7 ホワイダニット

「この春まで小説を部誌に寄稿きこうしなかった森浦もりうら先輩。時を同じくして、小説を部誌に寄稿しなくなった『湯浅鮎子ゆあさあゆこ』という二年生の先輩部員。そして、部員の誰にも文章のくせ把握はあくされていない、自主映画の原作となるミステリ短編を書いた、本当の作者……最後に、ヒロイン役の夢叶ゆめか。今回の事件には、この四人が関わっています」

 僕が『湯浅鮎子ゆあさあゆこ』先輩の名前を出したからか、静乃しずの先輩のまゆが動いた。

「僕が推理小説のあらすじを説明したときに、静乃先輩は居心地悪そうな顔をしましたよね? この反応は、自分の作品のあらすじを読み上げられることに慣れていないからだと考えれば、辻褄つじつまが合います」

「それだけの理由で、私が小説を書けると思ったわけではないんでしょう?」

「はい。僕が初めての批評会で落ち込んでいたときに、先輩が僕に言った台詞せりふが、この推理を裏付けてくれました」

 怪訝けげんそうな顔をする静乃先輩に、僕は少しだけ笑って見せると、おのれの古傷をえぐる言葉を復唱ふくしょうした。

「批評会に初めて参加した僕が、自分の作品にはげしいダメ出しを食らって傷ついて、静乃先輩に泣き言をぶつけたときです。静乃先輩は、こう言いました。『私の身体には、赤の他人からの叱咤激励しったげきれいという善意ぜんいとお節介せっかいかわをかぶった誹謗中傷ひぼうちゅうしょうや、いつか筆を折る呪いに化ける可能性がある毒素から、文豪が後世こうせいに伝えた文章のように美しい栄養素だけを抽出ちゅうしゅつして執筆に役立てる機能はないし、有害物質を分解ぶんかいしてとびきりポジティブな成分に変える臓器ぞうきがない』って」

「よく一字一句すべて覚えているわね」

 辟易へきえきした様子で呟いた静乃先輩も、僕の言わんとしている意味が分かったようだ。「はい」と答えた僕は、あのときから予感していた真実を言葉にした。

「静乃先輩は小説を書かないし、部員のみんなの作品を読むだけの部員だと言い張っています。しかし、あのときの静乃先輩の台詞せりふは、本当に小説を『読む専門』の部員によるものでしょうか。『筆を折る』や『執筆に役立てる』という言葉からも容易よういに推測できるように、この台詞せりふには小説を『書く立場』の人間の恨みつらみがこもっています」

「恨みつらみって言わないで。真面目に怒るわよ」

「すみません。恨みつらみではなく、悲哀ひあいがこもっています」

 僕も、真面目に謝った。静乃先輩を傷つけるつもりはなく、むしろ文芸部の面々から作品に対する忌憚きたんのない意見を浴びた僕にとって、あの台詞せりふは救いにもなっていた。

「さらに、このとき静乃先輩は『この大学の文芸部の批評会に参加しない』という言い方もしていたので、例えば他の大学の文芸サークルであれば参加もやぶさかではないという意思を感じました。つまり、僕たちの大学の文芸部に強い怒りがあると考えたとき、静乃先輩は『小説を書く立場』の人間か、あるいは『身近な人間が批評会をきっかけに筆を折られた』か、あるいは『その両方』である――と、僕は推測すいそくしました」

 静乃先輩は、僕の推理を否定しなかった。薄茶色の瞳に、感情の揺らぎはない。後輩からの指摘程度で揺らぐ覚悟かくごなら、こんな計画を実行に移しはしないだろう。

「ここからは、憶測おくそくも含みます。僕が大学に入学する前に、おそらく部活の批評会がきっかけで、湯浅鮎子ゆあさあゆこ先輩は、部誌に作品を寄稿きこうしなくなりました。この件に森浦望夢もりうらのぞむ先輩が関与かんよしていると仮定かていした場合、エッセイ担当で今まで一度も小説を寄稿しなかった森浦先輩が、急にハイクオリティな短編ミステリを打ち出してきた理由も納得できます。湯浅ゆあさ先輩は文芸部を去りましたが、部誌には未掲載みけいさいの新作が部室に残っていたんでしょうね。森浦先輩は、その作品を――」

「自分の作品だといつわって、映画研究部に持ち込んだ。そう言いたいのね?」

 ぞっとするほど冷たい声で、静乃先輩が言った。僕は、物怖ものおじせずに「はい」と答えた。静乃先輩と湯浅先輩が感じてきたいきどおりに比べたら、こんなにもささやかな恐れなんて、取るに足らないものに決まっている。

