【11】満ちる恋心 2
濡れそぼった私たちは、気温の下がり始めた風に、寒い寒いと言いながら、駐車場へ戻った。フェイクレザーのシートだから良いよと言われてそのまま車に乗り込む。少し走った所で海沿いの民宿を見つけた梶田は、宿の風呂を使わせてもらう事を提案した。
生徒に風邪ひかせるわけにいかないからと言われて頷く。
先ず着替えないといけないが砂を洗い流したい。インターホンを鳴らしつつ震えながらその民宿の玄関先に2人で立った。
玄関の戸を開けたのは、そこの宿の女将で初老の女性だった。2人の無惨な姿をまじまじと見た女将さんは、迷惑がられるかと身構えた2人の心配を他所に笑い出した。
「まあまあ、寒かったでしょ。シャワー室があるから使ってちょうだい」
そう言ってタオル類などを用意してくれた。上がる前に足の砂を落とすためにたらいも用意してくれて、庭先からシャワー室へとあげてくれた。
「一緒に利用されるなら家族風呂もありますけど?」
店の親父さんが淡々と言うことに、梶田が顔をひきつらせ手を横に振りながら否定する。そういう風呂の存在もよく知らなかった私は、後から女将さんにどういう風呂なのか聞いて時間差で赤くなった。
梶田は二つあるシャワー室へ行き、私には女将さんが、自宅の風呂が湧いてるから浸かって来なさい、と言ってくれたのでお言葉に甘えさせてもらった。
着ていた物で無事だったのはブラだけで、民宿にかろうじて売っていたコンビニメーカーの下着を買って、替えの服は作務衣を女将が用意してくれた。
梶田も色違いの作務衣姿で、頭にタオルを被り休憩室にいた。ソファにすわってコーヒー牛乳を飲んでいたが、私が出てきたのをみて目が合うとにっと笑った。
「大澤も飲む?」
「あ、はい」
コインを自販機に入れて、出てきた瓶を渡してくれた。よく冷えて瓶の外側が汗をかいている。
「ちゃんと温まったか?」
「はい。でも、先生の方がびしょびしょだったのに、良かったんですか?」
「女の子は冷やさない方がいいから。俺はシャワーで十分温かかったから平気」
汐里は少し間を空けて梶田の隣に座った。先程は波を被った事もあってあやふやになってしまったが、思わず心で思ったことを口にしてしまった。それに、倒れ込んだ私を庇っただけだが、梶田の胸に抱きすくめられた事も思い出して、視界の中に時々動く梶田の筋張った手にドキドキした。
告白してしまった事に触れるかどうか悩んで、やめた。
副会長の事を思い出したからだ。
「洗濯物、乾燥機入れましたから、まああと1時間くらいですかね?」
エプロン姿の女将さんがやってきた。細身で小洒落て、祖母よりはずっと若いが50代位なのかな?という印象だった。
「ありがとうございます、何から何までお世話になって」
梶田が立ち上がってタオルを取って頭を下げた。自分もそれに習って頭を下げる。
「いいんですよ、たまにあることですから。どうです?良かったらお食事して帰られますか?」
女将さんがにこやかに営業スマイルを浮かべた。
「あ、そうですね2人分お願い出来ますか?」
「え?」
汐里が斜め後ろから梶田を見る。
「分かりました、お2人とも好き嫌い、アレルギーはおありですか?」
「大澤、なんか食べられないものってある?」
梶田に振り替えられて、首を横に振る。その頬が火照るのが分かる。タオルを取って、濡れ髪をかきあげただけの梶田は、軽く衝撃を受けるほどにかっこよかった。いちいち鼓動がうるさい。
「じゃあ、ランチ定食程度のもの、適当に作らせてもらいますね」
「よろしくお願いします」
女将さんがいってしまって、また二人きりになると、気まずくて居心地が悪くなった。コチコチという秒針の音がやけに大きく聞こえる。こんな状態で、帰りは1時間近く車で二人きりなの??無理!!
「海が、好きな人達だったのかな?大澤のご両親」
唐突に言われて顔を上げる。なんの事か一瞬わからなかった。梶田は宿から見える夕暮れの海を眺めていた。窓から差し込む朱の光が、二人を含めた全てを染めあげる。
「え?私の両親のことですか?」
「ああ、大澤の名前汐里だろ?さんずいに朝で潮とも書くけど、君のは夕方の方だ。今みたいな。潮は干れてもまた満ちる」
「満ちる?」
思わず梶田の顔を見た。
「自分たちの子供である君に、沢山幸せに満ちて欲しいって思ったんじゃないかな?名前つける時」
梶田の顔を見ると、少しだけ眉をあげた。
手を繋いで幸せそうに笑っていた二人が脳裏に浮かんで、私は何も言えなくなった。
汐里はしばらくその夕日を眺めていたが、ふと思い出した事を口にした。
「小学校4年生って、成人の半分で半成人式みたいなのを学校でやるんですけどね」
「うん」
「名前の由来をカードに書いて飾ったり、将来の夢なんかの作文を読む会をして、親に参観してもらうんです」
「うん」
「私だけ名前の由来が分からなくて」
「……うん」
「勝手にそれらしい事を考えて書いて出したんです。祖父母も、それを見て何も言わなかったんです。既に知ってたと思ったのか、気を遣ったのか。やっぱりどこかそういう気遣いはありましたね祖父母から。それが何となく寂しかった」
「そうだったのか」
「だから、嬉しかったです。先生がそんなふうに両親のこと考えてくれたこと。会ったこともないのに」
ガラス越しに見える紅い空。上の方はもう暗くなりかけて薄い紫色に染まりかけていた。
「どんな人だった?子供の頃の大澤から見て」
梶田の落ち着いた声に、不思議と先程までの動悸が少し収まった。
「お父さんは、おじいちゃんと性格は似てて穏やかで、でも頼りになる人だった。すごく私のこと可愛がってくれた」
「うん」
「メガネとか、笑い方とか。……先生にちょっと似てます。」
「ええ?」
「だとしたら私ファザコンなのかな?」
梶田はそれには相槌を打てなかった。思わず言ってしまった事なので、自分も不味かったかな、と思いつつ、少し笑って気にせず続けた。
「母は、私を産んだ後も地元の広報誌作る仕事してて、かっこよくて自慢の母でした。料理はよく失敗する人だったけど、父のこと大好きなんだろうなって言うのは子供心にわかったんです。私が可愛がられてると、汐里はいいなー、なんて半分本気で言ってましたから」
「仲、良かったんだね、ご両親」
私は笑って頷いた。
「だからかな、時々私はお邪魔かなぁ?なんておもったのは。それはずっと引っかかってて、思い出すとちょっとだけ傷つくんです、勝手に」
「……そうか」
「考えすぎなのはわかってるんです。置いていかれるんじゃないかって思ったことも。……でも、実際ほんとに置いていかれちゃったし」
膝の上の握りこぶしをぎゅっと握りしめた。ふわりと温かい感触に顔を上げると、その手を梶田がその拳をそっとにぎっていた。
「そんなにしたら痛いよ?」
その状況に顔が火を吹いた。
「ははっ大澤、タコみたいだぞ」
「う、う、ううるさいです」
「ウブだなー、新鮮」
からかうなんて、子供なのか?と、梶田が教師であることを忘れそうになる。
「セクハラですよ?」
「学校に言われたらやばいな〜」
「自業自得でしょう?」
「夜ご飯、奢るから黙っててくれる?」
覗き込んできた目が妙に優しくて、キュンとしてしまった。真っ赤になったまま、その視線から目が離せなくておずおずと頷いた。
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