【14】銀色のバイク

 

 二学期から学校でどんな顔したらいいんだろう。勝手に期待して梶田の優しさに甘えて、きっと迷惑していただろう。しかも彼女のいる時に連絡もつかないのに突然家を訪ねて。


 馬鹿だ、私は。



 ただの自分の片思いが終わっただけだ。自分さえ、普通に振舞っていれば、波風は立たない。これまでだってそうしてきた。争い事は嫌いだ。


 思い切ってドリンクの冷蔵庫を開けようとした時、隣から手が伸びて扉が開いた。


「よお」


 声のした方を見ると、ドアを開けたのは驚いたことに海斗だった。バイト先以外で会うのは初めてだった。なんでこの人はこんな時にここに居るんだろう。驚きと同時に煩わしさを感じる


「どうかしたのか?」


 目の前の海斗が驚いた顔をしていた。自分の瞳から涙がこぼれたことに気がつき俯いて手の甲でそれを拭った。


「あんたに、関係ないでしょ?」


 顔を背けつつ頬を手の甲で拭い、喉の乾きに苛立ちながらも、海斗に背を向けて何も買わずにコンビニを出た。駅の方へと早足で向かいながらハンカチで涙を拭った。堪えようとしても後から後から流れ出す涙は、失恋の悲しみからか、自分の幼さや愚かさにに対する羞恥心のためか、自分自身で分からないほど気持ちがぐしゃぐしゃだった。


 コンビニに寄ったのは梶田が追いかけてくるかもしれない、心のどこかでそれを期待していたのかもしれない。そんなことがあるわけないのに。スマホの画面を確認しても、なんの通知もなかった。むなしさに、自分の馬鹿さ加減に泣きながら笑えてくる。


 ふと足を止めて後ろを振り向いた。街灯の向こうに人影が見えた。こちらへ走って来る。祈るような気持ちでその人物を凝視した。白っぽいシャツと、明るい色の髪が街灯の灯りに顕になった時、ガックリした。誰だか直ぐにわかった。そして逃げても追いかけてくるだろうと察すると、めんどくさくなってそこに立ち止まって海斗が側に来るのを待った。


「はぁ……こんな暗いのに、女の子1人じゃ、危ないだろ?」


 肩を上下させながら上がった息を整えつつ、海斗が言った。


「心配しなくても、もうそこ駅でしょ?」


「それでもだな……はぁ、もういいや、ほら、これ飲めよ」


 目の前にずいっと突き出されたのは、私がいつも飲むレモン水だった。喉がものすごく乾いていた。水分を前に喉が勝手にゴクリと鳴る。


「脱水起こすぞ?」


 なかなか水を受け取ろうとしない私に、少し呆れ顔の海斗は、更にずいっとペットボトルを私の方に押し付けた。思い切ってそれを受け取ると、蓋を開けて、半分ほどまでを一気に飲み干した。慣れた味が水分が、涙でしょっぱかった口内を洗い流していく。


 はあ、と息をつくと、少し上にある海斗の視線とぶつかる。そこに心配げな色を見つけ、我に返った。カバンから財布を出して小銭入れをあけた。



「あー、いいよいいよ、そのくらい、奢り」


「あんたに奢られる理由がないしっ」


「もー、バイト仲間だろ?あんな顔見せられてほっとけるかよ。堅いこと言わないで黙っておごられとけ」


 そう言って海斗は駅の方へ歩き出した。二、三歩行った所で振り返ってこちらを見た。はやくこいとばかりに顎をしゃくる。私は仕方なく小銭入れをしまう。


「帰るんだろ?送るわ」


 隣を歩き出した私に海斗は言った。


「……今日、家に帰るつもり無かった」


 足を止めてこちらを見た海斗は、肩から下げた大きめのバッグに何かを察したのだろう。


「これから友達の所とか?」


「今日はみんな都合悪かったから……」


 そうだ、だから梶田の所へ足が向いたのだ。思い至って胸がチクリとした。家には帰りたくない、あれから遅くなると必ず祖父が居間で待ってるのだ。祖父の話と梶田が重なって、今日だけは絶対祖父の顔を見たくないと思った。



