二十八.最強の『呪』をあなたに
桃子達が紡邸に戻って来ると、紡は縁側で煙草を吸って待っていた。
「中で待っていただければよかったのに。寒い季節ですから」
桃子が物干しを横切って近付こうとすると、
「ストップ!」
紡は鋭い声で制しながら、煙草で桃子の足元を指す。
「おっと」
桃子がビタッと硬直すると、紡のリアクション的にセーフな位置で止まれたようだ。
「その範囲は既に『呪』の準備が成されているから、迂闊に入らないで。正確に言うと
紡に言われて周りを見ると、確かに大幣が芝生に点々と突き刺さっている。多角形もしくは円を描くような配置か。
「こういうことが起き兼ねないから縁側で待ってたの。横着しないで玄関から上がりなさい」
「はぁい」
「はぁい」
手洗いうがいを済ませて縁側に来た桃子達は、ドヤ顔でお土産を並べるお父さんみたいに回収した物を取り出す。
「こんなんでどうでしょう?」
「うんうん」
紡はその一つ一つを手に取り、
「いいね、思った通り。大丈夫でしょう」
満足そうに頷いた。そしてそれらを縁側に並べ直すと、ここからが大事と言うように床へ手を突いて、上体を乗り出す。
「じゃあ、使い方と手順を予習しておこうか」
「お願いします」
桃子が頷くと、紡はすっと腕を組んだ。どうやら手取り足取り教えてくれる気は無いらしい。今まで通り桃子達に考えさせて、答え合わせをしようということだろう。
「まずどれから使おうか」
「まずは将門公を除霊する為に、結界から引っ張り出す必要がありますから、『結界を破れるもの』、これですね」
桃子がナイフを、つばきがフォークを握って顔の前に持って来る。
「正解。そんな食いしん坊番組の宣材写真みたいなポーズ決めなくていいんだよ。あと二人で分担せずに一人でパッパと使うこと」
「えぇ? ここは二人の思いを込めて」
「去来するここに至るまでの全ての感情を抱き締めてですね?」
「ふざけてんのか。ケーキ入刀でもしてなさい。それよりよく考えて。結界を開いた後、どうしなければならない?」
半ば睨み付ける紡から目を逸らし、半ば次のアイテムを探るように目を下に向けた桃子が選んだのは、
「出て来た将門公を、一刻も早く打ち祓う必要がありますよね。だから、『大怨霊を祓えるもの』、おっさ……菅公の笏です」
「今なんか言い掛けたね?」
「気の所為では?」
「あは。オッサレ〜なおじちゃまですよ」
「それ結局馬鹿にしてません?」
「結局ってことは桃子さんが言い掛けたのもやっぱり……」
「ストップ。もういい。進めるよ」
紡が手を叩いて無理矢理雑談を切る。
「桃子ちゃんの言う通り、使うのはその笏だね。そしてそれは将門公が出て来たら、すかさず使わなければならない。その為にも、どちらかが結界をミル・クレープのようにフォークで破り、ナイフで切り開く一方で、すぐにもその笏で菅公の雷を放てるよう構えていなければならない。これが呑気にケーキ入刀してる場合じゃない理由」
「ミル・クレープ食べるのにナイフ使います?」
「うるさいな」
いらない冗談で紡を怒らせてはいけないので、桃子は慌てて真面目な話題に戻す。
「この笏、どう使うんでしょう?」
それを聞いた紡は桃子から少し笏を遠ざける。
「手に持って念じるだけで打てる。だけど撃てるのは一発だけだから、変なところで暴発しないでね」
「ヒョエッ!」
「不安なら『撃つ時は菅公の短歌か漢詩でも唱える』と決めときなさい」
「そんなの知らないんで後で教えて下さい」
「調べろ」
すると桃子がスマホを取り出したので、紡はそれを手で抑え付けながら話を先に進める。
「はい次。何使う?」
「雑なフリ……」
「あん?」
「いえ、なんでも」
「あは?」
「なんでつばきちゃんまで圧を掛けてくるんですか!」
とは言うが、桃子にはつばきの気持ちが分かる。ここまでずっと黙り気味なのも、口を開けば詮の無い
もちろん桃子が成すべきことを理解しているか確かめる為に、極力紡との受け答えに口を挟まないのもあるが、
何より話を進めたくないのだ。
もちろん元の世界の紡を助けたいし、その為に全てを投げ打って準備してきた。それは変わらないし、それに挑むのが怖くて逃げているわけでもない。
ただ、どうしても、それは、今、目の前の紡と……。
──いつまでもこのままがいいな──
ほんの一握りくらいそう思うのを、桃子は責められない。自分だってそうだから。
それを紡だけがプロ意識か、寂しくないのか引っ張って行く。
「で?」
「あ、はい。祓い終わったら次は、結界と化した身体を破った際の傷口を修復する、『傷口を塞ぐもの』」
「……」
「の前に」
「うん」
紡は大きく頷く。
「ずっと大怨霊を体内に収めていたわけです。その分の穢れを浄化する、『傷口を洗えるもの』が先ですね?」
「その通り」
「洗った上で改めて傷口を塞ぐ、と。水はバシャバシャ掛ければいいんですかね?」
