存じます。 



焚書



これは、焚書ふんしょと読みます。いったいこの焚書どういった事かと申し上げますと簡単でございます。という事でございます。多くは、時の権力者たちが、自分たちにとって都合の悪い内容を記した書物を検閲けんえつする目的で古今東西あらゆる地域で行われて来たものであり。見方を変えますと、人類という文明において、書物と言う存在がいかにパワーを持っているのかを証明するかのようなどこか狂気的な儀式でございます。


有名なものでは、反社会主義を目的としたナチスドイツの焚書。更に古くは、秦の始皇帝の時代にまでその歴史をさかのぼることが出来ます。身近なものでは、日本の江戸時代、遠山景元(かの遠山の金さん)が、当時の人々の劣情を描いた木版画(人情本とも言う)の版木を燃やした。などという記録も残っているようです。


しかしながら、時の権力者たちが行って来たこれら焚書に、果たして効果はあったのでしょうか?


答えはNOでございます。


社会主義は現在でもどのような物なのか調べることが出来ますし、ここ、カクヨムではありとあらゆる人々の劣情を記した書物の数々を閲覧することが出来ます。


彼等は、燃やせば燃やす程に、激しく抑えつければ抑えつけるほどに、皮肉にも自らの不都合を露呈していきました。


では、時の権力者たちは、反対勢力に屈してしまったのか?これもまたNOでございます。


彼等は、時と共に考え方を検めました。より、効率的に、狡猾に、スマートに。彼等はこう考えました。


力づくで奪うのではなく、より良い物を与え、自ら手放すように仕向けよう。と。


インターネットの登場です。


今まで本から知識を得ていた人間たちはこの刺激的なシステムに飛びつきました。辞書で言葉を調べる事をやめ、読書感想文をコピーアンドペーストで済ませ、表紙を開くよりも先に通販サイトの★の数をチェックするようになりました。


人類の多くが、書物を手放した歴史的瞬間でございます。


本を焼く必要など初めから無かったのでございます。

小さな町から呉服屋や青果店が姿を消したのと同じく、重要性を失った書物を人は自ら紐で縛り上げて燃えるゴミの山に放り投げました。


しかしながら、これでもまだ不十分なのです。


本という存在を海と例えますと、彼等の行った行動はあくまで代替品である大きなプールを与えただけに過ぎないのです。海の元となる思想の源流、その流れを変え、コントロールする必要がありました。


頃合いを見計らい彼等の計画はフェーズツーへと移行いたします。

それが、皆様よくご存じ、スマートフォン・SNSの席巻でございます。


ここまで、お話すれば勘の良い方は、わたしが何を言いたいのか何となく見当がつくかと存じあげますが何卒お許しくださいませ。


単刀直入に申し上げますと、SNSと言うツールは世界中のユーザーをオーディエンスとした超巨大な『多数決装置』なのです。そこでは、日夜、バズり、炎上、いいね!、ハート、グットボタン、チャンネル登録、ありとあらゆる方法で多数決が行われています。多くの人間に支持されるものが多数派となり、主流となり、王道となり、必然的に少数派は隠され、無視され、締め出され、にされてしまうのです。


焚書の完成でございます。


少々駆け足気味かつ、飛躍しすぎな持論かも知れません、少数派は締め出されると申しましても、よほど酷くない限りは発言の権利を有しています。今のところは。




                                 おわり

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SNSという名の焚書 うなぎの @unaginoryuusei

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