【16】海斗の家族

「あらまあ?家出?」


 今日出来事を簡潔に、障りの無い程度に依子さんに話すと、彼女はオレンジのソファに座った私を、まじまじと見つめて言った。私はばつが悪くて俯く。


「親となんかあったのかよ」


 海斗が聞きながら、茶托に載せた冷茶をティーテーブルに置いてくれた。中身は普通のお茶だとは思うが、こんなにきちんとお茶を出されたのはこれまでの人生で何度あっただろう。それを同い年で見た目のチャラい海斗が平然とやってのけるのだから驚きだ。年寄りに育てられた自分でも、そんなふうにちゃんと出来るか自信がない。海斗をチラッと見てなんだか癪な気持ちになり、それでも「ありがと」と礼を言った。


「その、私親いないから。おじいちゃんと、ちょっと……」


「へえ、そうだったの?汐里に親いないの、初めて聞いた」


 海斗は自分のお茶のグラスをコースターの上に置いてから、焦げ茶のソファの依子の隣へ腰掛けた。


祖母と血が繋がらない云々の諸事情を、詳しく家族以外に知ってるのは、相談していた梶田のみだ。アサや優奈、咲良には、おじいちゃんが口うるさく言うから喧嘩してるとだけ伝えてある。


「まあ歳頃だし色々あるでしょ。泊まって行きなさいよ。海斗、美穂ちゃんにはちゃんと連絡して。あと汐里ちゃんはお家に連絡入れてね。泊めるのはそれだけは条件」


「もうさっきメール入れた、いいって」


海斗はいつ連絡したのか分からないが、私を家に泊めることを母親に了解を得てくれたらしい。


「あら偉い。汐里ちゃんは?」


「あの、スマホの電源切れてて。今日は友達のところに泊まるってことは祖母には言ってあるので」


「どっちにしろ、ここはあなたの友達の家ではあるけど。明日改めてここだって連絡はした方がいいよね。美穂ちゃんが帰って来たら電話に出てもらって挨拶はしてもらうわね。私、声こんなだし逆に心配させちゃうからね」


「はあ」


 言いながらそこまでしなくてもいいんじゃないかな、と思った。


「そこまでしなくてもって思うかもしれないけど、たった一晩でも他所の大事なお嬢さん預かるんだから、ちゃんとした家だって安心して貰えた方がいいでしょ?」


 心を読まれたのかと思ってびっくりした。でも確かに一理ある。アサのお家に初めてお泊まりした時も、随分してから祖母とアサのお母さんが顔を合わせたので、余計にアサに対する祖母の心象が悪くなった気がするのだ。


「よろしくお願いします」


「はい」


 依子はピンと背筋を伸ばして返事した。その後、二人に勧められて冷茶を口にした。程よく冷えた麦茶の味が深く、とても美味しかった。海斗は見た目の軽さの奥に、丁寧で上品な所が見え隠れするのは、この依子さんによるものかもしれないな、となんとなく思った。


「さーて、おちついた事だし、風呂済ませよ。汐里が先に入って。俺仕事のノートまとめてるからゆっくり入ってきてよ」


 海斗がカラッと笑いながら言う。仕事のノートなんか付けてるんだ?意外なその真面目さに驚く。依子さんがこの家に来た時はリビング横の和室にあるベッドを使うそうで、今夜は私がそこを使わせてもらう事になった。


「あ、でも、もしかしてお邪魔だった?」


 私が風呂に行く準備をしてる横で、剥がしたシーツをまるめて持ち上げた依子さんは、ニヤッと笑った。私たち2人は顔を見合わせて憮然と首を横に振る。海斗は少し照れくさそうに赤くなった。


「なんだ、つまんない」


 隣のタンスの引き出しから、新しい敷パットを取りだして海斗に渡し、あなたのお客さんだからベッドメイクはやってあげなさい、と言った。リビングを出ていく依子の余裕の笑みに、汐里は遠慮がちに微笑みながら、海斗に礼を言うと着替えを用意して、風呂場へと移動した。


 この家の内装は、外観の見た目の古さに対してずっと快適で、風呂場はレトロなタイルと大理石で出来た在来工法の物だった。冬は寒いだろうが、夏場は特に何も感じない。掃除だけがちょっと大変そうだなぁと思う程度だ。祖父が大工なので、その辺の知識が少しだけある汐里は、面白い作りの家だな、と思った。


 湯は程よく熱かった。風に晒されて冷えた肌にじんわりと熱が染みてゆく。


(なんで私はここにいるんだろう)


 風呂に浸かっていると、ようやく先程の出来事を反復する事が出来た。コンビニに海斗が現れてからの展開が早すぎて、状況に流されてしまった感が否めない。それに、ここの山の辺りってうちの中学の校区だったの?すごく遠いのに、どうやって通ってたのだろう、とぼんやり思う。


