3 文芸部と映画研究部

 注文を受けたマスターが厨房ちゅうぼうに入ると同時に、ズボンに押し込んでいたスマホがふるえた。取り出して確認すると、メッセージアプリが予想通りの名前を通知つうちしていた。

「誰から?」

 対面に座る静乃しずの先輩が、気のない声で訊いてきた。他人につゆほどの興味がないはずの静乃先輩が誰何すいかしたことにびっくりしながら、僕は平静へいせいよそおって答える。

夢叶ゆめかです」

 夢がかなうと書いてユメカ。未来への無限の可能性に満ちあふれた名前の女の子は、僕とは幼稚園ようちえんからの付き合いになる幼馴染おさななじみだ。天真爛漫てんしんらんまんな性格で友達は多いけれど、僕に対しては人使いが非常にあらいのが玉にきずだ。名はたいあらわすとはよく言ったもので、高校時代から演劇部えんげきぶ華々はなばなしい活躍かつやくをしてきた夢叶は、今日の集まりで大役たいやくになっている。

「返事なら、今すれば? 私のことはおかまいなく」

「あ、はい」

 相手はくさえん夢叶ゆめかとはいえ、僕が他の女の子とメッセージアプリでやり取りをしているというのに、静乃先輩が気にする素振そぶりは全くない。とはいえ、他の先輩部員たちが「静乃」と呼び捨てにしている流れにじょうじて「静乃先輩」と図々しくも呼び始めた僕を邪険じゃけんにはしないので、この程度で落ち込む必要はないだろう。いや、僕が恋に落ちたときの暴言は、十分に邪険にされたとあつかうべきかもしれないけれど。ごうごうと前髪に吹きつける冷房に哀愁あいしゅう増幅ぞうふくされながら、僕は夢叶ゆめかに『了解』と短く返信する。

「夢叶、もうすぐ撮影現場に着くそうです」

「さっき? 遅めの到着ね。足がまだ痛むの?」

「いえ、怪我けがの具合は軽いので、もう走れるくらいに治っています。今日は病院の経過けいか観察でレントゲンを撮っただけで、結果も問題ないそうです。もう文芸部と映画研究部のみんなと合流したと思いますけど、僕からも一応、森浦もりうら先輩には連絡しておきます」

 夢叶とのトーク画面から、三年生の先輩のトーク画面に切り替える。『森浦望夢もりうらのぞむ』というフルネームと共に表示されたアイコンには、いかにも真夏のビーチでナンパにせいを出していそうな茶髪の男が、軟派なんぱな笑みで流し目を送っていた。今すぐアプリを閉じたくなる衝動をこらえた僕は、簡潔かんけつなメッセージを送信する。

「夢叶が、もう着きます……と。これで、ラストシーンの撮影が始まりますね」

「ええ。長かったわね」

 静乃先輩が、薄く笑った。僕も、曖昧あいまいな笑みを返した。

 一年生の僕と、二年生の静乃先輩、それから三年生の森浦望夢もりうらのぞむ先輩が所属する文芸部は、五月から映画研究部とタッグを組んで、秋の学園祭に向けて自主映画を作っている。原作を文芸部、脚本きゃくほんと演出などを映画研究部がそれぞれにない、二人三脚でショートムービーを制作する企画は、原作を担当したチャラ男、もといベテラン部員の三年生である森浦望夢もりうらのぞむ先輩が、自分の原稿を映画研究部に持ち込んだことから始まったらしい。出来栄できばえを絶賛ぜっさんされた短編小説は、映画研究部によって台本の形にみ直されて、出演する学生たちの手に渡っている。

森浦もりうら先輩って、あんなにハイクオリティな推理劇すいりげきが書けるのに、どうして今まで部誌に小説をせなかったんでしょうね。静乃先輩、何か理由を知っていますか?」

「どうして私に訊くの?」

「僕よりも一年分、森浦先輩のことを知ってるじゃないですか。僕もミステリに興味があるので、きっかけがあるなら知りたいです」

 文芸部が今までに発行してきた部誌によると、森浦先輩はエッセイ専門で、少なくとも今年の冬までは小説を寄稿きこうしていない。そんな森浦先輩が、春になっていきなり本格ほんかくミステリを提出したのだから、興味を引いて当然だ。静乃先輩は対照的に、「さあ」と関心がうすそうに僕から目をらして、窓の外をながめている。

「私も知らないわ。森浦先輩とはそんなに話さないもの」

「森浦先輩のほうは、静乃先輩と話したいようですけど。ヒロイン役に、文芸部の女子部員の誰かを強く推薦すいせんしていたってうわさを聞きましたよ」

「どうでもいい話ね。たとえそうだとしても、森浦先輩の要望ようぼうを全て叶えるのは無理よ。そんなに身内みうちで固めるなら、文芸部だけでやれって話になるじゃない。ただでさえ原作者げんさくしゃ主役しゅやくを演じることに、複雑な感情を持つ部員も多いんだから」

 静乃先輩は、たしなめるように言った。配役はいやくの件で僕が窘められるのは、これで二度目だ。

 一度目は、台本が完成して間もない頃。登場人物は映画研究部の部員たちが演じるが、主役の探偵であり男子大学生の主人公は、なんと我が部で悪名高あくみょうだかい女子泣かせの遊び人、もといたぐいまれなる文才だけでなく整った容姿まで持ち合わせている森浦もりうら先輩が、役者に初挑戦しているのだ。理由は、映画研究部に森浦先輩贔屓びいきの学生がいるとかいないとか、とうに終わった色恋沙汰いろこいざたからんでいるとかいないとか。花形はながたの主役は映画研究部から選ばれるとばかり思っていたので、僕としてはかなり不満ふまんだ。同様の感想を持つ者は多く、部室で不平ふへいべていた生徒は僕だけではない。

