2章 渚色の男の子

【12】渚色の男の子

 

「大澤さん夏休みのシフトの事だけどね」


 ついに来たか。私は店長の問いかけにドキリとした。夏休み中のシフト申請を出した7月の上旬から、いつか言われると思いつつ、覚悟はしていた。はい、と答える。


「お盆の辺りもう少し何とかならない?そこが忙しいのに」


 ほら来た。嫌な言い方では無いが、人手の足りなくなる盆時にはバイトに入って欲しかったのだろう。店長のあからさまな嫌味に苦笑いしつつも、スミマセーン、と頷いた。祖母たちに13.14.15は空けておいてと頼まれたのだ。眉根を軽く寄せて、店長は軽くため息をついた。期待してくれてたのに、なんだか申し訳ない。


 6月半ばから私はバイトを始めた。自分の小遣い位は自分で稼ぎたい、少しでも梶田と対等に近くなりたい、そう思う一心だった。恋愛に目覚めると美容や身なりも気になり始めるのは、ほかの女子にもれず私も同じだった。あれほど醒めた目で見ていた、周りの普通の女子高生と同じ様に、初めての恋に浮かれていた。それがたとえ片想いの恋で禁断の相手だったとしても。


 あと一年半、ほど良い関係を続けていけば、もしかしたら梶田に振り向いて貰えるかもしれない。恋というのは時に恐ろしいほどの前向きさを与えてくれる物らしい。

 それまでは口もきかなかった祖父にも、おはよう、ただいま程度の挨拶はするようになったし、祖母にも、今は難しいが、いずれ気持ちが整理出来たら話を聞くつもりでいる事を伝えた。

 祖父にも祖母経由でその気持ちは伝わっているらしく、根本的な解決ではなくとも、ひとまず家庭内の緊迫した空気は緩和されていた。



 バイト先のレストランには、ちょっとだけ悩みの種がある。


「ねえ、大澤、俺の事分かる?」


 バイト初日の休憩時、店の外のベンチに座っていた私に声をかけてきた厨房服を着た若い男。薄い金色に髪を染め、耳にピアスホールが5つも開いてる、ちょっとチャラい雰囲気の男の子。6月の晴れ間、気持ちの良い風が、陽光の色にも似たサラサラの髪をふわりと揺らした。人懐っこそうな笑顔の顔に私は愛想笑いしながら首を傾げた。元々人の顔を覚えるのが苦手なのだ。


彼は潮田海斗と言った。名前を聞いてもピンと来ない私に焦れるように、今度は優奈の名前と中学のときの生徒会の話をしてきて、私はようやく脳内に引っかかった何かをうっすら思い出した。もしかしてアレか?と思った。中学の頃、優菜が生徒会にいて、私もイベント前になると時々仕事を手伝っていた。そこで会ってるのか。だが、いつまでもはっきり思い出せない私に、海斗は苦笑いしつつ、だけど気を悪くした様子もなく、話したことだってあると言い張った。そこまで言われたら思い出さないのも失礼だろうと思い、その日家に帰ってから引っ張り出した卒業アルバムを見てようやく、合点がいった。


 アルバムの中の海斗は、歳の割に大人びた賢そうな目元は変わらないが、黒髪に眼鏡をかけた大人しい印象の男の子だった。今のヤンチャなチャラい雰囲気とこれでは変わりすぎで、分かるはずがない。


 そして、アルバムのページを捲りつつ、もう少し記憶を手繰ると、海斗とは同じクラスになったことは無かった。中学では大人しくて目立たないタイプだっだから話したことすら覚えていない。

 それから顔を合わす度に何かとちょっかいかけてくる海斗とは、仕方なく付かず離れず付き合っているが、見た目の派手さの割に食べ方の所作や話し方にどこか上品な所があり、嫌な感じはしない。


 海斗とはバイト仲間としては問題なかったが、顔を見る度に遊びや食事に誘われるのがもっかの悩みで、軟派な男は苦手な私は、ひたすら海斗からの誘いを断り続けていた。

6月からバイトを初めて2ヶ月経つが、店長に、海斗、今日も振られたか、と茶々を入れられるほどそれは周りにとっても日常茶飯事な出来事で、さすがに慣れてきた私も、ただの挨拶がわりだと思うことにしている。


