第4話 満たされる身体
浴槽から出た私はバスタオル一枚を身体に巻き付けるとベッドに倒れ込んだ。男の言葉が胸の奥を締め付ける。
「大丈夫ですか?」
声がする方へ顔だけを向ける。男はバスローブを緩めに着ており、そのはだけた胸元がとても色っぽかった。
ベッドの縁に座った男は心配そうに私の頭を撫でた。その優しい手付きで棘ついた心が解れていく。
「エイコさん、あなたも何かご事情があるんですか?」
男はそう聞いた。
「あなたも?」
「えぇ。セラピストをご利用されるお客様は何かしらのご事情を抱えていらっしゃる方が多いもので」
「そうなんですか……。例えば、セックスレスとか?」
「そうですね。同じセックスレスであっても、ご主人が‟ED”だったり、浮気されていたり、そもそも身体の相性が合わなかったりと理由は様々です」
「うちは加齢です……」
「え?」
「うちは加齢で夫が“しなくても大丈夫”になったそうです。まだ40代に入ったばっかりなのに……」
男は『そうでしたか』と言うと、私の隣で仰向けになり鏡張りの天井を見つめた。二人が黙り込んだことで部屋にはジャグジーの機械音だけが残った。
「さっきのユウタさんの話の結論ですけど……、結局私たちのような夫と出来なくなった女性には苦しむ道しかないってことですか?」
私は嫌味っぽくその答えを求めたが、それを意に返さない男は天井を見つめたまま涼しい顔をしていた。
「そうとは言えませんよ」
「どういうこと?」
「そういう時のために僕たちのようなセラピストがいるんです。ご主人が身体の欲を満たしてくれないのであれば、僕たちでそれを満たせばいい」
「でもそれって不倫になるんじゃ?」
「エイコさんはお金を払って僕から癒しを買うだけです。最後までしなければ不倫扱いにはなりにくいようです。でもまぁ、その点はご主人の受取り方次第ですから『絶対』とは言えませんけど」
都合のいい解釈だなと思っていると、私の方を向いて男はフッと笑った。
(あぁ、また考えが顔に出てたか……)
「身体も冷えてきたことですし、そろそろ始めましょうか」
男はうつ伏せのままの私に覆い被さると、髪を避けうなじにキスをした。その柔らかな感触に反応して甘い声が漏れる。仰向けになるよう体勢を変えられ、唯一身に着けていたバスタオルが外されかけたところで私は慌てて男の手を止めた。
「ちょ、ちょっと待ってください! こういうの初めてなので事前に教えてほしいんですけど、どこまでするんですか?」
「あぁ、説明不足でしたね。最後まではしません。‟最後まで”の意味は言わなくても分かりますよね? 中にはこっそりとしている人もいるようなのですが、僕は頼まれても必ずお断りします」
「それは違反だからですか?」
「もちろんそれが一番の理由ですが、もう一つ理由があります」
「……それは?」
「最後までするとどうしても情が移ってしまうからです。特にお客様の方に恋愛感情が芽生えてしまうと途端に僕たちの関係性が保てなくなります。そのことでお客様とトラブルになった同業者も多くいるんですよ」
私は男の言葉に妙に納得をしてしまった。
確かに過去の恋愛で、それまで単なる友人だった人とお酒の勢いで一夜を共にした際、次の日には愛すべき存在になっていたことを思い出したからだ。
「もう質問はありませんか?」
ぼんやりと思い出に浸っていた私の頬を男がそっと手で包む。私は小さく頷くと男の首に腕を回しその身体を引き寄せた。男の顔が間近になり、目を閉じたところで唇と唇が触れ合った。それから男の手や舌が私の身体中を這い、‟これまで夫としてきたものは一体何だったのだろう”と思える程の快感を私に与えたのだった。
時間はあっという間に過ぎ、別れの時間が近づいてきた。
男と出会って数時間で、半年ぶりに夫と交わり感じた悲しみは跡形もなく消え、それに代わりとても満たされた心と身体があった。
「また会えますか?」
「えぇ、指名していただければいつでもお相手しますよ」
私はお金の入った封筒を男に渡した。
本来なら最初に渡すべきだったのかもしれない。しかしこのタイミングでお金を渡したことで、私たちは“割り切った関係だ”ということをより明確に感じられた。
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