第3話 セラピスト
「エイコさんですか?」
声をかけてきたのは、女性用風俗とは全く縁の無さそうなインテリ系の男だった。
どんな軽い男が来るのだろうかと想像していた私は、その至って真面目そうな雰囲気に面食らった。
「はじめまして、ユウタです」
「は、はじめまして、エイコです」
「それじゃあ行きましょうか」
ユウタと名乗った男は慣れた手付きで私の背中をそっと押し、紳士的にエスコートする。男に触れられた箇所が熱くなるのを感じた。
私たちはとくに寄り道をせず、真っ直ぐに予約しておいたホテルへと向かった。
私は歩きながら横目でその男を盗み見る。
年齢は30代前半だろうか。長身、黒髪で清潔感があり、正直女性には困っていないであろうその容姿に思わずドキッとしてしまう。
私の視線に気づいた男がクスッと笑った。
「そんなに見つめられると恥ずかしいんですけど?」
「え? あっ、ごめんなさい!」
「何か気になることでもあるんですか?」
男が微笑みながら私の顔を覗き込んだ。
「いや、ユウタさんって普通に格好良いですよね? 彼女とかいそうなのに、何でこんな仕事してるのかな、って思って……」
「皆さん同じ質問をされますね。僕は普段、個人で別の仕事をしていて、気が向いた時にこの仕事を入れてるんです。あと、特定の彼女はいませんので」
特定の彼女はいないって、やはり遊び人か、と警戒しかけたところでまた男が笑った。
「今、僕のこと“遊び人”って思ったでしょ?」
「え? ごめんなさい。思いっきりそう思いました……」
「ははっ、エイコさんは正直者ですね」
私は、普段から考えていることがすぐ顔に出てしまう自分を恨んだ。
「まっ、遊び人と思われても仕方がないですね。だって特定の彼女を作らないのは事実ですし」
「なぜ作らないんですか? おいくつか知りませんけど、結婚は考えたりしないんですか?」
私は彼の方を向き、矢継ぎ早に質問をした。
「そうですね……。では、その理由はホテルに入ってからしましょうか。ほら、着きましたよ」
私は話しに夢中になっており、ホテル街の中を歩いていたことに気づいていなかった。
部屋に入るとその中央には大きなベッドが置かれてあり、奥の方にはガラス張りのお風呂が見えた。こういう所には結婚してから一度も来ていなかったので、勝手が分からない私は部屋の隅でじっと立っていた。
男はスムーズにお風呂にお湯を張る。すぐに浴槽の中が細かな気泡でいっぱいになった。男が近くにあったスイッチを押すと途端に浴槽のお湯が七色に輝き、それを見た私は『わっ! 綺麗!』と歳不相応にはしゃいでしまった。
気恥ずかしくなり思わず男の顔を見る。男はやはりクスクスと笑っていたので、私は男の胸を『もうっ!』と言って軽く叩いた。すると男は私を抱きしめ、じっと瞳を見つめた。男の瞳の中に私のとろけかけた顔が映っていた。あっという間に二人を包む雰囲気が変わる。
「一緒に入りましょうか」
そう言って男は私の服を丁寧に脱がし始めた。夫以外の男の前で裸になることなんてないので恥ずかしくて死にそうだ。急いで浴槽に入ると男もすぐに入って来た。男の両足の間にすっぽりとはまるような形で座った私は何となく男に背を向けた。
「先ほどの質問の答えですが……」
絶えず出てくるジャグジーの気泡をぼーっと見つめていた私は一瞬何のことか分からなかった。だが、すぐに自分がした質問のことだと思い出し、恥ずかしさを捨て彼の方へ身体を向き直した。
「僕が特定の彼女を作らないのは、最終的にその彼女のためになるからです」
「え? ……どういうことですか?」
「特定の一人に絞ってしまったら、倫理的にその人としか行為が出来なくなりますよね?」
「そうですね……」
「そうなると、例えば僕が病気や加齢で行為を一生出来なくなった時、その彼女は困ることになります。付き合ってるだけならまだしも結婚していたら尚更です。夫と出来ないからといって他に愛人を作れば奥さんは周囲から責められるでしょう。出来なくなった夫を持つ奥さんには、欲望を押さえつけて残りの人生悶々として過ごすか、欲望に従って他の男と不倫して責められて苦しむか、その二択しかないと思っています。
だから僕は、そんな苦しみを彼女に与えたくなくて特定の彼女、ましてや結婚相手なんて作らないんです…………って、エイコさんどうかしましたか!?」
彼は慌てて私の頬を拭った。話しを聞いているうちに、いつの間にか私の目から大量の涙がこぼれていたようだ。
私の苦しみをそのまま代弁したような男の言葉が胸の奥に突き刺さった。
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