「いいんじゃない?」
「雑ぅ」
「それと、このワンピースは縫い付けるとかそういう……」
「いらないんじゃない? 霊力で塞ぐわけだから、そんなリアル手術みたいなことはね。ただ、多分彼女の魂と一体化して、ワンピースそのものも消滅って言うか、まぁ、二度と取り出せなくなるけど……」
紡はワンピースをチラッと見た。「ぬ」の唯一の忘れ形見。桃子にとってこれ程大切な物は無いだろうに、それを手放すことになるのを気にしているのだろう。
しかし桃子はワンピースをギュッと抱きしめて、
「ありがとう、ぬー。おかげで私の大切な人が生きられます。そして、ぬーもその人の中で生き続けるんですよ」
そう囁くのだった。
紡は少し待ってから、改めて二人に声を掛ける。
「これらは水以外、全て君達が自力で手に入れたもの。それも笏やワンピースなんかは私が何も言わなくてもね。ほぼほぼ君達の成果だよ。最初に私に宣言した通り、ほんの少しの助けだけで本当にやり遂げたんだ。誇っていい」
「はい」
「はい」
派手ではないが力強く、意志がしっかり宿った返事を受け取って、紡は美しい所作で立ち上がった。道士服の裾が揺れる。
「じゃあ、行きましょうか」
三人は庭に降りている。大幣の結界に対して紡だけが外。そんなに遠い位置ではないが、桃子達からすれば駅のホームで人を見送る時の、車体の壁一枚のような絶対的な距離。
まだ何も始まっていないのに、桃子は堪えられなくなって紡に話し掛ける。
「あの、紡さん」
「何かな」
「その、私達が枕返しで来た時みたいに、夜とか狙わなくていいんですか? 向こうの私が今何してるか……」
「あぁ、私が飛ばしたつばきちゃんと違って、君は今枕返しによって中身だけが入れ替わってる状態。戻った時の状況は身体に依存するから、懸念はもっともだね」
「はい」
しかし紡は軽く笑った。
「心配しないで。話はつけてある」
「話?」
「じゃあ始めようか」
大丈夫かな、と桃子がなんとなくつばきを見ると、
全然大丈夫じゃなかった。
涙腺決壊寸前である。百年経っても、良い子素直な元気な子。
それを見ると桃子も一気に泣きそうになる。それを誤魔化す為と少しでも今を引き伸ばしたい感情から、桃子はさらに紡へ話し掛ける。適当な話題も浮かばない彼女が選んだのは、
「色々と、本当にありがとうございました!」
「うん。しっかりやりなよ」
「さ、寂しくなりますね!」
言ってから地雷だと気付いたが、もう遅い。
「うぁああぅぅ……」
隣で堪えられなくなったつばきが、桃子に抱き着き顔を
それを見て紡は、腰に手を当て鼻から溜め息。
「まったく……。まぁ二度と会うことも無いだろうね。それが何よりだから」
桃子は思わずズッコケそうになる。
「ちょっとちょっとちょっと〜! そこは『そうだね、私も寂しいよ』とか言うところでしょう? 人の心とか無いんですか?」
「はぁ」とか言われるかと思った桃子だが、意外に紡は微笑んだ。
「旅立つ人に、そういう行き辛くなるような『呪』は贈らないよ」
そして彼女はこちらに背を向ける。
「そういうのは、いなくなってから幾らでも言うさ」
「紡さん……」
しかしそれは束の間のこと。勢い良く振り返った紡は、最高に力強い笑みで印を組む。
「さぁ始めるよ! 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
「九字切り? うわっ!?」
桃子の言葉が遮られる程、
「本来は修験者が人里から山へ、人の層から上位の層へ渡る為の『呪』だけど、私程の術者が使えば、それは時空を超えて世界を渡る『呪』にすら切り替わる!」
「そんな無茶苦茶な……! わぷっ!」
「あひゃあああああ!」
桃子はもう目を開けるのがやっとの状態、つばきは袴を手で抑えているが、サイドテールが龍みたいになっている。
風は轟々鳴っているのだが、その中で不思議と紡の声が届く。
「そうだ。もう最後だし、餞別として最強の『呪』を教えてあげようか」
「こ、こんな時に、紡さっ!」
紡がお構い無しに、いつものように人差し指を立てるのが桃子にも見える。
「『
「あは! 言霊の一種ですね!」
「こんな時にも『教えてつばきちゃん』律儀……! あっ!?」
「きゃっ!」
その時、急に桃子とつばきの身体がふわりと浮いた。と同時に、大幣に囲まれた範囲が、陰陽魚を中心とした複雑な図を描いて光り出す。
「つ、紡さん!」
「だから私は、君達にこう言祝ごう」
強い風と光で、桃子には見えたのは紡が微笑む顔ぐらい。
「紡さん! 紡さん!!」
「紡さん!!」
つばきの叫びを聞きながら、桃子が最後に辛うじて目にしたのは、
太陽のように輝く紡の満面の笑みだった。
「絶対大丈夫だよ! 君達の行く道に、
「紡さん!!」
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