「森浦先輩は、自分のおこないをそう認識していると思います」

「? どういうこと?」

 静乃先輩の声が、硬くなる。窓の外では、夢叶がついに森浦先輩に烏龍ウーロン茶を手渡した。

「この計画を仕組んだ犯人の目論見は、森浦先輩にわざと小説を盗ませたあと、タイミングを見計らって本当の作者を暴露ばくろすることだと思います」

「犯人が森浦先輩に怒りをいだいているなら、そうするでしょうね」

「犯人はきっと、盗まれた作品は部誌にるものと考えていたのでしょう。しかし、事態は犯人の予想を超えて大きくなり、映画研究部を巻き込んで自主映画を作ることになってしまった。イレギュラーに内心ないしん慌てたと思いますが、犯人はこの流れさえも利用して、森浦先輩を打ちのめそうとしています」

 気づけば、喫茶店内がやけに静かだ。横目にカウンター席を盗み見ると、マスターと常連じょうれん客の視線を感じた。もしやカレーが一向いっこうに来ないのは、僕らの決着がつくのを待っているからだろうか。ともあれ外野がいやを無視した僕は、静乃先輩に一つの疑問を提示した。

「ここで、先にはっきりさせておきたいことがあります。盗まれた小説の作者は、本当に湯浅鮎子ゆあさあゆこ先輩でしょうか?」

 静乃先輩は唇を開き、何かを言いかけて、結局言わなかった。今さらこの点について反論しても、分が悪いだけだとさとっているのだろう。

「この計画には、重要な問題があります。森浦先輩をおとしいれるためにわざと盗ませる作品を、どこから調達ちょうたつしてくるか。他の部員のものを盗むのは論外です。良識りょうしきの問題は大前提だいぜんていとして、おのれの手も盗作とうさくの罪でよごすなんて本末転倒ほんまつてんとうですからね。静乃先輩の犯行の動機どうきが、湯浅ゆあさ先輩の仇討あだうちだと仮定すれば、なおさらです。部誌に未掲載の湯浅先輩の新作なんて、最初からなかったと考えるほうが自然です。――よって、今回の計画のために用意した自分の作品を、森浦先輩に盗ませたと僕は考えました。その作品の作者名に『湯浅鮎子』と書いて部室に置いておけば、森浦先輩が作品を盗む可能性が上がります」

「ホワイダニットは?」

 静乃先輩が、どこか投げやりに口を挟んだ。その目は僕を見つめているけれど、全神経を窓の外に集中している様子が伝わってくる。

「ホワイダニット。――動機どうきよ。私のじゃなく、森浦もりうら先輩のね。彼はどうして、他人の作品をあっさりと盗んだの? 良識も常識もとっくに薄汚れた男でも、められた行為ではないことくらいは分かるはずよ。それなのに、どうして?」

「これも憶測おくそくに過ぎませんが、あの推理小説を書いた作者に、振り向いてほしかったからではないでしょうか」

 静乃先輩は、不意ふいかれたような顔をした。窓から斜めに射し込む陽光が生み出した虹色が、僕を真っ直ぐに見つめる薄茶色の瞳でかがやいた。

「森浦先輩がどうやって自主映画の主役のに収まったのか、僕はうわさでしか知りません。そして、同様に噂でしか知らないことがもう一つあります。森浦先輩が、とある文芸部の女子部員を、ヒロイン役に推薦すいせんしていたということです」

「それがどうして、動機になるの?」

「静乃先輩も、本当は分かってるんじゃないですか。だから森浦先輩に盗ませる作品の作者を、『湯浅鮎子ゆあさあゆこ』先輩だと思い込ませたんですよね? 森浦先輩は大勢の女子を泣かせてきましたけど、それでもやっぱりモテますから。湯浅先輩の筆を折った理由が、もし彼女にだけは見向きもされなかったからだと考えたら、なんとなく共感できました」

「よくそんな妄想もうそうまがいの推理を、さも見てきたように堂々と口にできるわね」

「だって、振り向いてほしい人になかなか振り向いてもらえない寂しさは、僕にも分かりますからね」

 静乃先輩は、いつもの暴言を吐かなかった。顔を背けた視線の先で、森浦先輩はまだ烏龍ウーロン茶を飲んでいない。やがて波にさらわれていく愛を切々と語り合う二人が、どちらのラストシーンを選ぶのか。僕と静乃先輩が思い描く未来は、きっと二又に分かれている。

「静乃先輩が改竄かいざんしたラストシーンでは、森浦先輩が演じる主人公が毒を飲む前に、夢叶ゆめかが演じるヒロインが、急に表情を消して森浦先輩を指さします。そして『犯人はお前だ』と糾弾きゅうだんして、大学生と小説家という二足の草鞋わらじを履く青年に、『私の小説を盗んだのは、お前だ』と叫んでめ寄ります。……こんな台詞せりふを衆目の面前で叫ばれた森浦先輩は、生きた心地ここちがしないでしょうね」

