急.
「わ、分かったってどういうことですか!?」
紡は桃子を無視してつばきを呼び寄せる。
「つばきちゃん、これ見て。どう思う?」
「なんですか? あ。……あー……」
二人して何やら水槽の照明を弄っている。
「ちょっとちょっと! また二人だけで盛り上がっちゃって! 私も混ぜて下さいよ!」
桃子が近付こうとすると、紡はこちらを見ずに手だけ伸ばして牽制する。
「ダメダメ、危ないよ」
「危ないんですか? まさか照明から感電したり爆発したりとか!?」
「それだと私達でも危ないじゃん。電気系の専門家呼ばなきゃ」
「で、照明見て何が分かったんですか?」
「んー? 柳町さんご乱心の原因」
「なんと!?」
桃子が身を乗り出す傍ら、紡は照明を昼用に切り替えている。
「どういうことですか!? 役作りとか生霊とか言ってたのに照明!?」
「紡さん、出ましたよ」
桃子と紡の間を割るように、つばきがスマホの画面を突き出した。そこにはネットショッピングの、水槽用の照明のページが映し出されている。紡はスマホを受け取ると、画面を繁々と見つめている。
「何を見ているんですか?」
「よし、思った通りだ」
紡はスマホをつばきに返すと、今度は自分のスマホをテーブルに取りに行き、画面をタップして耳に当てた。誰かに電話をするようである。
「あ、もしもし。吉川さんですか?」
どうやら紡は菊代に電話をかけたようである。
「はい、はい、そうです。えぇ、あ、生霊ではありませんでした。はい。あ、いや、役作りも関係無くはないです」
紡の顔が少しだけ『黙って聞け』と言いたそうな感じに。
「あのですね、はい。いや、原因と言うか、原因が原因になった原因と言うか、えぇ、あれです。とにかくライトをね、違うのに変えたら
最後の方は無理矢理気味に通話を切った紡。スマホをテーブルに置いて、椅子に腰掛け新しい煙草に火を点ける。すかさず桃子が向かいの席に座った。
「さて紡さん。そろそろ説明していただきましょうか」
「嫌だと言ったら?」
「普段は嫌がっても食事中に無理矢理『呪』の話するのに、そりゃあないでしょ!」
紡は溜め息なのか違うのか分からない感じで煙を吐くと、テーブルに右腕を乗せて身を乗り出した。
「西洋ではね、月の光は狂気の
「月の光、ですか?」
「そう。あ、つばきちゃん。チー鱈取ってチー鱈」
紡は夕方コンビニで買って来たおやつを開け始めた。一応夜に生霊と決戦するかも知れなかったので、アルコールの類いは無い。
「あは。人生で一度は鱈を剥がして食べたことありません?」
「ありますよ! ウエハースも爪で切れ目入れて剥がしました!」
「えぇ……」
「君は何が無くとも気ぃ狂ってるね」
「私のことはいいんですよ」
紡はチー鱈を飲み込むと次の一本を取りつつ、すぐに口には入れずに語る姿勢。
「何故月が狂気の象徴かというと、日毎満ち欠ける月と、コロコロと変化しそれも時に慈愛に満ち、時に優しさに欠ける人の心がリンクして考えられたんだ。その上で月は明るい昼間の太陽の対局にあるもの。つまり人の裏の顔や仄暗い部分の象徴とも考えられたんだね。そういったことが転じて狂気とも言われるようになった」
「『狼男が満月の夜に月明かりを浴びて変身する』というのも、この辺とリンクしていると言われています」
「はえ〜」
紡はここで手に取ったチー鱈を口に放り込む。それを飲み込むと第二ラウンドである。
「ところで桃子ちゃん。外国の言葉で『月』を表すのは何がある?」
「外国語で? えー、ムーンとか、ムーンとか、ムー◯ンとか……」
「月経管理アプリは?」
「ルナ◯ナ! ……あ、ルナもありますね」
「そう、ルナ。そして桃子ちゃん、英語で『狂気』という名詞、『狂気の』という形容詞は?」
「知りません!」
「あは。無駄に速くて力強い」
つばきがチー鱈の鱈を剥がす。
「正解は『
「ルナ◯ナじゃないですか!」
「そういうこと。ね、月の光は狂気でしょう」
紡が笑うと、桃子は口の端でチー鱈をぴこぴこ動かす。
「まぁそういう概念があってがっちり市民権得てるのは分かりましたけど、それがどうして水槽の照明に繋がるんです?」
「つばきちゃん、見せておやんなさい」
紡はカルパスの袋を開ける。つばきは桃子にスマホの画面を見せた。そこに映っているのは、先程も出していたネットショッピングのページ。
「これがなんですか? 安物で良くないとかですか?」
「ここ見て下さい。ここ」
桃子はつばきが指差す部分を目でなぞる。
「なになに? 『明るさ調節可能 昼光モード・月光モード』……、月光!? ま、まさか!?」
「そのまさかだよ。菊代さんが言っていた夜用というのは、その月光モードのことだったんだ。それが悪さをしていたんだね。月光の再現度が良過ぎたか」
「あは。企業努力の賜物ですね」
「そういう問題ですか?」
桃子はカルパスの包みを開けながら、尚も残った疑問をぶつける。
「でもそんな危ない代物だったら、世の中もう少しパッパッパー人間がいるはずじゃないですか? どうして柳町さんだけ……」
「そりゃあもう、役作りでちょっとメンタル不安定だったからでしょ。だから常人は大丈夫な月光ライトでも手痛い目に遭った。そもそも月光に狂気の力があるとは言え、それが健全な人にもビンビン来るようじゃ、この世はマッドパラダイスになってしまう」
「あー……。でも、でもですよ? 要は偽物でしょう? それだったらこの照明を変えても、夜になって月が出る度、結局おかしくなってしまうんじゃ……。むしろ本物な分破壊力も……」
カルパスを取り出した後の包みを、無意味に綺麗に伸ばしているつばきが人差し指を立てる。
「では桃子さん、こう考えて下さい。激辛麻婆豆腐と、その十倍辛い『激辛麻婆豆腐極み』があります」
「なんですかその例えは」
「十メートル先から漂ってくる『極み』の辛い匂いと、実際に口の中に放り込まれる激辛、どっちが破壊力ありますか?」
「そりゃ口の中の方が辛いでしょうよ」
「そういうことです」
つばきはルンルンと人差し指を振る。
「地球から遠く離れた、それも満ち欠けで光量の変わる本物の月光より、目の前のレプリカの方が普通に効きます」
「なるほどぉ。とにかく大丈夫ってことですね?」
「雑だな……」
紡が呆れる横で、勝手に安心した桃子は締めに入る。
「じゃ、柳町さんの件は解決したってことで、もう上がりですね! ささ、こんなボロ部屋引き払ってホテルに行きましょう!」
対する紡は、素っ気無く首を横に振る。
「いや? 一応まだ生霊が来る線も消えたわけじゃないから、今夜はここで粘るよ?」
「えぇ〜!? そんなぁ〜!!」
荒れた部屋に、桃子の声が虚しく響くのを聞いていた真っ赤なトラディショナル・ベタは、一体何を思っただろう。おそらく何も思わなかったに違いないが。
数日後、一行の元には菊代から柳町が見事回復した旨とその感謝、そして映画の撮影に憂い無く取り組めるという喜びの声に加えて、映画が完成したら試写会のチケットを贈るという内容の手紙が届いた。
そしてその数日後、柳町が女性関係のスキャンダルで映画を降板になったというニュースが流れた。
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