【24】祖父と祖母達と父と

 私の家の車庫には、隣に木工仕事をする部屋があり、大工である祖父の仕事道具がたくさん収納してある。祖父は二年前までは、働いていた工務店の嘱託で大工の仕事をしていたが、腰を痛めてからは退職した。今でも専門的な大工仕事が必要な時は、店に頼まれて出かけていくこともある。


 祖父耕作は元々京都の大原で生まれ育った。高校を出て工務店に就職すると、住み込みで働き、24の頃、遠縁だった祖母実里と見合いした。その直後、実里の父が脳梗塞で倒れ、耕作は時期を早めてその半月後に急遽婿入りをしたのだとか。そこまではこれまで聞いて知っていた話である。



「迎え火の木材、取りに来たんだ。今年も一緒に迎え火焚き、やってくれるか?」


 私は祖父の目をじっと見つめた。


「おじいちゃん、話してくれる?」


「うん?」


「おばあちゃんに話してもらうのは酷だと思ったの。おじいちゃんから聞きたい」


 祖父は、うん、と言って椅子を指さした。


「座りなさい、お茶飲みながらにしよう」


 祖母が朝のうちに水筒に入れたお茶を紙コップに入れてこちらへくれた。自分の分も同じようにすると、キュッと音を立てて水筒の蓋を閉めた。


「お前の本当のおばあちゃんは、俺の勤め先だった工務店の跡取り娘だった」



「どんな人だったの」


「背がすらっとして、髪が艶やかでな。目は、洋平にそっくりな鳶色で、笑うと左側だけ八重歯があったんだ」


「あ……」


 汐里は口元を押さえた。耕作は目を細めて汐里を見た。


「うん、お前と同じだな。嬉しそうに笑うとその八重歯が見えて可愛かった。でもそれを恥ずかしそうに手で隠すんだよ」


 耕作は過ぎてしまった遠い昔を見つめるようにして言った。


「秀平が小学校に上がった頃やった」


 耕作の話は続いた。


 京都の本願寺の修復に、全国から職人を募集していた。宮大工としても腕のあった耕作は、工務店から話を貰った。社長は、ついでに実家の方にも顔出しに行けるだろ?と言った。社長も婿養子で、何となく耕作のことを気にかけてくれていたのだ。ありがたく受けることにした。


 仕事の合間に、古くからの知り合いには顔を出しに行ったが、その頃親父さんから代替わりしてるはずだった元の工務店には顔を出し辛かった。幸恵は婿養子を貰ってその店を継いでいた。そんな家に恋仲だった男がご機嫌伺いに顔を出すのもおかしいだろうと思ってのことだった。



 まだ京都の工務店で住み込みで働いて居た頃、祖父は2つ年上の幸恵と何となく恋仲になった。その時既に祖母とのお見合いの話は間近まで進んでいて、遠方からやってきた実里と両親の手前、断ることができずに見合いはした。


 見合いのしばらくあと、親方に幸恵との仲がバレた。親方は耕作なら、と言って、幸恵の婿に貰えないかと、耕作の親に掛け合ってくれた。親も遠方に婿養子に出すよりは条件がいいと、見合いを頃合いを見て断ろうとした時、実里の父親が倒れたと連絡があった。命に別状は無かったが、なるべく早く婚儀を済ませたいと催促され、事情からどうしても断ることが出来なくなった。察した親方は、心を鬼にして耕作と幸恵を別れさせた。幸恵にも見合いさせて縁組を決めてしまったのである。


 祖父と幸恵は別れることになった。まだ旧式の風習が根強く残っている田舎の家の事だ。耕作も幸恵も仕方ないと最後は諦めて、お互い幸せになれるよう努力しようと話をして別れたのだった。


「それがな、出張してきてたことは内緒にしてたのに、どういう巡り合わせか、幸恵と偶然ばったり会ってな」


 おじいちゃんはお茶をすすって小さく息をついた。


 工務店の女将として働いてると思っていた幸恵は、土産物屋でパートしていたそうだ。工務店は父親が亡くなって、幸恵の婿養子だった男の代になってすぐに傾き始め、その上女を作って出ていった後始末を付けた幸恵は、借金を抱えた。その上、工務店が倒産したすぐあとに母親は脳卒中で身体が不自由になり施設に入所。働いても働いても金は出ていくばかりで生活にも苦労していたそうだ。積もる話を聞くうちにまた縁が繋がった。夜の仕事もしていた幸恵の勤めてた店に通ううち、いつしか情を通じてしまったという。