「……なら、俺の家に来る?」



「は?」


 私は顔をあげた。照れくさかったのか、少し口をとがらせて目を逸らした海斗の顔をまじまじと見る。


「俺、母さんと二人で住んでるけど、部屋余ってるし1晩くらいどってことないよ」


 汐里は悩んだ。これまで見てきた海斗をざっと思い出す。見てくれは軽そうで軟派な感じ。友達は多くてバイト先にはよく同じ学校の子達が食べに来たりしてる。その友達とは気軽に悪ノリもするけど、どこか醒めた目で彼らを見ていた。相手を下に見るとかではなく冷静と言うか。その変に落ち着いてるところが、何となく自分と似てるな、と思っていた。悪いやつではないとは思う。


 だけど、さすがに付き合っても居ない、そんなに仲良くもない男の子の家には泊まっちゃダメだ。そう思い至った私は、断るつもりで口を開いた。


「……海斗の家ってどこなの?」


 だが、口から出た言葉は、思考と反対のものだった。海斗の表情が明るくなった。


「羽月山駅の前にバイク停めてるんだ、そこから15分くらいかな?」


 海斗がこちらを伺うように見た。楽しんでいるような屈託のない笑顔。何かに似てると思った。


「来る?」


 もう一度聞いた海斗に、私は今度ははっきりと頷いた。


「うん」


 どうしてそんな判断をしたのか、自分でもよく分からない。あまりの出来事に心がずんと重くて、感覚が麻痺してたのかもしれない。


 電車に乗って二駅向こうの町に着いた。駅前から少し歩いた有料駐輪場の中に、少し薄暗い照明に照らされてまばらに自転車が残っている。黒と銀色の少し古い印象のあるバイクはその奥の二輪車専用の置き場に停められていた。隣にある専用のロッカーから、自分のと予備に置いてあったのか、もうひとつヘルメットを出した。


「これ被って、フルだから暑いかも知んないけど、安全のためだから我慢な」


 海斗は鎖の鍵を外して、スタンドを外すと、車体の方向を変えて出口まで押して出る。片足を後ろに振り上げて、車体にサッと跨った。意外と脚長いな。


 私が顎紐のジョイントが留められなくてモタモタしてると、海斗がいつもの懐っこい顔で笑って私を手招きする。なんか素直になれなくて口をとがらせたまま海斗の傍によると、手が伸びてきて、ぐっと顎の留め具を締められる。海斗の手からグローブの皮の匂いがした。


「左側から乗って?」


 メットのせいでなんとなく距離感がつかめなくてヨタヨタしながらも、左側に出してくれたステップに足をかけて後部席に跨った。跨ったはいいが今度は手をどこに持っていけばいいか分からなくて悩んだ。右から振り返った海斗は、右手をおいでおいでして私の右手を差し出させた。


「こっちの手はおしりの後ろの出っ張ってるバーをもって、そう、そこ。もう片方は俺の腰のここら辺ちゃんと持ってて」

 反対側の左手をグッと掴まれて、少し前に引かれる。ここを持てということだろう。海斗のベルトの当たりを掴む。成程、両腕で海斗に抱きつくよりも安定が良さそうだ。


「安全運転するから、怖がらなくて大丈夫、手だけ絶対離さないで、あと仰け反ったりしないでね」


 私がコクコクと頷くと、海斗はニッと笑った。


「なんか質問ある?」

「ないです」

「後ろ乗ったことは?」

「ないです」


「ははは! なら責任重大だな、怖がらせないようにするから」


 ドルルン……エンジン音が響いた。身体にも直接振動が伝わる。視界が狭くて何をしてるのかよく分からないが、足元がガチャガチャいってる。バイクはどうやって走るのだろう。体をねじって、振り返った海斗が、私の左手をポンポンと叩いた。目線をあげると海斗はニヤッと笑ってヘルメットのシールドを下ろした。


「汐里も下ろしとけ」


 は?いきなり呼び捨て?調子乗るんじゃない!と内心思いながら、手探りで見つけたメットの透明のシールドを下ろした。

 エンジンを吹かす音がお腹にダイレクトにに響く。


「じゃー出発っ」


 声から、上機嫌な様子が伺える。海斗は不思議な男の子だ。もちろん一応男だから警戒は怠らない。でも、自分の五感が本物なら、海斗は安全な気がする。


 低いエンジン音を辺りに響かせ、私たちを乗せたバイクは、夜の闇の中を、走り出した。

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