バイトにも慣れ始めた6月の下旬のことだった。


「え?あれ?潮田?」


「おう、香取!久しぶりぃ」


 それは、親友のアサと優菜が、バイト先に冷やかしがてらやって来た時のこと。同じ中学だったのだから知り合いでもおかしくないが、二人の会話を黙って聞けば、アサは海斗とは小学校も同じだったらしい。


「ちょっとちょっと、汐里。今度さ潮田も誘って遊ぼうよ」


 帰り際、アサが少し興奮気味に言った。アサはイケメン好きだ。いつも他のことは冷静なくせに、面食いなのがたまにキズ。海斗はどうやらアサのお眼鏡にかなったらしい。だけど、冗談じゃない。必要以上に海斗と近づくのはなんとなく気が引けた。「うん、今度ね」仕方なく適当に合わせた。


「でもさ、潮田、やっぱりなんか変わったね」


 アサが厨房に入って行く海斗を目で追った。


「私もアルバム見るまでわかんなかったよ」


「見た目もだけどさ、雰囲気??まあ、色々あったからなー」


「色々って?」


「……うん、まあ、私が言うことじゃないし」


 去り際にアサは気になる言い方をしたが、電車の時間が近づいていることを優奈に指摘されて、2人は帰って行った。



 ボランティアの帰りに海に行ったあの日から、梶田とは無料メールでのやり取りが少し増えた。


 出張先から梶田が送ってきた田舎の風景だったり、入った店にいた猫だったり。そのそばには時々イチゴの飴が映り込んでいたりした。他の生徒とは交しているはずもないその少し特別なやり取りに、私はいちいち胸が熱くなった。



 一度バイト先に食べに来てくれたことがあった。前の学校の同僚だとか言う男性と2人で。自分を見てくれている存在が、祖父母以外にいるのだと思うことが嬉しかった。そうやって梶田が自分を気にかけてくれる事で、彼への淡い期待は膨らむ一方だった。



 帰りに友人と別れた梶田は汐里を車で送ると言って店の近くまで戻って来てくれた。待ち合わせするのはあのボランティアの時以来で、ドキドキしながら店の近くのコンビニまでたどり着いた。梶田はクルマに乗ったまま待っていてくれた。外で2人でいるのをなるべく見られない方がいいと言われて、秘密を共有してる事がまた、嬉しくて気持ちが高調する。


 乗り込んだ車にイチゴの飴の匂いをかすかに感じた。


「ねえ」


「うん?」


「そのイチゴ飴って、いつから持ち歩いてるの?」


梶田は車を発進させながら、口の中の飴をコロッと音を立てて転がした。


「昔ね。俺が小学校の頃な。しばらく学校に行けなかった時期があってさ」


「え?」


「俺、一時的に不登校だったんだ」


「信じられない」


「これでも割と繊細なの」


 例によって、いつもの公園の駐車場に車を停めて、梶田の昔話を聞かされた。


 その時期に家庭教師としてやってきていたのが母親の従妹だった人で、梶田はその人にとても懐いていた。


「その人が、来る度にその飴をくれたの」


「元気や勇気が出る、おまじない?」


「そういうこと」


 そう言って梶田は私にまた一つ、その飴を握らせてくれた。その手が私の指先に触れた。触れ合ったその手を暫く梶田は動かさなかった。指先から熱が伝わる。


「先生?」


 梶田と目が合った。ほんの数秒だったが、梶田に手を触れられて顔がかぁと赤くなった。


「いや、ごめん、なんでもない。さ、近くまで送るよ」


「……はい。」


 ドキドキと脈打つ鼓動を感じつつ、その日、梶田の様子が少しおかしかった。


 そしてその数日後、夏休みに入る前の日に連絡があった。


 部活の合宿や大会なんかで忙しくなるから、しばらくやり取りがしにくくなる、と。


 なのでバイトの日程は必然と増えるし、時々はこちらからメールなんかで連絡すると、朝起きるまでには返信が返ってきていた。そんなふうに穏やかに関係が続いていくといいと思いつつ、顔を見る機会が減った事で物足りなくて寂しくて。


 そんなある日のことだった。


 これまで何度か梶田に車で送ってもらっていたことや、公園で車を停めて梶田と話し込んでいた事が祖父達にバレた。







 










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