二十二.少女薄明光線

 薄明光線に照らされる紡の顔は、優しく悲しい。では自分はどんな顔をしているだろう、桃子は言われていることから逃れるように、と想像した。きっとつばきなら、指差して笑ってくれるような顔だろう。

つばき。


「や、やだなぁ。そんな死んだみたいな言い方。あれでしょ? 元の世界でもなければ別の遠いところってことは、また他所の紡さんのところに行って、そこで頑張るってことでしょう? 世界紡さん連合! 強そうですね! いや、強い!!」


痛いくらい手を打って桃子から、紡は目を逸らした。そして吸いかけの煙草を灰皿に置くと、その手で顔を覆うような前髪を掻き上げるような、中途半端な仕草をする。



「いや、もう死んだんだろうな」



瞬間、ドスッと灰皿が庭に落ちる鈍い音が、縁側の板目が上げるゴンッという、輪を掛けて鈍い音に掻き消された。紡の胸倉を掴んで押し倒した、桃子の手が震える。


「……どういうことですか。説明して下さいよ……、説明、してよ……」


紡はその手に目線を向けることも、苦しいとも退いてくれとも言うこと無く、静かに口を開いた。


「『結界を破る為の、清く力あるもの』が必要だと話したね。覚えてる?」

「覚えてますよ……!」


早く要点をと促すように桃子の握る拳が固くなるが、紡に動じる様子は無い。


「あれを手に入れるのは、非常に困難だとも話したね。じゃあどうするのか。機会が巡って来るまでひたすら待ち続けるのか。いつになるのか分からない、確証も無いを待ち続けるのか。なんてもんじゃない、取り敢えず買って抽選の舞台に立つことすら出来ないを、アテにするのか」

「……じゃあどうするのが正解なんですか」


「作った方が確実なの」


明かりは薄明光線のみ。桃子が被さって影になった紡の表情はよく見えないが、その目はこちらを真っ直ぐ見据えているのが桃子には分かった。お互い下半身は縁側に腰掛けたまま、上半身を捻って倒す無茶な姿勢で、その苦しさを感じることもなく時が止まる。


「作、る……」

「そう。長い年月を掛けて、穢れから切り離し清浄なる気に触れさせ続ける。そうすることでしか、命を吸わず清いまま、強い『呪』を持った道具は作れない」

「長い、年月……」

「そうだよ。長い年月だ。清い気質と霊力を持った人間が、聖域に篭って力を注ぎ続けても、一生で終わるか分からない程の」


途方も無い話に、力が抜けた桃子の拳が少し弛む。あるいは何かを察したのか。


「君に話したように全てをあの子に説明したところ、彼女は『それでもやる。百年掛けてもやり遂げる』と言ったんだ」

「まさか……」

「でも今から百年じゃ、どの道間に合わない。だから私は……」


紡が一瞬だけ目を逸らすのを、桃子は影の中で感じ取った。その先を言わずとも、それが答えのようなものだ。

やめろ、と桃子の中で、頭蓋を内側から割りそうな悲鳴がこだまする。


「あの子を」


やめろ!!



「百年程過去の世界に飛ばした」



するっ、と、桃子の手が紡の胸倉から離れる。彼女はそのまま上体を起こし、今度はその手を背後の床に突いた。はっはっ、と呼吸が乱れる。何故だか知らないが、乾いた笑いが出るのを桃子は止められなかった。それはある種の防衛本能なのかも知れない。


「……ほ、本気で言ってます、それ?」

「私が本気かどうか以上に、事実がそうなっている」


紡は起き上がらずに天井を見ている。その無力な様が、桃子の心を現実で切り付ける。


「じゃああの子はもう百年前の人物になってしまって、だから『もう死んだんだろうな』ってなってるってことですか?」

「そうだね」

「馬鹿な、そんな馬鹿な。嘘ですよそんなの」

「そう思うかい?」

「そりゃそうですよ! だって、一生掛かったって難しいんでしょう? 『百年掛けてやる』とか言って、もう死んじゃってるんでしょう? 最初から無理じゃないですか! 私の知ってる紡さんとつばきちゃんは賢い人です! そんな馬鹿な計画立てたり実行したりしませんよ!」

「そうでもないよ。霊力を注ぎ続けるのに、本人が生きている必要は無いからね」

「紡さん!」

「途中で死んでしまうのは織り込み済みだよ。むしろ今の時代の環境で暮らしている、身体も出来ていない子供が、大正だったな、あんな時代では長生きもしないだろうね。二、三年すら生きられる保証も無いっていうのは、あの子も理解してたし」

