【22】エール

 しばらくして涙が落ち着いた後、車に乗り込んで山を下り始めた。少し走ろうか、と言われて頷くと、脇道から出て湖のそばの道を行く。


 梶田は車を走らせながら、初めて家に送ってくれた日に言いかけた、家族の事情を話した。


 歴代教師の家系に育ったこと。父親が厳しく自分の思いどおりにはいかなかったこと。


「ほんとはね、考古学やりたかったんだ博物館の学芸員とか、研究者とか。反対されて数学の教師やってるけどね」


「でも、教えるのは嫌いじゃない、解らないできないって言ってた子が理解出来た時、すげえ嬉しいもんな」


 こちらをちら、と見て笑った。私は黙ってそれを聞く。


「そのうち金が溜まったらさ、塾の講師にでもなって経験積んで、いずれは独立して個人塾なんかでじっくり教えられる先生になりたいな」


「前にそんなこと言ってましたね」


「ああ、そうだったな」


 夢を語る梶田の横顔はなかなかいい顔をしていた。そんな人を心から想えた自分が誇らしくなった。


「まあ、現実はなかなかそうはいかないだろうけど」


 自嘲気味に笑った陸に、首を横に振った。


「……そっか、先生そんなこと考えてたんだね」


 まだ濡れた目で梶田を見ると、今度は照れくさそうに笑った。自分よりずっと大人なのに、なんだか子供みたいだな、と微笑ましくなる。


「……こういうこと、誰にも言ったこと無かった。でも、君には聞いて欲しかった」


 梶田は穏やかに言った。


「彼女にも言ってないの?」


 彼女の事を引き合いに出されて、少しだけ表情が固くなった梶田は、少し目が泳いでため息をついた。


「まあね。俺これでも格好つけだから、失敗しそうなこととか、叶いそうに無いことは言えないよ」


「私には言ったのに?」


 そう言いつつ、最後だから言えたのかもしれない、と気がついた。胸がちくりと痛む。


「不思議な人だよね、大澤は」


「うん?」



「早く大人になろうとしてたのかな?ご両親亡くして、おじいさん達困らせないようにして?」


「……自覚はある」


「その分、発散できなかった子供の部分が時々出るんだよ、なんかそれを見る度、可哀想というか……昔の俺を見てるみたいで、なんか苦しくなった。だからかな、話しても笑わないでいてくれるんじゃないかなって」