 そんな陰口かげぐちいさめたのは、明智静乃あけちしずの先輩だった。

『もう決まったことだもの。私たちにできることは、森浦もりうら先輩たちが素晴らしい演技をできるようにサポートしたり、えんしたの力持ちをつとめたり、たくさんあるわ。みんなで力を合わせて頑張りましょうね』

 普段は素っ気ない静乃先輩が、優しい笑みさえ浮かべて部員たちを見つめると、みんなはまたたく間に手のひらを返してしまった。その日以降、配役についての表立った悪口は聞かなくなったが、代わりに『明智静乃は森浦歩夢もりうらのぞむに気があるのではないか』なんて下世話げせわうわさが流れたので、僕としては不満がふくれ上がるばかりだった。

「じゃあ、ミステリの話を静乃先輩と森浦先輩に訊くのは、あきらめます。代わりに二年生の『湯浅鮎子ゆあさあゆこ』先輩をさがして話を聞けば、何か教えてくれますよね?」

「どうして、その名前を知っているの?」

 静乃先輩は、窓から僕へ視線をシフトさせると、少し怖い顔でにらんできた。僕は剣幕けんまくにたじろいだけれど、言いたいことは最後まできちんと言った。

「部誌の作品を読んでファンになったんです。すごく面白いミステリを書かれる方ですよね。でも、僕が大学に入る二か月前の部誌から、湯浅ゆあさ先輩は作品を載せなくなりましたよね? その時期から、批評会に部員以外の人を入れるのが禁止になった話も聞きました。部活でも、顔を一度も見かけませんし……」

「当たり前よ。文芸部を辞めたんだから。その話は、もうやめてくれる?」

「……はい」

 好きな人が嫌がることはしたくないので、僕は殊勝しゅしょうに頷いた。静乃先輩はまた窓の外を眺めながら、「夢叶ゆめかちゃんの足は、本当に大丈夫?」と話題を変えた。

「いつもは時間に余裕よゆうを持って行動する子なのに、今日に限ってギリギリだもの。心配になるわ」

「ああ、本当に大丈夫ですよ。あいつ、病院の予約を明日の午前中だと勘違いしてたらしくて、今朝家を出る直前に気づいて、急いで病院に向かったそうです。診察が終わったその足で電車に乗ったから、ギリギリになったらしくて……」

 映画研究部に所属する夢叶は、部内の厳正げんせいな審査の結果、見事ヒロイン役に抜擢ばってきされた。本人もたいそう喜んでいて、文芸部の森浦もりうら先輩を交えて演技の練習に励んでいた。

 本来であれば、クランクアップ――撮影完了は、七月末の予定だった。

 しかし、夢叶が撮影中に転んで怪我をしたことで、撮影スケジュールを変更せざるを得なくなった。重要なシーンはほとんど撮り終えたあとなので、降板こうばんせずに続投ぞくとうという判断がくだされたが、それにともない夏休み中に行われる文芸部の合宿にも変化があった。海辺の町で格安の宿を取って行われている合宿は、元々は二日間で掌編しょうへんを書き上げて、最終日に批評会を行う予定だったが、夢叶の復帰時期と重なったため、合宿最終日の今日の午前中に、自主映画のラストシーンをることになったのだ。

「それなら、ちゃんと演技えんぎできるのね」

 静乃先輩は、ふっと微笑ほほえんだ。心から安堵あんどしたような、天使の笑みだ。

「よかったわね。ヒロイン役を最後まで務められそうで」

「え? ああ、そうですね」

 見惚みとれてリアクションがおくれた僕は、我に返って頷いた。ただし、僕には素気無すげない静乃先輩が、夢叶ゆめかにはやたらと優しい点は見過ごせない。ちょっとしたジェラシーを発散させるために、僕は少しだけ意地悪を言った。

「今日は静乃先輩が来てくれて、本当によかったです。合宿には来ないって言ってたのに、僕に会いに来てくれたんですか?」

 僕が合宿にいくらさそっても、静乃先輩は「興味ないわ」とあしらうだけだった。そして実際に、合宿の最終日を迎えた今日まで、静乃先輩は姿を見せなかった。そんな静乃先輩が、僕らの合宿先の町まで電車を乗り継いで来てくれたのだ。現在は映画研究部とともに撮影現場に集結しゅうけつしている文芸部の部員たちも、このことはまだ知らないはずだ。

「鳥肌が立つ台詞せりふを言うのはやめてくれる? 気が向いただけよ」

「それでも嬉しいですよ。あ、そういえばクランクアップ後には、みんなで海で遊ぶらしいですよ。夢叶も大張り切りで、部員のみんなと水鉄砲みずでっぽうをたくさん買ってきたそうです。先輩も一緒にどうですか?」

「嫌よ。着替えなんて持ってきてないし、はだも焼きたくないから」

 静乃先輩は、ちらと厨房へ視線を投げた。カレーなべをおたまでかき混ぜるマスターは、常連客と思しきカウンター席の男と話し込んでいる。昼食にはやや早い時間だったことも作用しているのか、僕らのカレーが出来上がるまでには時間がかかりそうだ。

 スパイシーな香りに気を取られた僕を、「ねえ、羽柴はしばくん」と静乃先輩が呼んだ。

「あなたは、本当はどうしてここに来たの? 寝坊も腹痛ふくつうも、嘘なんでしょ?」

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