【13】疑惑
いつものようにバイトから帰ると、祖母が玄関まで出迎えてくれた。
「汐里、ちょっと話があるの」
祖母に奥に来るように言われ、ダイニングの、いつもの食卓の椅子に座るように促された。テーブルの奥に座った祖父が何か難しい顔をしている。子供の頃からなにか叱られる時はいつもこういう空気になるのだが、一体何をしたのだろう、と不安になった。心当たりがない。
「最近ずっと帰りが遅かったりしたから心配だったんだよ。そしたらヨシさんに今日聞いた話に俺は卒倒しそうになった」
ようやく祖父が口を開いた。ヨシさんは祖父の囲碁友達だ。庭師でこの庭の手入れもしに来てくれる人で、私の事も小さい時から可愛がってくれた、面白いおじいさんだ。
「何?何を聞いたの?」
「お前、赤い車に乗ってる男の人と付き合ってるのか?」
「は?」
ドキリとした。梶田の車は確かにワインレッドだ。その反応を見極めるように祖父の目がこちらをじっと見ている。隣の祖母もまた、心配そうな顔で私を見、気遣う目で祖父を見た。
「夜、公園に車を停めてお前が男と話し込んでるの、散歩してたヨシさんが見たって」
私はため息をついた。近所だと誰に見られてるか分かったもんじゃない。田舎のプライバシーの無さにイラッとする。そして大切にしている一つ一つの出来事を汚されたような気持ちになった。
「汐里、怒ってるんじゃないんだ。年頃なんだし付き合ってる人がいてもおかしくないしな。ただ俺もおばあちゃんもお前が心配でだな……」
祖母は隣でどうしていいものか様子を伺っていた。
「別にっ、変な間柄じゃないよ。時々話を聞いてもらったりしてるだけ。大人の人だけど、おじいちゃん達が心配するような人でもないから」
「汐里、あのね、……こないだ洗濯物に見慣れないタオルが入ってたわよね?浜鳴屋って、言う名前が入ってたけど……」
その名前には覚えがあった。梶田と立ち寄った民宿だ。粗品だからと貰った白いタオルだ。確かに名前が入っていた。祖母の目に入ったのは迂闊だったかもしれない。
「……それは、ボランティアの帰りに寄った海で濡れちゃったから、近くの民宿でお風呂借りただけで……でもちゃんとその日のうちに帰ってきたでしょ?」
祖母にも自分を疑う要素があったらしい。
「高校生にもなったら、親にも言いたくないことなんか色々あるよ。それでも私はおじいちゃん達に心配かけるような付き合いはしてないし、最近はバイトばっかりだけど、あんまり泊まりにも出かけたりもしてないでしょ?」
「……夕べは、誰の所に泊まってたんだ?」
静かに問いかける祖父の声が、少し掠れた。
「出かける前にちゃんと言ったじゃない、アサの家だよ」
言いながら苛立ちを感じた。祖父の口ぶりでは車で話していた男の所にいたのではないか?と疑っているようだった。祖父に自分をそういう目で見られたことに、年頃特有の潔癖さのせいで気持ち悪さを感じ、苛立った。
「その男の人は、ここに連れてこれるような人?」
さらに祖母が聞く。私と祖父との間に嫌な空気を察知したのだろう。助け舟を出したつもりかもしれない。
「今は、そこまでの間柄じゃないよ。友達……っていう人でもないけど、恋人なんかじゃないもの」
「歳は?歳くらいは教えてくれる?」
祖母は穏やかな口調で言葉を選んでいる。
「……28」
祖父母はそっと目を合わせた。だんだん顕になってきた人物像に、心配は逆に深くなったようだ。
「せめて、どんな仕事してる人なのかだけ教えてくれる?」
祖母の優しい声に少し緊張がこもった。
「……言えない」
答えられるわけが無い。梶田に迷惑かかるから、高校の教師だと言うことは口が裂けても絶対に言えない。
「汐里、あのな……」
「迷惑かかるから言えないの、お願い信用して?ほんとに変な付き合いじゃないの!」