 はじめて言葉を交わした時のことを思い出した。1年の文化祭の時だ。黄色く色付いたイチョウがハラハラと舞う裏庭のベンチに一人座っていた。

 感傷にふけってる訳でもない。人混みに疲れてしまって1人になりたかったのだ。

 そこに梶田は現れた。


『見事な黄色だな』


 振り返ると、メガネのヒョロっと背の高い別の学年の教師がイチョウの木を見上げていた。


『みんなの所行かないの?』


『ああ、ずっと騒がしいのはちょっとしんどくて』


『ああ、同じだ、俺も』


 そう言って隣に座った陸は、ポケットから出した飴玉を1つこちらにくれた。いちごの柄の包み紙の可愛らしさに、見た目とのギャップに微笑みつつも、可愛い、と言った。


 その後は特に何か話したわけじゃなかった。その時から、どこかで会う度、一言挨拶したり、少しづつ話すようになったのだ。


「なんか、自分と空気が似てたんだよな、最初から」


「そっか」


 私は妙に静かな気持ちだった。一度感情的に泣いたことで心は静かだった。


「結局、君を振り回しちゃったな」


 言葉に終わりの匂いがした。


「振り回されてなんか、ないよ。沢山話も聞いてもらったし、楽しかったよ」


 振り返れば最後の出来事以外、梶田がいた事でこの数ヶ月はなんと幸せな季節だっただろう。思うと、朝露がまだ残る青々とした木々すら美しく見える。


 私はいつの間にか口元に笑みを浮かべていた。


「俺も、楽しかった」


 梶田は静かに言った。目をあげると、彼は自分と同じように微笑んでいた。



 *


 話をしてるうちに、海斗の家の前に着いた。じゃあ、と言って車を降りようと、ドアを開けようとした私を梶田は呼び止めた。


「大澤、もう一つだけいいかな?」

「うん?」


「おじいさん達のこと」


 メガネの奥の眼差しは教師のそれだった。


「逃げずに、本音を話した方がいい」


 梶田の提案に私は俯いた。


「……できないよ」


「君が大好きな人達だろう。きっと、ちゃんと受け止めてくれる、許してもくれる」


 気がついた時、手に何かを握らされた。


 手を開くと、いちごの飴が載っていた。私は目を見開いた。


「ふっ……」


 私は思わず笑った。


 初めて言葉を交わしたあの日、この飴をくれた梶田は、言ったのだ。


『元気が出る飴玉。ちょっと勇気や、元気を出したい時食べるといい』


 じわりと目が潤んだ。


「きっと、わかってくれる、きっと、今の君ならちゃんと話を聞けるはずだよ」


 その静かな眼差しに、ふつふつと胸の奥から何かが湧き出てきた。


「うん、話してみる」


 ふと梶田が家の方へ視線を移した。海斗が玄関前に出てきて、バイクにもたれかかりながらこちらを見ていた。


「彼とは?」


「バイト先の友達。一昨日の夜、あの後すぐにばったり会って、ここに連れてきてくれたの」


「……そうか」


 梶田の目を見て感じ取った、この目は知ってる。あの夜コンビニのガラス戸に写った私の目と同じだ。


「彼が羨ましいよ」


 梶田は言った。


「お互いが望めば、この先一緒に歩く事も出来る」


 海斗を見つめたままの、メガネの下の目が微かに潤んだ。


 私だって、同じ気持ちだ。彼女はこの先梶田の隣を歩ける。神様はどうしてこんな風に私たちに悪戯をしたのだろう。



「じゃあね」


 今度こそ、ドアに手をかけて言った。


「ああ、頑張れよ」


 差し出してきた、梶田の手を握る。最後に絡んだ視線を振り切るように、最後に少し手に力を込めて離すと、車をおりた。


 その赤い車体が、山道を下りながら走り去って行くのを、私はいつまでも見つめていた。まだ、心が引きちぎれそうなほど痛い。我慢していた透明な熱い涙が次から次からこぼれていく。いつの間にか隣に来ていた海斗がタオルをくれた。


「ほら、もう暑い時間だから、中入ろ?」


 そっと肩を抱かれたのを1歩離れて拒む。海斗は両の手のひらを上げて降参のポーズをとる。


「……そんなつもり無かった」


「わかってるけど……たまに距離おかしい時あるよ、海斗」


「うるせぇ」


 赤くなりながら行き場の無くなった手で頭の後ろを掻いて、先にスタスタと前を行き、玄関のドアを開けた。


「梨剥いたけど食う?」


「……食べる」


 涙を拭いて、無理に笑ったけど上手くいかなかった。海斗は見ないふりしてドアを押さえて、私が泣きながらも中に入るのを待ってくれた。


 しばらくして仮眠から起きて、私の目が真っ赤なのに気がついた美帆に驚かれた。


「海斗、あんた、汐里ちゃん泣かしたの?」


「ちげーよ!」


「違うんです!」


昨日のこともあったので、海斗がお昼ご飯を用意してくれる間、美帆さんに話を聞いてもらった。家族のこと、梶田とのこと。一昨日あったことと、先程の別れの事。そっか、と起き抜けの顔で一通り聞いてくれた美帆さんは、隣合って座っていた私の肩を優しく抱いてくれて、もう片方の手で頭を撫でてくれた。


 擦らないようにする事と、直ぐに冷やすことを昨日教わったばかりで、それを実行に移して横になった。海斗も課題やるから、と2階にあがってしまい、居間の横の一室はしんとしていた。まるで今朝からの出来事が夢の中のことのように思えてきた。


 セミの鳴き声がだんだん遠くなり、私はいつの間にか眠ってしまったようだ。

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