【3】隠されていた真実

 翌年、高校二年の桜の季節。私の両親の法事が市内の寺で行われた。伯父夫婦と祖父母と5人が久々に顔を合わせた。法要の順番が来るまでお寺の座敷で休憩をしていた時のことだった。


「汐里もいいお姉さんになっちゃったもんだね、こっちに来た時はまだ低学年だったのに」


 伯父はすっかり娘らしくなったと、制服姿の私を見て目を細めた。その伯父の姿形は、私の記憶の中の父とはあまり似ていない。歳はそろそろアラフィフ。伯父の顔立ちは面長で祖母に似ていて、体つきはがっちりしていた。汐里の亡くなった父は祖父に似ている。顔立ちも剽悍な体つきも。祖父と唯一違うところは、父は瞳の色が鳶色で、私の目の色とそっくりだった。それは祖母とも違っていた。そして私は祖父母たちとも伯父とも似ていない。母にも似ていなかった。皆で集まるとそれを余計感じる。祖母は、私の母方の先代に似てるらしいわ、とよく言ってくれていたが、写真もないのでそうなのか、と思うしかなくて、遺伝って不思議だなぁと思うのだった。


「でも、母さんもよく育てたよね、三度も子育てして」

「三度?」

 私は聞き返した。

「血の繋がってない洋平や汐里まで育てたんだからさ。ほんと立派だよ」

「秀平!」

 普段穏やかな祖母が言葉鋭く叔父を制した。その声は大きくなかったが、とても怖かった。


「なんだよ、え?まだ汐里に話してなかったの?」


 私は何を言われているのか、聞こえてはいるが頭の中で上手く処理できなかった。


 チガツナガッテイナイ……?


 祖母をぼんやりと見つめた。祖母も祖父も意図的に私と目を合わさないでいる。どういうことなのかと口を開こうとした時、法要の順番がきた。


「お待たせしましたー、大澤様、こちらへどうぞ」

 控え室へやってきた係の人の声に、皆が我に返った。


「行きましょうか」


 祖母は何事も無かったかのように立ち上がった。その静かな動作はいつもと変わらず穏やかだが、声をかけることを拒絶した空気を纏っていた。祖父が部屋を出、皆はそれに続いた。


 法事の間、隣に座っている祖母の顔を時々横目で盗み見たが、その表情は読み取れなかった。本当ならそのあと皆で食事をする事になっていたが、伯父夫婦が、用事を思いだしたから、と言って先に帰っていった。帰り際こちらをチラリと見た伯父の顔には、余計なことを言ってしまった、と書いてあった。


 スーパーに買い物に寄って、寿司などを買って家に戻ると、三人は重い空気の中さっさと早い夕飯を済ませた。


 だが、疑問が頭の中をぐるぐる回って、何を食べたのか正直よく覚えていない。


 食後しばらくして、祖父母は1度部屋に上がった私を呼んだ。


 二人は孫の私の目から見ても、とても仲が良い夫婦だった。ひとつしかないお饅頭は、大抵祖母が祖父に譲り、祖父が半分にしたのを祖母に渡す、そんなベタに仲のいい二人をみてきているので、自分もいつか家庭を持ったら、老後はこんな夫婦になれたら、などと思っていたのだ。


「さっき、秀平が言ったことなんだけどな」


 祖父が言いにくそうに言い淀んだ。1度隣を見た祖父に、祖母が一つ頷いた。祖父はため息をひとつつくと、話の続きを語る。


「お前の父さん、洋平は、実里じゃなくて、別の女性との間に生まれた子なんだ」

「え……?」

 私はにわかに信じられなくて、祖母の顔を見た。複雑な表情で祖母は頷いた。

「……嘘」

「いや、本当の事だ。洋平が小学生の頃、母親だった女性は病気で亡くなったんだ。その人は洋平の引き取り手が無くて、困ってこちらへ連絡してきたんだ」


「私も納得して引き取ったのよ。洋平も大きくなるにつれて私の事母親として大切にしてくれたし、亡くなった今も自分の子だって思ってるよ」


「……そんな 」


 祖母は血の繋がらない子を育て、さらにその子供の

 汐里まで、引き取ったと言うことになる。


 私は愕然として、そしてこれまでの祖母を思い出していた。


 小学生の頃、祖母にかかってきた電話で、友達との旅行を断っていた事をがあった。祖母はいつも私を優先してくれていた。食事会や、イベント等のお土産を持ってきてくれる友人たちの話を、和気あいあいと楽しそうに聞いているが、自分はそこへ混じることがほとんどなかったと記憶している。