祖父が黙った。そして低い声で言った。
「言えないなら、しばらく外泊はダメだ」
「どうして?私の言う事信じてくれないの?」
不意に沸き立った怒りに目の奥が熱くなった。思わずカチンときた。それでも怒りを抑えようと大きく深呼吸した。
「お前を守るためだ」
「違うのに……、恋人になんて今はなれないのに!信じてくれないなんて酷いよ!」
私は立ち上がって2階の自室へと走って逃げた。
急いでバイトの準備と2日分ほどの着替えをカバンに詰めた。部屋を出た所で祖母が私を止めようとした。
「汐里、話を聞いてっ」
「どうしておじいちゃんは私を信じてくれないの?私、そんなに信用ないの?男の人のところになんか泊まるわけないでしょ?夕べの事だってアサのお母さんに聞いたらわかるよ!」
「汐里、おじいちゃんはあなたが心配で……」
「私、そんなに信用ないの?あの話聞いて反発したから?それを飲み込んでいい子にしてないと信じてくれないの?私にだって話せることと話せないことだってあるよ!おじいちゃん酷いよ!もういい、私しばらく帰らないから!」
祖母のそばを強引に横切り、家を飛び出した。外泊禁止と言われてすぐにそれを破る。反発からではない。話の途中で感じた、祖父が自分を孫娘としてではなく、男のいる女として自分を見てる、そこに言い表せない気持ち悪さを感じて我慢ならなかった。今は同じ家にいたくなくなった。
結局その日は優奈の家に泊めて貰い、翌日はまたアサの家に泊まった。
それ以来、私はまた家に居づらくなってバイト漬けになった。店側は人手不足なので助かるよ、と感謝されるし、海斗の態度が少々うるさいのを我慢すれば、家より余程居心地が良かった。
夜は友達の家に泊まらせてもらったり、ある時はネカフェに泊まることもあった。家には何度か昼間にものを取りに戻ったりした程度で、祖母からの電話にはできる限り出たが、だんだんそれも間遠になってきた。
お盆も近づいたその日は、優菜は家族旅行に出かけていたし、アサも母の実家へ一緒に帰っていた。クラスメイトの咲良は夏期講習中で忙しかった。お盆前なんだから仕方ないよな、と、高校の他の友達の顔を思い巡らせるが、皆家に泊めてもらう程の仲でもないし、仕方ないから家に帰ろうかと思いながらバイト先のレストランから駅へ歩く途中、待てよ、と考え直した。
今日は木曜だ。木曜は夏休み中に限らず剣道部が休みだと、梶田が話していたのを思い出したのだ。夏休みに差しかかる頃から、梶田とはすれ違いばかりで電話でもあまり話せてなかった。部屋へ突然訪ねてみようか。一応伺いのメールを送るが既読にならない。やめておこうかと思ったのはほんの一瞬。もう1週間も声を聞いていなくて、思いついたら会いたくて仕方なくなった。
いつもならもう少し思慮深い私も、その頃は恋の熱に狂わされていたのだと今でも思う。アポ無しで男のマンションの部屋に突撃するなどという愚行に走ったのは、後にも先にもその時だけだ。
聞いていた住所のマンションの5階へエレベーターで上がる。507とある部屋のドアを見つめ、緊張して手が震えた。驚くかな?とほんの悪戯心もあった。可愛がってる生徒の多少の悪戯位、驚きつつも笑って許してくれるとタカをくくっていた。流石に泊めてもらおうとは思わないが、いつものようにおしゃべりして時間を潰して、出来れば近くまで送って貰えないかなぁ?などという考え方が出来るほどには、梶田に甘えることに慣れていた。
期待に胸をときめかせながらインターホンを押した。中から聞こえた足音に心拍が高なる。
だが、玄関のドアを開けたのは梶田ではなかった。
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