第5話 欲張りな生き方
その夜、寝る前に部屋の片付けをしていると、夫が背後から私を抱きしめた。
「な~に~? 突然どうしたの?」
「この間は……その……無理やりしてごめん」
ご機嫌に尋ねる私に対し、夫は本当に申し訳なさそうに謝っている。
「ううん。私も怒って変なこと言ってごめんね。半年もしてないことに焦っちゃってた。もう愛されてないんじゃないかって……」
「そんなことないよ! 愛してるに決まってる!」
夫は私の身体を自分の方向けると、もう一度強く抱きしめた。そして私の顎を軽く上に向けいつもよりも長く濃いキスをしてきた。お互いの熱い息が混ざり合い、‟このままの流れでするのかな?”と思って身体を預けていると、夫は安心しきった顔で『じゃ、先に寝るね』と言い寝室に行ってしまった。
しかし、こんな中途半端な終わり方でも以前のような焦りは微塵もなかった。身体が満たされているおかげか、心にも余裕が出来ていたのだ。
ただ、若干盛り上がりかけた私の身体は、その続きを夫ではなく昼間の男に求めているようで、先ほど男に触れられた箇所がじわっと濡れた。
夫と最後までしてもここまではならなかったのに、あの男とは最後までせずともこんなにも心身ともに満足感を得ている。この違いは何なのか、今度あの男と会った時に聞いてみよう……。そう思った時、私は当然のように再びあの男と会おうとしている自分がいることに驚いた。
1ヶ月後、有給休暇を取った私はあの男と再び会うことにした。
待ち合わせ場所に到着するとすでに男はそこに立っており、私に手を振っていた。
「すみません。お待たせしました」
「いえ。では行きましょうか」
男は微笑むと、前回同様私の背中をそっと押し歩き出した。私は早くホテルに入って1か月ぶりの快感を味わいたかった。しかし、そんな焦りを男に悟られたくなく、意識してゆっくりと歩くようにした。
今日は、小さいながらも露天風呂の付いたホテルを予約しておいた。
男の前で裸になるのも2回目なので、今回は抵抗なく服を脱がしてもらった。男と一緒にお湯に浸かりながらゆっくりと外の空気を吸う。平日のこの時間、多くの人が汗水垂らして働いている中、私はお風呂で男に愛撫されている。これは至極贅沢な時間だと思った。
バスローブを着て部屋に戻り、ミネラルウォーターを飲みながらベッドに座ると、隣にいる男にある質問をした。
「‟なぜ最後までしなくても心身ともに満たされるのか?”ですか……。そうですね、それは僕が慈しみを持ってエイコさんに触れたからでしょう」
男は少し考えていたが、すぐに恥ずかしげもなくそのように答えた。
「‟慈しみ”……ですか?」
「はい。行為自体が子作りのためだけになっていた方もエイコさんと同じように感じていらっしゃったのですが、出すことが夫としての義務となった時、愛撫などは無駄な労力と判断され、そのことにより身体が雑に扱われ、結果最後までしても満たされないんだと思います。
本来、行為は《愛情》と《快楽》がセットになったものだと僕は考えています。そしてそれを両方与えることが出来るのが夫婦です。しかし、結婚した当初は当然のように与えられていたものが何らかの理由で片方欠けた時、途端に相手に対し不満が生じるのです」
「じゃ、じゃあ、うちの夫みたいに改善の余地がない場合はどうしたらいいの!?」
早く答えが欲しい私は男のバスルームを掴むと、そのまま勢い余ってベッドに押し倒してしまった。突然の出来事に男は驚いていたが、私を見上げフッと微笑んだ。
「お互いに愛し合っていてもいつかは必ず出来なくなるものです。それは年齢を重ねていけば誰にしも起こりうることで、あがいても仕方がありませんよ。
だから、ご主人が出来ない代わりに僕がエイコさんに快楽を与えてあげます。それとももう僕のこと必要ありませんか?」
男は意地悪そうにそう言うと、私の頭を支えグッと自分の方に押し、触れるか触れないかのギリギリの所で止めた。
「イジワルですね……」
私はそう言って自ら男の唇に自分の唇を重ねた。そして男は私の身体を再び快感で満たしていった。
――それから半年
十分に身体を満たしてくれる存在ができて以来、私は夫に男としての不満を抱くことがなくなり、私たち夫婦は《家族》として良好な関係を築いている。そして私は1か月に一度、仮の名‟エイコ”として過ごす日を作っている。
「今更気になったのですが、なぜ‟エイコ”という仮名にしたのですか?」
何回目かに会った時、男がふとそんなことを聞いてきた。私は『ほんと今更だね』と笑った。
「エイコのエイは、アルファベットのAから取ったの」
「それはなぜですか?」
「だって、癒しを買うのに私自身である必要はないでしょ? だからこれから先もユウタさんに本名を名乗るつもりはないわ」
これだけ肌を合わせても恋愛感情を一切抱かず完全に割り切っている私に、男は『さすがです』と笑った。
夫が出来なくなったからといって、妻の私まで女を終えるつもりはない。
私自身が‟しなくてもいい”と思える日まで、夫からは愛情を、ユウタからは快楽を、両方を得る。私はそんな欲張りな生き方を選んだ。それはもちろん夫にはナイショの話。
完
渇望 元 蜜 @motomitsu
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