「こっちへ帰る前に会った時な、幸恵は妊娠してることを黙ってたんだ」


 それは思わぬ形で、祖父母が同時に知ることになった。


 工務店を売り払って、耕作が世話した住み込みの仕事に就いていた幸恵は、働いて少しづつ借金を返しながら前向きに頑張ってるはずだった。


 祖父がこちらへ帰ってきた3ヶ月後、施設に入っていた女将さんが誤嚥性肺炎でなくなった事を聞いて、生前の親父さんと女将さんが仲人だった耕作と実里は揃って葬儀に出席した。会場で会った時、幸恵は既に大きなお腹をしていたそうだ。


「俺の子だとすぐわかったよ。驚いたのは実里がそれを悟った事だよ。隣で青くなって倒れたんだ」



 そのまま病院に運ばれて、実里のお腹にも子が居ることが分かった。はっきり分かるまではと黙っていたそうだ。

 なぜ無理して葬儀についてきたのかと言えば、祖母は黙り込んで泣いたらしい。


「実里は気がついてたんだよ俺の不義に」


 おじいちゃんは辛そうな顔で言った。その声が小さくて震えていて、祖母を傷つけた事への後悔を感じ、私は胸がぎゅっとした。


 葬儀の後、浮気相手に会いに行かれるのがどうしても許せなくて、妊娠を隠して着いてきたらしい。


「その時は何とか持ち直したけど、半月後、やっぱり流れてしまってな。もう1人女の子が欲しいって言い続けてたから、立ち直るまで長くかかったよ。あ、いや……」


 おじいちゃんは目の端を指で拭った。祖父が泣いているのを私は初めてみた。


「立ち直るなんて、なかったと思う。傷を抱えたまま、周りには笑って歩いてきたんだよ。おばあちゃんは」


 おじいちゃんのその言葉を聞いたその時、私の中でカチリと何かがはまった気がする。祖母が時々悲しい目をしてる気がしたのは、それだったんだ。癒えない傷を抱えたまま、笑って生きてる人だったんだ。


「俺はその事に全く触れずに幸恵のことは知らん顔を決めて生きてきた。女1人子供抱えて大変だったと思う。気になって見に行こうかと思ったこともある。だけどな、自分が1番守らないといけないのは実里と秀平だ。そう自分に言い聞かせてた」


 8年後、幸恵から初めて手紙が届いた。膵臓癌で先が長くないと。親も亡くしていて子の引き取り手が無いので、子供を育てて貰えないかと言う相談だった。


「幸恵から手紙が来たことを知ってた実里は、その夜言ったんだ。幸恵さん、元気にしてるんですか?って」


 おじいちゃんは静かにその夜の出来事を語る。



 悩んだ末に、祖父は幸恵の子供が自分の子だということを話した。祖母は表情を変えずに聞いていたらしい。手紙を読んだ実里はそのまま布団に入って向こうを向いてしまったそうだ。


 翌朝、仏壇に向かって手を合わせていた祖母は、祖父に言った。


「洋平君、引き取りましょう」


 既に親達を見送っていた分、自分の胸三寸たということを祖母はわかっていて、祖父にそう言ったのだ。


「お前はいいのか?ってきいたんだ」


『まだ子供じゃない。可哀想よ。小学校2年生でしょう?そのくらいの年頃は意外と繊細なんだから』


 泣きながら、すまないと言った祖父に祖母は言った。


『謝らないで。あなた今までずっと心でごめんって言ってたでしょう?だから、もういいの』


 ホントの事を言って謝ってしまえば、祖父の気持ちは少し軽くなっただろう。だけど子を流して消えない傷を抱えた実里には嘘を突き通した。それは祖父が出来るせめてもの祖母への優しさだった。


「自分の子だと気づいていながら、知らぬふりをしてるの、しんどかったでしょうって、あいつ言うんだよ」


 祖父の目は濡れていた。


『あなたが優しいこと、私が一番知ってるんだから』


 年明け、幸恵は亡くなり、生前に洋平を養子にしていたので、葬儀が済んだあと、すぐに洋平を引き取った。


「優しい子だったな、あいつは。実里は洋平の事もほんとに大事にしてくれた」


 秀平や周りには耕作の従姉の子を引き取ったという事にしていたが、やがて大きくなるにつれ、父親が母親を裏切ったことを知った秀平は荒れた。



「罰だよ、俺の」



 叔父の秀平は、今でも父親を許していない。



























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