 シャンプーなんかも適当に使ってくれて良いわよ、と依子は言っていたが、見れば3種類のシャンプーがラックが並んでて、違和感を持った。依子は先程入っていたけれど、ここに住んでる訳じゃないようだ。頻繁に来るから置いてるのか。


 ああいう類の人に関わるのは初めてだけど、海斗の親戚の人とかなのかな?悩んで、依子が使っていたらしいシャンプーを(匂いで判別した)使ってみた。泡立ちはまあまあで洗い上がりの髪のつるつる感が素晴らしかった。どこのメーカーのものか分からずに使ったので、後で聞こうと思いながら脱衣所に上がる。久しく乗っていなかった体重計に乗ると、このところバイトで忙しかったせいか2キロほど軽く落ちていた。


 綺麗になりたくて、少しくらいは大人に近づきたくて、爪を整えて磨いたり、ペディキュアはサンダルに合わせた色味を入れたり、それまで放ったらかしだった肌の手入れだってちゃんとやったり……。


 洗面所の鏡に映った上下お揃いの下着は少しおとなっぽいデザインの物を付けていた。先日泊めてもらった時、アサにも「汐里、なんか変わったね」と指摘された。彼氏でもできた?なんて。物思いに沈みそうになる自分を叱咤して、大きく息を吐く。


 持ち歩いているルームウェアを着て、髪にタオルを被る。熱くなった目頭が落ち着くのを待って、脱衣所を出た。



 風呂から上がると、リビングで待っていた海斗が代わって風呂へ行った。依子とリビングに2人きりになると少し緊張した。



「くつろいでね、私の事は気を遣わないでいいから」

 依子は何か仕事をしていたのか、ダイニングテーブルに広げていた書類をサッと片付けると、かけていたメガネを外して伸びをした。


キッチンに移動してグラスに氷を入れて、レモネード飲む?と聞いた。


「あ、お水で……」

「お、若いのに美容もちゃんとしてるのね、えらいえらい」

 レモン入れる?と聞かれて頷くと、薄切りのレモンが入ったレモン水を出してくれた。白と青の木綿のコースターが目に涼しい。


「歳は、海斗と同じ?17なんていいよね、まだまだ全部これからじゃない」


 依子も同じものを手に、L字の対角になるソファに座った。物腰のやわらかさがとても女らしいと思った。


「私みたいなの、初めて見る?」


 私からの視線を感じて目をあげた依子は、可笑しそうに笑いながら言った。その余裕からだろうか、少し細めた目元も弧を描いた口元も化粧っ気がないのにものすごく綺麗だった。


「ああ……その、実際には初めてです」


 正直に話した。テレビなんかではオネエと呼ばれる括りのタレントはよく見ていたが、実際に目の前にいるのは初めてである。


「保護者と聞きましたけど、海斗君の親戚の方なんですか?」


 その位は聞いてもいいかと疑問を口にした。依子さんは、ああ、と眉を上げてにっこり笑った。


「実はね、生物学的には私、海斗の父親なの」



「あぁ、そうなんですか……って、へっ!?」


 サラッと凄いことを聞いた気がする。


(ちちおや?チチオヤ?父親って言った!?)


 私は軽くパニックになって依子さんの顔を口を開けたまま凝視する。それをなんとなく楽しむように、依子は膝を組んで微笑みながら私を見つめ返している。




「あの子の産みの母親は、未婚であの子を産んでるの。私は精子提供しただけ。まだ手術する前にね」


 汐里は精子提供がどんな風に行われるのかもよく分からなかったが、オネエと言われる人達みんなが恋愛対象が男の人では無い事も一応知ってはいた。


「今、夜勤に行ってるのは育ての母で、産みの母親は亡くなっててね。あの子割とややこしい家庭で育ってるの。でもいい子でしょ?」


 依子が腰高の飾り棚の上の写真立てを眺める。その目が少し潤んだような気がした。


 割と、どころかずいぶんと複雑な家庭に海斗は育ったのだな、と、わたしはまだ驚きから抜け出せずにいた。


 海斗のあのカラッとした明るさは、ごく普通の健全な家庭で育った故だと思っていただけに、これまで色々あっただろうが想像もつかない。アサが言っていた、海斗の色々というのも、私が知りえないほど辛い事だったのだろうか。


「立ち入った事を聞きますけど、その……育てのお母さんが今お仕事されてる方ですよね?その方と依子さんは……?」


「ああ、美帆ちゃんはね、芹香……産みの母ね、芹香の遠縁の子だったの。今では私とは親友みたいなものね。子育てチームみたいなものかな?」


「子育てチーム……」


「看護師で、夜勤もあるから、その時は私がここに来ることになってるの。海斗はもう大人に近いけど、認知した手前、成人するまでは私にもあの子の事は責任があるから」


 依子はまたキャビネットの上に飾られてる写真を眺めた。


「写真、見てもいいですか?」


「どうぞ」


 ボードの上にはたくさんの写真が飾られてた。海斗の赤ん坊の頃、母親に抱かれている写真。少し大きくなった頃、七五三の袴姿。小学校に上がった頃の写真には、女性2人と依子、海斗が4人で。中学、学ラン姿の海斗とは、若い母親、美帆という人だろう、2人きりで。芹香が亡くなったのは小学校の頃だろうか。

