二十四.刻
桃子の問い掛けに紡は笑顔を向ける。眉がピクリともしない。だからこそ作り物なのだと分かるし、何よりほんの少し、彼女の声は低くなった。
「どうしてそう思うのかな?」
桃子は背筋を伸ばす。今から話すことは、とても大事なことに思えたからだ。内容が、ではない。紡がわざと自分に過去を思い出させたと確定した場合の、その先にあるものが、である。それは非常に大きなことで、今ある全てが動き出し、一変してしまうレベルだと桃子は予感しているのだ。
「証拠があるわけじゃないですけど紡さん、ここ最近は微妙に当たりが優しかったり、私が持ち込んだ案件に協力的だったりしました。そして何より記憶の中の会話では、紡さん『誰かが異界から渡って来た気配はあった』と、枕返しで私が来た時に、それを察知していたんです。だから生田目さんが来た時も、紡さんは気付いたはず。実際僅かな要素でアタリをつけるのも速かったですし」
桃子がここで一度、返事を求めるように言葉を区切ると、紡はゆっくり頷いた。
「訂正するような部分は無いね」
桃子はそれに対して頷き返すと、結論を述べる。
「紡さんは生田目さんが枕返しで飛ばされて来たのを察知した時点で、チャンスがあったら上手く相乗りしようとしてたんじゃないですか? だからああやって、協力的な態度で私をそちらに寄せて行った。違いますか?」
桃子が紡を真っ直ぐ見据えると、彼女は煙草を灰皿に置いて……
「大正解! 賢くなったねぇ! 感心感心!」
満面の笑みで手を叩いた。真っ当に誉められているように見えるが、違う。
桃子には分かる。これは試されている。と言うより紡は、桃子にもう一歩先を読むよう促しているのだ。証拠にふっと、彼女の表情が変わる。口元は笑みのままだが目が笑っていない。そのまま紡は感情の無い声で切り返す。
「で、それがなんだと言うの? 何か問題でも? 忘れたままでいたかったかな?」
少し挑発的な色さえ含む紡の声に、桃子は乗らずに首を左右へ振った。
「いえ、私がどうのじゃないでしょう。大事なのは、このタイミングで紡さんが全部思い出させたということ。そうさせる理由があったということですよね。つまり……」
桃子はほんの少しだけ、その先が言いたくなくて目を伏せる。しかし、ここで言えなければ紡の挑発通りだ。
今から言うべきこと、そしてその一歩先を理解した桃子は、目に涙を溜めつつ、しかし決して溢さないように堪えながら顔を上げる。
「全部、揃ったんですね……」
「うん。そうだよ」
紡はここで初めて、心の底から穏やかな笑みを浮かべて目を閉じた。彼女は深く頷きながら告げる。
「正確には、揃った分には結構前に揃ってたんだ。何ヶ月も前に。でもね、使えるように浄化する必要があった」
「浄化……」
「椿館を覚えてる?」
紡は静かに煙草を手に取る。
「覚えてますとも」
「あそこでつばきちゃんは、約束通り必要な道具を作っていたわけだけど、ちょっと想定外の問題が発生した」
「杉本さん……」
桃子の脳裏に懐かしい顔が浮かぶ。
「そう。命を奪ったりと、致命的な穢れこそ抱えないままつばきちゃんが作ってくれた道具だけど、まさかまさかの館が亡霊の巣窟になってしまった。その所為で、微妙に影響を受けてしまったんだ」
「ごめんなさい」
ずっと成り行きを見守っていたつばきが、深く頭を下げる。
「気にしないで下さい!」
桃子は顔を上げさせようと手を伸ばすが、間に紡が座っているので微妙に届かない。
「実際謝る程のことじゃない。つばきちゃんがしっかり清浄なものを作ってくれていたおかげで、長年亡霊の念に晒されても、ある程度の自衛が効いてたし。だから私が使えるように浄化出来る範囲だった」
紡はにっこり笑うが、それが意味するところはつまり、
「……その浄化が、終わったんですね」
「そういうこと」
「だから……」
「そう。だから」
「もう……」
桃子は先が言いたくない。散々覚悟したし、それを今ここで紡に示さなくてはならないのだが、でもやっぱり言いたくない。思わず目を伏せて逃げようとする桃子の両頬に、紡の両手がそっと触れる。はっとして顔を上げる桃子に、紡は最後の優しさか、彼女が言えないことを代わりに口にした。
「目的を果たす刻だよ。お別れさ」
「うっ……」
桃子の顔がくしゃりと歪む。向こうではつばきが、思わず顔を手で覆って背を向ける。そしてその背中すら、涙に震えている。
紡はそんな桃子の肩をバンバン叩きつつ、一方でつばきを抱き寄せた。
紡は二人の頭を自分の太腿に寝かせると、まずは桃子の頭を撫でる。
「大丈夫だよ桃子ちゃん。君なら出来る。私も最初君の記憶を隠した時は、正直どうしたものか分からなかった。このままじゃ先に進まないんじゃないかと心底心配した。でもどうだい! 私が記憶を隠した次の日、君は記憶が無いまま私の元にたどり着いたんだ! 行方不明の則本珠姫ちゃんを探すお巡りさんとして、『初めまして』なんて言うような顔してね! 知らなかったでしょ? それだけでも驚くべき思いの強さなのに、君は記憶も無ければ説明も無い状態のまま、必要な物を集め切った! そして何より、桃子ちゃんは強くなった。その証拠に、全ての記憶を取り戻しても、あの時みたいに心が壊れたりしなかった。私は怖がって直接記憶の『呪』を解けずに、生田目さんの流れに巻き込んでようやく一歩踏み出せたというのに。君は私の想像の何倍も強くなった。大丈夫だよ。成長した今の桃子ちゃんなら出来る」
次に紡はつばきの頭を撫でる。
「つばきちゃん。君に心配することなんか、何も無い。元々
それでもやはり、桃子もつばきも涙が止まらない。紡は自分の服の生地を濡らし続ける二人の頭を、ずっとずっと撫でてやる。幾つになっても子にとって親は親であるように、成長しても二人は紡を慕う気持ちなのだろう。となれば、紡が母のように掛けてあげるべき言葉は……
「さ、行きなさい。私の自慢の、愛する子達」
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