二十一.夢の行方

 自信満々に宣言する紡だが、桃子にはよく意味が分からない。間の抜けた顔と声で


「はぁ?」


と返すのが精一杯である。それを見て紡は、「察しの悪い奴め」とでも言いたそうな、理不尽な顔をする。


「枕返しでこっちの世界に来た君なら『夢は別世界への扉である』ということは理解してくれるね?」

「もちろんです。経験者ですから」

「よろしい。換言すれば、『君が元の世界の夢を見ていれば、その夢から世界を渡ることで、確実に元の世界へ行ける』ということになる」

「はえ〜」


紡は「ここが重要!」と言わんばかりに、顔をと寄せて来る。桃子はキスしたい衝動に駆られるが、ここは流石に真面目な顔をしておく。


「そして科学的見地から言うと、夢は記憶を整理する脳の活動とも言われている。夢は記憶でもあるんだ。つまり、今から私は『催眠状態で元の世界の記憶を語る君』を疑似的に、『睡眠状態で元の世界の夢を見る君』という『呪』として扱い、そこから君の言う世界へ渡る」


桃子は後ずさりこそしなかったが、上体をらせて驚きを露わにする。


「えーっ!? そんな無茶苦茶な話、通るんですか!? 悪い政治家の法解釈みたいな!」


対する紡は、この言い方に対しては意外と涼しい顔をしている。


「通るよ。と言うか通す。私クラスの陰陽師なら可能だね」

「そのクラスでやることが、力でゴリ押しってどうなんですか!?」

「うるさいなぁ。これが一番手っ取り早いんだから、四の五の言わずに始めるよ」


紡はマッチを箱から取り出すと、蝋燭に火を着けた。そして、ゆらゆら揺れる小さな炎を、桃子の目の前に突き出して来る。


「さぁ、この火を見て下さい。火が揺れているのを。あなたは意識の底へ深〜く深〜く潜って行きます……」






「はっ!」


桃子が目を覚ますと、自身は布団の上で仰向けになっており、窓の外から見える空はもう、オレンジ色の薄明はくめい光線を伸ばし始めていた。


「結構な時間過ぎてますね……。催眠状態で語るって聞いてましたけど、夢見てたみたいで何か喋った記憶とかありません」


桃子が頭を掻きながら上体を起こすと、周囲には誰もいない。彼女の頭をあることがよぎった。


「もし紡さんが戻る前に私が起きてしまったら、あの人帰って来れないんじゃないですか……?」


そうなったらもう、怒られるとかそういう次元の話ではなく、事態がさらに悪化しただけという大問題状態になってしまう! 最悪紡を送り込めたので、紡は紡とつばきが助けてくれるだろうが、桃子自身はこの身寄りの無い世界で、どうやって生き抜けばいいのか?


「紡しゃん!」


桃子が情け無さ百パーセントで寝室を飛び出すと、


「はぁい」


紡はすぐそこの縁側で普通に煙草を吸っていた。


「なぁんだ、いるじゃないですか。安心安心」

「そりゃいるよ」


紡の声はなんと言うか、平坦な感じで素っ気無い。桃子は少しでもねぎらう気持ちを示したくて、彼女の隣に腰を下ろした。


「お疲れですか?」

「そりゃ、時空を渡ったり渡らせたりするのは大儀たいぎなことさ」

「そうですよね、ありがとうございます。では代わりに私が、元気の出るご飯を作ってあげましょう」

「いいよそんなの」

「大丈夫です! 私はプレーンなクッキーをチョコクッキーの色にするレベルですが、つばきちゃんは家庭科の評価は五です!」


瞬間、紡は吸いかけの煙草を灰皿で押し潰した。確か紡は、元の世界もこちらの世界も、根元まで吸うタイプだったような。


「どうしたんですか」

「……」


紡は何も言わずに、夕焼け以外では見当たらないような色の空を見詰める。


「あの……? 確かに大丈夫と言っておきながら作るのはつばきちゃんですけど……。あ、気が回る子ですし、もう作っちゃったんです?」


紡は自分で消しておいて、もう一本煙草を取り出す。その細かな指先の動きに、桃子は言葉に出来ない何かを感じ取った。


「あの……」


紡が煙草に火を着けたのを合図に、桃子は思い切って『何か』を言葉にしてみる。


「それで、つばきちゃんは?」


しん……として、紡からも誰からも、返事が全く来ない。音が無い。紡以外に、返事をくれる誰かがいる気配が無い。


「あの……」

「……」

「リビングですか?」


「キッチンですか?」


「お風呂ですか?」


「二階で寝室でも整えてるんですか?」


桃子一人の言葉が、虚しく虚空へ消えて行く。紡はそれらが煙に乗って流れて行くのを見送ると、静かに一口煙草を吸って、吐き出す煙に乗せて答えた。


「彼女はこっちには来ていないよ」


桃子は一瞬ギクリとした。が、こういう時こそ落ち着いて考えるべきである。


「そ、そうですよね。あの子、夏休みって言ったって部活も夏期講習もありますし、学校の帰りにこっち来て朝には帰るなんて、そんな無茶は利きませんよね! あっはっはっ!」


そりゃそうだ、そうに決まっている、逆に私は何をそんなに怯えていたんだ? 笑い飛ばしに掛かる桃子だが、どうにも心がスッキリしない。

もしかしたら彼女は既に、紡にされていた説明から、よく知るつばきの性格から、今目の前にいる人の隠し切れない悲しみから、答えや真相と言わずとも、起きたことの方向性のような何かを、導き出していたのかも知れない。見ないフリをしているだけで。

それを見透かしてか、紡は刺激しないように、少しずつ距離を詰めるように、呟いた。


「違うよ。そうじゃないんだ」

「……」


えっ? と驚きの声が出ない自分に桃子は……それもすぐに見えないフリをする。

そんな彼女の表情を静かに眺めた紡は、優しく殺してあげる宣言かのように、もう一歩詰めてきた。



「あの子は別の、遠いところへ行ったよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る