 奥に、バイクと一緒に写る古い写真があり、そこには芹香らしき若い女の子と、男性二人、三人で写っている。その1人はどこか依子に似ていた。いや、男性二人はどこか似てるのだ。


「その写真、私と双子の兄ね、芹香とは子供の頃からずっと一緒に大きくなったの。兄は芹香の恋人だった」


 だった?汐里は依子を振り返った。


「亡くなったの、事故で。あと少しで結婚式だった。その時芹香、ショックでお腹にいた子を流産してね」


 依子が立ち上がってその写真立てを手に取った。


「何の因果かと思ったわよ。わたしがこうなの二人とも知ってたし、家は自分たちが継ぐから好きに生きてよって二人は言ってくれた」

 写真の中の兄を見つめる依子の目が、細まり微かに潤む。


「兄の一周忌が終わって落ち着いた頃かな。芹香が私に言ったの。自分に精子を提供してくれないかって」


「よっぽど流産を後悔したんだろうね。二卵生でも、少しでもあの人に近い血の子供が産みたかったんだと思うの。私の父親にも芹香はちゃんと話を通したの。もちろん私の父親に散々反対されたわよ?子供産むことなんて軽々しくする事じゃない、授かりものなんだから。まだだ若かった芹香をシングルマザーにする訳にもいかないからって、父は最後まで反対してたけどね」


「でも、海斗は生まれた」


 依子は頷く。

「私もね、こんな自分の子どもを産んでもらえるなんて思いもしなかったわよ。兄には申し訳ないけど、芹香と一緒に子育てさせてをもらってほんとに幸せだった。あの子が3つになった頃、私は手術して男である事を辞めたけど、芹香はそれも応援してくれた」


 壮大な話を聞かされて、ここにいることが現実ではないような気持ちにすらなる。


 そのうち海斗が風呂から出てきて、依子が手にしてる写真を見たことで、察したのか、


「驚いた?」


 と笑った。確かに生い立ちを隠そうとはしていない。ただのバイト仲間の私にこんな話を明かすなんて、どうかしてる。


「話していいよって俺が言ったの」


 海斗は私の心中を察してか、濡髪をタオルで拭きながら隣に立った。そして一つ一つの写真を見つめて言った。


「形はどうあれ、俺は大事に育てて貰った事には変わりないしさ。俺には3人の母親がいるんだ」


「可愛いこと言うじゃない、海斗、ココア飲む?」

 依子が軽く海斗の肩を抱いた。


「飲む〜」


 ニカッと笑った海斗に、その無邪気さは多分演技ではあるけど、半分は本心で、その生活を愛していることが感じられた。


 対して自分はどうなんだ、と内心ため息をついた。両親が亡くなって、祖母は血の繋がらない孫である自分を、引き取って育ててくれた。祖母には頭が上がらない。祖父の事は、物心ついた時から年寄りだったのに、そんな過去があったとは半ば信じられなかった。伯父が何となく祖父に対しては当たりがきつかったのはそういうことだったのか、と納得はした。そして、思春期独特の潔癖さが祖父を嫌悪させた。


 自分の中には、家庭のある人と婚外子をもうけた人の血が流れてるのか、と思うことも、ただ、嫌だった。




 祖母たちに優しくできない自分がもどかしい、不幸にも早くに亡くなった両親すら恨めしく思うほど。


 早く大人になって、祖父母に楽な生活をさせてやりたいってずっと思ってたのに。じいちゃんばあちゃん孝行するんだって、思っていた健気な自分が偽善だとすら思える。


 海斗のように、与えられた愛情に優しく笑っていられたらどんなに楽だろう。そう出来たら周りもきっと幸せなはずなのに。



 与えられた愛を素直に受け取れる海斗の事を羨ましいと思う。今の私は、祖父母から与えられるものをはねつけて、どうしても素直になれない。隠して守ろうとした梶田との事も、もう報われそうにもないし。


 海斗に会った夕方から次々と起こった出来事に、今まで気が紛れていたのだろう。梶田の事を思い出した途端、心に空いた空洞にすきま風が吹いた気がした。


 ベッドのそばにスマホを置いた。さっきおばあちゃんには、バイト先の友達の家に泊めてもらうと電話を入れた。スマホの画面には梶田からメールの通知が来ていたが、どうしても開く気になれなかった。


 既読もつかなければ、私のこと少しは気にして心配してくれるかな?そんな子供じみた事を考えてる自分にも嫌気がさした。












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