【15】海斗の家へ
駅のある街中を出ると、途端に開けた田園風景が続く。今日はスカートじゃなくて本当に良かったと思う。風がヘルメットから出た私の髪をなぶってゆく。
時々辺りを照らす街灯がポツポツとあるのみで、バイクは田んぼの間の道をひた走っていく。目の前のシャツの背中が空気を孕んではためく。夏なのに海斗がいつも長袖のシャツを着てるのはバイクの為だったのかな。
バイクの走行に慣れないため、振り落とされないようにすることに必死だったが、田園地帯から山道を登り始めた頃には少し慣れて、肌をなぶる風の気持ちよさすら感じられるようになった。
「もうすぐだよ」
走行音に負けないように、後ろに少し顔を傾け、大きな声で海斗が言った。頷くとメットがぶつかった。海斗が何がおかしいのか、ハハっと笑った。
緩やかな坂道を登った先にある、丘の上に、1軒の家が見えてきた。三角屋根の上に風見鶏なんかが付いている和洋入り交じった風の可愛い家だ。
ちょうどト○ロに出てくるお家の雰囲気のまま、もっとあとの時代の建物だと思われる、昭和の香りが残る日本家屋だ。
21時半。高校生が出歩いてたら、街中なら補導される時間。バイクを家のそばにあるカーポートの中に入れてエンジンを切ると、当たりが急にしんとして、虫のなく声が聞こえだした。スタンドを起こし、カチャンと音を立てたが、周囲に遠慮するべき民家すらない。
「田舎すぎてビックリした?」
ヘルメットを脱いで周りをキョロキョロしてる私を、海斗が可笑しそうに笑う。手を差し出されてメットを渡すが、慣れないバイクに身体のあちこちが緊張していたらしく、関節が強ばっている。
「ここ、山の中なの?」
「うーん、山の入口付近かな?」
海斗はヘルメットを持ったまま、玄関横を通り過ぎて裏口らしい所へたどり着くと、鍵を開けて中に入った。
「ただいま」
振り返るとカーポートには1台、白い普通車が停まっている。後ろに車椅子マークが貼ってある。
「あ、そうか。母さん今日夜勤なんだな」
玄関の靴をみて海斗が言った。なんだか妙に大きな白っぽいパンプスが置いてある。海斗の母親のだと思ったが不在なのだろうか。
「え?」
「ああ、そうそう。中にいる人、母さんが夜勤の時はうちに来るの、俺のもう1人の保護者。ちょっと変わってるけど、悪い人じゃないから安心していいよ」
海斗は悪戯っぽく笑うと靴を脱いで板の間に上がった。私もそれに習って「お邪魔します」声をかけつつ靴を脱ぐ。そっと脱いだ靴を揃えつつ裏口から上がった家の中を見回す。赤っぽい照明が付けられた。上がって左の奥へとろうかが伸びていて、途中右側に風呂場と洗面があるのか、微かに水音が聞こえた。
空気がやさしい家だと私は思った。軽く緊張していた肺に、柔らかな空気が流れ込み、それをゆったりと吐き出した。
***
海斗に促されてスリッパを履くと、裏口と隣合った玄関のそばを通った。玄関が外と隣接する壁には丸い窓が付いていて、月の光を通してたたきの上に丸い月灯りを灯している。
彼の後ろをついて行く。外からの見た目とは違い、中はフローリングが敷かれていて、完璧に洋風だ。どこからかシャワーの水音が聞こえる。中にいる人が風呂に入っているのだろう。海斗と二人きりでは無い事にあらためてほっとする。海斗を完全に信用したわけじゃない。もう1人居るのが女性だということにも安心した。
「そこで手を洗って、タオルも棚にあるやつ使ってくれていいから」
リビングの入口の外に手を洗うための水場があった。備え付けてあるハンドソープで手を洗い、さっぱりすると、置いてあったタオルで水気を拭き取り、リビングにそっと入った。
「荷物、ソファにでも置いて」
「うん」
落ち着いた色のフローリングの床に、落ち着いたオレンジ色の革張りソファ。それに対してLの字の配置でもうひとつ置かれたソファはこげ茶で、だいぶ年季が入っている様子。その正面にはテレビが。
テレビの隣に並んだカップボードには、何枚かの写真が飾られていて、その傍の掃き出し窓のカーテンがふわっと揺れた。冷房入っていない。空気が優しいと思ったのは外気が通っていたからなのかもしれない。
「うちには気難しい人も居ないし、遠慮しなくていいよ……なんか飲む?」
リビングから隣あった位置にあるダイニングキッチンから、海斗は声をかけた。冷蔵庫からボトルを出して蓋を開けながら海斗がまじまじとこちらを見てふふっと笑った。私は小上がりになってる和室の傍に鞄を置きつつ、海斗を見返す。何かおかしいことあるのか?
