二十三.桃子とつばきと庭

 生田目に対する調査を終え、一行は署を出て道を歩いている。


「生田目さんが言ってた記憶は全て本物だね。その上で、人間関係以外の細かいこともこの世界と違った。つまり、彼は違う世界から来た人間だと確定したわけだ。となればもう、あとは簡単。彼が釈放されたら元の世界に返してあげるだけ」

「あは。一件落着ですね!」


紡は人差し指を振りながら得意気である。そこに水を差すのは忍びない、と言うか、何より桃子はこの幸せな日々を壊したくないのだが、それでも言わなければならないことがある。


「あの、紡さん」


桃子がおっかなびっくり話し掛けると、紡はゆっくりこちらを向いた。さっきまでの愉快そうな表情から一転、穏やかで優しい顔をしている。彼女の微笑む唇が柔らかく動く。


「なぁに?」


この瞬間を壊したくない……、思わず桃子は言葉を喉で押し止めたが、それは違うのだ。紡がこんな顔をするのは、桃子に全てを言わせる為なのだ。

桃子は張り付いた喉をゆっくり剥がすように、平静を保てるよう努めてゆっくり声を出す。


「私も、全て……、全て思い出しました」


それを聞いた紡は、一瞬だけ悲しそうな表情で、しかしすぐに満足気な微笑みに変わると小さく頷いた。


「そっか」


桃子にはその微笑みの意味が、全て分かるような気もすれば、何一つ汲み取れない気もした。遠くにも近くにも感じた。ただ一つ確かなことは、やはり全てを話してしまわないと、その『何か』を繋ぎ止められなくなってしまうということ。


「紡さんっ! どうして、どうして私は……!」


すっ、と、桃子の唇に紡の人差し指が触れる。しなやかな指と儚い微笑み。それが一瞬暗く見えなくなって、すぐにオレンジに焼けた濃い陰影で浮かび上がる。

長いこと夢を見ていたので、そんな時間になったのだろう。

薄明光線だ。

一日の中でほんの少しの、儚い輝きの中で紡が笑う。


「細かいことは、家で話そう」


汗ばんで強張る桃子の手を、つばきがぎゅっと握った。






 狙っているのか。狙っているのだろう。紡が話の場所に選んだのは、リビングでも応接室でもバルコニーでもなく、屋敷の縁側だった。もう寒くて寒くて堪らない季節だというのに。

桃子は今、紡が灰皿を持って来るのを待っている。紡が入るスペースを間に開けて、つばきと二人きりである。


「私『大正時代の幽霊じゃない』とか言いましたけど、本当に大正時代の幽霊じゃなかったんですね」

「あは。騙したとは思ってませんからね? 実際嘘は言ってません」

「なんと」


お互い、相手の方を見ずに庭を見て話す。気不味いのではない。今は直接相手を見るより、同じものを見つめる方が、お互いの気持ちがよく分かる気がするのだ。


「その、つばきちゃん」

「はい?」

「ごめんなさい」

「私が自分で選んだことに対して謝るつもりなら、それは侮辱なので覚悟して下さいね。で、何に対してごめんなさいなんです?」

「うぐっ」

「あは〜ん?」


お互いの方を見ていないし夕暮れも過ぎて暗くなっているので、つばきの表情は分からないが、おそらくは愉快な顔をしていることだろう。


「その、あ! そう! 宇治金時練乳!」

「は? それの何が『ごめんなさい』ですか? ついに脳みそ半分になりました?」

「失礼な! その、あれですよ。椿館でかき氷をくれた時、つばきちゃんはあんな細かい私の好みまで覚えていてくれたのに、私は何故だか、全てを忘れていた……」

「あぁ」


つばきの声が少し真剣になる。


「思い出すのに、こんなに掛かりました。待たせ、ちゃいましたね」

「気にしないで下さい」

「でもちょっと怒ってるでしょ?」

「どうして?」

「いつだったか、『思いは時空を越える』なんて話をした時、私の方をめっちゃ睨んでたじゃないですか」

「藪蛇なことしますねぇ。言わなきゃ思い出さないのに」


思い出しても怒りまで蘇っては来ないようだ。そんな感情の動きから、今縁側に腰掛けているつばきが足をぷらぷら動かしていることまで、彼女の全てが桃子には見なくとも分かる。


「しかし、本当に『思いは時空を越える』んですね。我が身の実体験になるとは。でも、どうしてそれ程命を懸けていたことを、私は綺麗に忘れてしまえたんでしょう」



「私が忘れさせたんだよ」



急に頭上から声が割り込んで来た。そちらを振り返ると


「紡さん」

「そうしないと、どうにも話が進まなかったんでね」


紡は灰皿を置いて縁側に腰掛ける。


「どういうことですか?」


桃子が問うても、紡は答えずマイペースに煙草を取り出す。火を着けて、思い切り煙を吸って吐いてから、ようやく紡は口を開いた。


「あのあと、君はつばきちゃんが犠牲になったあまりのショックに、心が壊れてね。約束を果たすべく行動するどころじゃなかったんで、一旦全部忘れてもらった」

「なんと!」

「同時に、しばらくはこっちの世界の住人として生きて行く必要があるから、色々調べたり聞いたりして、こっちの世界の桃子ちゃんとして行動するのに必要な記憶を植え付けもしたよ」

「私の脳内が知らない内に改造されている!?」

「でもそのおかげで回復した上、以前と全く違う職種でも対応出来たんじゃないか」

「そうですけど……」


と、桃子はつばきが涙目でこっちを睨んでいることに気付いた。どうやら彼女的には、信じてたもとを分かった桃子が、自分の意志を汲まずに方がお怒りポイントのようだ。

だが、今はつばきをしてやる場合ではない。桃子は紡に聞きたかったことをぶつける。


「紡さん」

「何かな?」

「私は生田目さんへの催眠療法に巻き込まれて、紡さんが封印しておいた記憶を全部思い出してしまいました」

「そのようだね」

「でも」


桃子は紡の目を覗き込む。つばきと違って真意が見えない為、しっかり見詰めて、目を逸らしてはならない。



「それって、わざとですよね?」

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