「嘘だ……」

「でも、あれだけ強い意志と目的があるんだ。道半ば若くして死んだら、十中八九成仏はしないだろう。まぁ残りの一、二を補うだけの『呪』は施して来たけど」

「嘘だ」

「幽霊になったら穢れとなって道具に影響を与えてしまうか、っていう点については、例えば死後神格化された人の霊や靖国神社の英霊達のように、清い霊というものがある。あの分ならあの子もそうなるでしょう」

「嘘だ!」

「三重県の鈴鹿には椿大神社つばきおおかみやしろという、非常に神聖な神社があってね。あそこは水も良くて清浄な気で満ちてる。だからその近所の『椿館』っていうところに、親無しの奉公人として紛れ込ませておいたよ。あの子は頭が良いから奉公人としても、名前が『つばき』だし『呪』的にも相性良く力を借りれるから、上手くやるだろうね」

「嘘だっ!!」

「嘘じゃないよ。分かってるでしょ?」


紡はここで初めて、目線だけ桃子に向けた。



「だから今、泣いてるんでしょ?」

「あっ……」



桃子が思わず頬に手を遣ると、そこには既に一筋の濡れた軌跡があった。


「あっ、あっ、あぁ……」


気付くともう止まらない。桃子はボロボロと止め無く涙を零しながら、今度は仰向けの紡の胸に、縋り付くように倒れ込んだ。


「どうして……! どうしてそんなことしたんですかっ!!」


紡はまた、目線を天井に向ける。


「そうだね。まず最初に、君達の世界の私が、歓喜天の『呪』を用いて、自らを差し出してまで怨霊を鎮めたのは、決して仕事に忠実だったからじゃない」


彼女はその代わり、桃子の頭にそっと手を置いて、撫でる。


「あの場でなんとしても将門公を抑えてしまわないと、君達に何があるか分からなかったらさ。その場で襲い掛かるかも知れないし、後で送り狼になるかも知れない」

「うっ、くっ……!」

「大切な人の為に命を張ろうと……、言い換えれば君達のことを、自分が惜しくないくらい愛していた。そしてつばきちゃん、あの子もそれは同じだっただけのこと。だから同じことをした。私もさせた。誰にも止めることも責めることも出来ない。私がそれぞれの思いに優劣をつけて、どちらか一方を止める権利も無い」


桃子の手がぎゅっと紡の浴衣の生地を掴む。彼女はそのまま感情に任せて起き上がる。


「でも……、それなら私だって、同じです! だったら、幼いあの子より大人の私が、その責任を負うべきでしょう!? なのになんで……!」

「勝手に決めて、勝手に行って。気持ちは分かるよ」


紡は着衣が乱れ、胸元がはだけているのも気にしない。


「でもね、事前に話したところで、霊能力の無い君には出来ない役割じゃないか。そしたら答えは一つなのに、押し問答になって遅れるだけ。君の口から『あの子にその役割を負ってもらう』と言わせて、君を傷付けるだけ。だから黙って行くしかなかったんだよ」

「あ、あ、私が、私が無力だから……」

「そう思うなら、君は自分が出来ることを頑張るしかないよ」


紡は胸元に、桃子の頭をそっと抱き寄せた。桃子は素直に顔をうずめて、白い肌に直接ポロポロと涙を落としながら、弱々しい声を出す。


「ねぇ紡さん? だとしても、あの子は大変な環境の中ですぐに、誰一人親しい人、側にいて欲しい人に看取られることもなく死んでしまうんですか? そしたらその後、成仏も出来ずに百年もの間、で私達を待ち続けるんですか? ずっとずっと、何もかも失って、役目だけ背負って解放されずに、一人で……」


紡は、桃子の声を拾い上げるような優しい手付きで頭を撫でながら、子供を寝かし付けるような声で囁いた。



「だからあの子は、こう言っていたよ? 『ずっとずっと、あなた達のことをお待ちしております』って、強くて、綺麗な笑顔で……」



ふっ、と、薄明光線が途絶えた。夜のとばりが下りる……











「はっ!」


桃子が目を覚ますと、そこは取調室だった。


「以上です。ありがとうございました」


目の前ではちょうど、紡が生田目への催眠療法を終えたところだった。

すると、部屋の端で大人しくしていたつばきが、桃子の様子に気付いたようだ。彼女はにっこり笑う。


「あは。やっと、桃子さんも起きたみたいですね」


桃子はなんだか、久し振りにつばきに会えた気がする。いや、本当の意味では今ようやく、百年の時を経て彼女に会えたのだ。

つばきは桃子の目の前に立つと、椿館で初めて出会った時と同じ笑顔を浮かべ、同じ言葉を口ずさんだ。



「お待ちしておりました。ずっと……」

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