5 謎解きの応酬

 冷房の人工的な香りに、スパイスの刺激的しげきてきな香りがり交ざる。沈黙を守った静乃しずの先輩は、初めての批評会のあとで僕をたたきのめしたときのように、僕の言葉を待っている。

「最初に違和感いわかんを持ったのは、静乃先輩が座った席です」

 口火くちびを切った僕は、店内を見渡した。僕たちが座るテーブル席のすぐ隣のカウンター席で、年配の男性客は週刊誌を読んでいる。先ほどのオムライスを平らげて、今はのんびりとアイス珈琲コーヒーを飲んでいた。

「店内は、こんなにいているんです。人ごみが嫌いで、部活の集まりにもあまり顔を出さない静乃先輩なら、他のお客さんから極力きょくりょく離れた席を選ぶはずです。にもかかわらず、静乃先輩は他のお客さんが座るカウンター席に一番近い、窓際のテーブル席を選びました。静乃先輩に限って言えば、この行為は不自然です」

「そうかしら。そもそも前提ぜんていがおかしいんじゃない? 私がこのお店に来たあとで、あのお客さんが来たのよ。そのさらにあとで、羽柴くんが来店した。どう? 不自然さは払拭ふっしょくされたでしょう?」

「いいえ。静乃先輩への疑惑ぎわくが深まりました」

 僕はメニューを手に取ると、さっきの静乃先輩のように証拠品しょうこひん提示ていじした。

「静乃先輩は、僕が喫茶店に入ってすぐにカレーを注文しました。この行動は、喫茶店に来てからさほど時間がたっていないことを示しています」

「私が何を食べようか迷った可能性は、考えないの?」

「苦しい言い訳ですよ。僕は静乃先輩が学食で食券を買うときに、迷って時間をかけている姿を見たことがありません」

「待って、いつ見てたの?」

 静乃先輩は、露骨ろこつに嫌そうな顔をした。「いや、お昼の時間って重なることが多いじゃないですか。僕は決して、先輩をつけ回しているわけでは……」と言い訳する羽目になった僕の心はえぐれたけれど、本題への反論がなくなったので話を続けた。

「こんな議論をするまでもなく、あのお客さんが静乃先輩よりも早く来店したのは明確です。あのお客さんはオムライスを食べ終わっていて、僕たちのカレーが運ばれてくるのはこれからです。僕が目的を持ってこの喫茶店に来たように、静乃先輩にも喫茶店でこの席を選ぶ理由があったんです。――この席でなければできないことは、何なのか。それは、間違いなくこれです」

 僕は、窓の外に目を向けた。芙蓉ふようの花が咲き誇る低木の緑にけ目があって、浜辺がよく見渡みわたせる。

「静乃先輩。知っていましたよね? 撮影現場が、ここから見えること」

 芙蓉ふようの葉でできたフレームは、波打ちぎわに集まる大学生たちをしっかりと収めていた。青い海の前で自主映画を撮影している面々は、表情もぎりぎりうかがえる。役者として砂浜すなはまに立つのは、さっきのメッセージアプリから飛び出してきたような男子生徒と、長い黒髪を腰のあたりで切りそろえた女子生徒だ。――森浦もりうら先輩と、夢叶ゆめかだ。

「僕たち文芸部と、夢叶たち映画研究部の集合場所は、あの砂浜でした。静乃先輩は合宿に興味がないと言っていましたが、実は僕たちのスケジュールを把握はあくしていたんです。僕に偶然ぐうぜん会わなければ、ここに来たことも隠す予定だったかもしれませんね」

「隠すつもりなんてないわ。私は本当に気が向いてここに来たの。すぐに砂浜に行ってみんなと合流しなかったのは、ここに来るために早起きをして、朝食を食べ損ねたからよ。食後にはみんなの所へ行くつもりだったわ」

「本当にその通りなら、今までの静乃先輩の発言は、あまりにも白々しらじらしいですね。少なくとも、夢叶から僕のスマホに連絡が入った時点で、多くの部員たちがあの砂浜に集まっていました。ずっと窓の外を眺めていた静乃先輩は、その光景を当然見ています。なのに一度も話題にしないまま、夢叶の怪我を案じていましたよね?」

 静乃先輩は、再び沈黙した。店内のBGMが切り替わる合間をって、外から大学生たちの賑やかな声が聞こえてくる。

「静乃先輩は、遠くからこっそりとみんなの様子をうかがうために、喫茶店で張り込んでいました。なぜこんな行動を取ったのか。それは、自分の犯罪が成功するところを、ここでおがもうとしているからだと推理すいりできます」

「私が、どんな犯罪を行おうとしているの?」

「その推理を言葉にする前に、聞かせてください。僕の推理が当たっていたら、静乃先輩は自白じはくしてくれますか?」

 僕は、静乃先輩をひたと見つめた。

「静乃先輩が、森浦望夢もりうらのぞむ先輩を、らしめようとしていたことを」

 静乃先輩は、僕を見つめ返した。感情の濃淡のうたんが感じられないフラットな声で「いいわ」とすぐに答えてくれたのは、タイムリミットを意識しているからに違いない。首肯しゅこうこたえた僕も、時間を惜しむ気持ちは同じだ。

「台本を、すり替えたんです。森浦先輩が原作を務めて、後に映画研究部で用意された台本を――ヒロイン役の夢叶ゆめかに配られた台本だけを。夢叶が怪我で練習に参加できない間に、静乃先輩がラストシーンの展開を書き換えた台本と」

 窓の外の砂浜では、ついにラストシーンの撮影が始まろうとしていた。

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