「止められないわよ。夢叶ちゃんが、あいつに引導を渡してくれる」

「静乃先輩。どうして僕が、静乃先輩に会いに来たと思いますか?」

 静乃先輩が、息を吸い込んだ。過去の議論をし返した僕に、文句を言いたいのだろうか。あるいは、僕の台詞せりふがラストシーンの軌道きどうを修正すると、恐れに似た期待を持ったのだろうか。そんな静乃先輩の良心りょうしんを信じて、僕は言葉を繋いでいった。

「僕は、ここでラストシーンを見守る静乃先輩が心配で、話をしたくてここに来ました。静乃先輩自身の意思で、こんなことはもうやめてほしいという願いもあります。でも、僕がここに来た一番の理由は、別にあります」

「一番の理由? それは何?」

「夢叶です」

 静乃先輩の瞳に、微かな動揺が走った。

「森浦先輩をらしめたいという静乃先輩の計画には、協力者が必要不可欠です。具体的に言うと、自主映画のラストシーンで、すり替えられた台本を読むヒロイン役が。盗作とうさくの罪をあばく、断罪者だんざいしゃが。静乃先輩は、何も知らない夢叶を利用しています」

 天真爛漫てんしんらんまん幼馴染おさななじみのことを、僕は思う。僕にだけは人使いが非常に荒いけれど、願わくばわがままで努力家の夢叶には、こんな復讐劇ふくしゅうげきから遠く離れた日向ひなたの海辺で、名は体を表す夢叶のままでいてほしい。

「……そう。私の推理は、どれも外れていたのね」

 僕の告白を聴き終えた静乃先輩は、なんだかまぶしそうな顔をした。初めて見る表情を美貌びぼうに浮かべて、「私が砂浜に行かない理由は?」と訊いてくる。

「喫茶店からのぞき見なんてしないで、撮影を見守る部員たちに交ざればいいとは思わない? 私がどうしてそうしないのか、君には分かる?」

「これも、やっぱり想像になりますが」

 そう前置きした僕は、言葉を選びながら慎重しんちょうに言った。

「わざと盗ませたとはいえ、森浦先輩に奪われた作品の撮影現場を、見たくなかったからではありませんか? きっかけは復讐だとしても、あの物語は僕にとって衝撃的な面白さでした。大事に育てた我が子同然の作品を、復讐のために仇敵きゅうてきに渡した現実を、間近で見ることに耐えられないからだと思います」

「長々しくて、くどい。必要最低限の言葉で、簡潔な表現を心掛けて」

「はい。静乃先輩は、小説を愛している人だからです」

 静乃先輩は、しばらく僕をじっと見ていた。それから、観念かんねんしたように息をき、隣の空席に置いていたバッグからスマホを取り出した。

「砂浜に集まっている部員の誰かに、電話するわ。私が夢叶ちゃんに届けた台本は偽物にせものだってことを、正直に話す」

「その心配はありませんよ。少し進行がとどこおっているみたいですが、ラストシーンは僕が望むほうになりますから」

 窓の外では、まだ森浦先輩と夢叶は会話を続けていた。森浦先輩の表情にあせりが見えるので、ミスをして撮り直しているのだろう。夢叶は気にせずにリラックスした表情なので、静乃先輩は全てを悟ったらしい。肩の荷が下りたような顔で苦笑した。

「そっか……そうよね。羽柴はしばくんは今朝、夢叶ちゃんに会ってるんだもの。私が手渡した台本の内容は無視して、前の台本で演じるように指示したのね。こんなことにもすぐ気づけないくらいに視野が狭窄きょうさくしていたのに、ミステリ作家気取きどりだなんてお笑いね」

改竄かいざんされたほうの台本は、夢叶に帰宅してから処分するように言いました。……静乃先輩。もっと自分を大切にしてください。静乃先輩は、自分が犯人だってことを隠すつもりがありませんよね。そもそも、夢叶の台本だけすり替えたところで、復讐をげられる可能性はとても低いです。撮影前に夢叶が部員たちと打ち合わせをすれば、改竄はすぐに露見ろけんします」

「そうね。いつバレてもよかったもの。それなのに、自主映画を撮ることになって、一番びっくりしていたのは私よ。ううん、それはやっぱり鮎子あゆこかしら」

 ――鮎子。初めて静乃先輩の口から聞いた名前は、瑞々みずみずしい果実のように甘い響きがあった。静乃先輩にとって大切な人だということが、呼び声だけで伝わった。

「あの……自主映画の件について、湯浅先輩は何も言ってこなかったんですか? 湯浅先輩は、静乃先輩が小説を書くことを知っていたんじゃないですか?」

「ええ。鮎子だけは知っていたわ。それに、自主映画の件は鮎子の耳にも入っていたと思う。それなのに、あの子は文句を言いに来なかった。批評会の一件から救ってあげられなかった友達には、もう愛想あいそを尽かしたのかもしれないわね」

「批評会……やっぱり、何かあったんですね。僕が入学する前の時期に」

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