「髪、絡まっちゃったね」
言われて肩下までの髪に触れてみたら、きしんで指が通らない。
「ほんとだ、私猫っ毛だから……」
「うん、柔らかそうだなっていつも思ってた」
「え……?」
汐里は海斗の言葉に、ギョッとして半歩後ずさった。海斗はそんな汐里を不思議そうに見て数秒後、ハッとしたように手のひらを左右に振った。
「いや、そんな意味じゃない!引かないでよ!そんなの、猫っ毛なのも見たらわかるじゃん!」
海斗の必死の弁論に、更に不信が募る。見たらわかる、と、異性の髪を見て柔らかそうだな、と思うことは、どこか決定的に何かが違うのではないか?まだ疑いの目で睨みつける私に海斗は片手で顔を半分覆った。
「ほんと、変態を見るような目で見ないでよ!」
「今日、あの町にいたのはどうして?」
後をつけられていた事すら疑い出した。たどしたらあのマンションから飛び出してきた自分を見ていたとしたら……そう思うと恥ずかしくて堪らなくなってきた。
「とっ友達のところに行ってたんだよ!駅前の!コンビニに入ったのは確かに汐里を偶然見かけたからだけどさっ」
汐里は名前を呼び捨てにされたことにも慣れなくて、半目で海斗を軽く睨んだ。
海斗はほんとうに困った顔をして、何をどう言えば信じて貰えるか考えているようだった。その困った様子を見て、汐里はだんだん可笑しくなってきて、吹き出した。
「何!?何がおかしいの!?」
「ごめんなさい!潮田が一生懸命だから……なんか可愛くて」
「可愛い!?」
「今わかったの、前から思ってたけど、潮田さ、子供の頃飼ってた犬に似てて……」
「犬ぅ?」
海斗はまだ肩をふるわせて笑っている私に、目を剥いて憤慨してる。
「犬とは失礼ね」
後ろから別の男の声がしたので、私は驚いて振り返った。
(……え?)
私はその人物を見て、目が点になった。聞こえた男の人の声とは裏腹に、綺麗な女の人がたっていた。背はスラリと高く、風呂上がりの濡れ髪は肩に触れない長さのパーマヘアで、涼やかな切れ長の目、優しげな口元。湯上りのアイスグレーのゆったりしたパジャマの上からでは、身体つきがスレンダーなことしか分からない。男性なのか女性なのか。別の男性が他にいるのかと、その人の向こう側をチラ、とみた。だがその人一人きりだった。
「まあ、言いたいことは分からないでもないけどね」
と言いつつ、可笑しそうに笑いだした。
「ひでぇな」
海斗が口をとがらせ、顔を顰めた。
私がその人と海斗を見比べて、どう反応していいか悩んでいると、海斗がクスッと笑って、その人の隣に立った。なんというか、その人と海斗は顔立ちは違うのだけど、何となく似ていた。腕を下ろした時の立ち姿だろうか。上手く言えないが、似ているという印象だけは本物だ。
「汐里、俺のもう1人の保護者、依子さん」
「こんばんは。吾妻依子です。初めまして」
やはりその声は男性のものだった。喉仏が上下した。それでその人の性別が複雑な事を察した。
「依子さん、この子は大澤汐里さん。バイト仲間なんだ」
「はじめまして、大澤です。夜分にお邪魔します」
その人は風呂上がりで素顔なのに、とても綺麗な人だった。穏やかに微笑むその人を見て、ふと頭の中に思い浮かんだのは、さっき通った玄関に射し込んでいた丸い月明かりだった。
それが依子さんと私の初めての出会いだった。
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