 1度だけ聞いたことがある。


「おばあちゃんは、お友達と一緒に旅行に行かないの?」


 その時、祖母は答えた。


「おばあちゃんはね、旅行なんか行かなくてもおじいちゃんと汐里が居るのが一番なのよ?」


 そう言ってから、


「でもそうね、汐里が大きくなって、やりたいことのために家を出ることがあれば、寂しくなっちゃうから、お友達と旅行にでも行こうかな」


 と笑ってつけ足した。


 それは、本心だったのだろうか。

 私がいるから、祖母自身は好きなことを犠牲にしてきたのでは無いだろうか。その疑問は汐里の中で静かにずっと引っかかっていたことだ。


「おじいちゃんが、浮気したってことなの?」


 汐里は言ってから後悔した。口から出て耳で聞いた言葉は、思ったよりも衝撃が強かった。祖母は俯いた。自分の中に祖父への嫌悪が湧き上がった。まるで水中に落とした一滴のインクが、モヤモヤと異質な色を広げていくように。


「……そうだ、俺はその時、大切にする人を間違えたんだよ」


 祖父の言葉にかっと血が登った。


「じゃあ、お父さんは間違えて生まれてきたんだ?」


 私の声は自分でも驚くくらい冷静で、冷ややかだった。自分の声だと思えないほど。祖父母はハッとしてこちらを見た。私はその視線に耐え難くて立ち上がった。


「汐里、それは……」


 祖母が何かを言おうとしたが、背中を向けて居間を出て階段を駆け上がり、自分の部屋へと戻った。頭がジンジンした。手足も冷たくてまるで自分の物じゃないみたいに思えた。ベッドの布団に潜り込んで丸くなって、心が落ち着くのを待ったが、その焦燥感と苛立ちはなかなか落ち着こうとしなかった。どれくらい経ったのか、しばらくして、祖母が部屋の戸をノックした。


「汐里、話を聞いてくれない?」


 戸の向こうから心配そうな祖母の声が聞こえる。


「ごめんなさい、今日は疲れたから」


 私は祖母に申し訳なくて、そういうと頭まで布団に潜った。


 父が間違いで生まれたなら、その子供の私も間違いなの?


 私は唇を噛んだ。


 冷静に考えれば、祖父の言葉の選び方が間違っていただけなのだと分かるのだが、その時はとにかく信じたくない気持ちでいっぱいで、気がつくと拳が白くなるほど手を強く握っていた。


 祖母の老後の楽しみを、血の繋がらない自分が奪ったのだと思うと、申し訳なくて仕方なくて。もらい事故だとはいえ、さっさと亡くなった両親すら恨めしく思えた。


 その翌日から、祖父母とは顔を合わせづらく、口も聞けなかった。しばらくしたある日、私はとうとう家の中の重い空気に耐えられなくなって、3日ほどの着替えと学校の荷物を持つと、アサの家へ転がり込んだ。アサの家は母子家庭で、母親は夜の仕事に出ているので、連絡した時、アサは私を大歓迎してくれた。

 祖父と喧嘩したと伝えると、何も言わずに、しばらくうちにいていいよ、と言ってくれた。

 朝、顔を合わせたおばさんも、そんなことなら数日くらいは、と気持ちよく了承してくれた。祖母には友達の所にいることをメールした。

 迷惑かけないようにするからと言うと、どこかで会った時お礼が言えないから、どの友達の家にいるのかと言われ、アサの家だと白状すると、少し経ってからメールが入ってきた。


『ちゃんと話をしたいから、数日したら戻ってきてね』


 その文面にほっとした。昔、アサの母が夜の商売をしていると聞いた時、祖母が少し警戒したような顔をしたのを覚えているのだ。


『お友達と一緒で楽しいだろうけど、あんまり夜遅くに出歩いたりはしちゃダメよ?』


 そう釘を刺された。きっと祖母は、アサの事も、母親が目が行き届かないから、夜出歩くような娘になってるかもしれないと不安に思っている。


 私を守るためだとわかってる。素行の悪そうな友達と付き合っていないかとそれとなく目をくばってくれてるのは分かるが、その愛が私には重い。事実を知ってからは特に。


『分かってる』


 メールでは普通に対応出来た。苛立つ声で答えなくて済む事にほっとした。この数日間、祖母に対しては、申し訳なくて顔を合わせると素直になれなくなった。

 大好きな祖母なのに、祖母のあの笑顔は、無理の上にあるものだったのではないか。私を見ていて、相手の女性のことを思い出して辛かったのではないか、そんなことを考えるうち、上手く話せなくなってしまったのだ。


 メールだって「何度もやり方を聞いてごめんね」と言いつつ、祖父は諦めてしまって使えないのに、祖母は必死で使い方を覚えてくれたのだ。汐里と電話出来なくても連絡を取りあえるようにと。その愛は本物だと分かる。分かるからこそ痛い。


 家にいると息が詰まる。まさかそんな日が来るとは、以前の汐里からは思いもよらないことだった。

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