九.生霊と風水槽

『はいもしもし』


柳町はすぐ電話に出た。やはり駆け込み寺なので、携帯電話も自由なようだ。


「陽さんがお聞きしたいことがあるとかで」

『陽さんが!? 代わって代わって!』


通話している本人以外にも聞こえるような大声に、菊代は少し申し訳無さそうに顔をしかめながら、紡にスマホを渡した。


「もしもし」

『もしもし紡さん? 僕に用ですって!? 嬉しいなぁ、でもせっかくなら直接聞』

「あなたが夜暴れるようになり始めた頃に何があったか、些細なことでもいいので教えていただけますでしょうか?」

『僕について気になるってことですか? いやぁ嬉し』

「早く言えよ」

『……スイマセンデシタ』


紡の冷たい声に、勝手に桃子まで縮み上がる。つばきは「どうせ女の話だろ」と興味無いのか、水槽の熱帯魚を見ている。


「あぁ、仕事の変化に関しては吉川さんから聞いているので、私生活についてお願いしますね」

『僕のプライベート……。仕事以外の話となると、実は付き合ってた女優さんと破局したでしょ? 密かに狙ってた女優さんが結婚発表しちゃってショックだったでしょ? 元カノがお金の無心に来たでしょ?』


「やっぱりロクな女性関係してませんね。いつか刺されそう」

「あは」


紡も内容を聞きながら苦笑いをしている。菊代に至っては眼鏡をクイッどころか額に上げて、両手で顔を覆っている。


『後は友人がバイク事故で足の骨折ったとか、昔バラエティで共演して以来嫌いだった奴が週刊誌にやられたとか』

「はぁ」

『後は本当に些細なことと言ったら、癒しを求めて熱帯魚買い始めたくらいですね。魚も綺麗で設備も上等でしょ? 僕、こういうところはお金を惜しまない』

「熱帯魚ねぇ……」


紡は水槽の方をチラリと見た。つばきが張り付いているので被ってよくは見えないが、あるにはある。


『それくらいですかね? それより今夜はどちら』

「吉川さん、お返しします」


紡は通話を切るとスマホを菊代に押し付けるようにして返した。桃子が紡の側に寄る。


「どうですか紡さん? 何か手掛かりになりそうなことはありましたか?」

「なんか色々あり過ぎて困るよ。聞かなきゃよかった」

「えぇ……」


紡は手を額に当てる。


「でもやっぱりなぁ、生霊とか誰かに『呪』を掛けられてるとかじゃないはずなんだよなぁ。病室にそんなのいなかったし」

「ふぅむ……、やっぱり役作りでおかしくなってしまったでQ.E.D.ですかね?」

「つばきちゃんはどう思う?」


紡は水槽に夢中の後頭部へ声を掛ける。後頭部は振り返らない。


「常にではなく、夜にだけ襲いに来る生霊とかの線は?」

「なるほどねぇ。その生霊の本体が柳町さんの入院や入院先を知らなければ、入院以来彼が発作を起こさないというのも、辻褄が合うかもね」

「かも、なんですか?」


桃子の疑問にようやく水槽に夢中の後頭部が振り替えった。


「念が強過ぎる生霊は本人が気付かない内にストーキングして、知らないはずの相手の家に現れたりしますからね」

「ひえっ」


そのやり取りを他所に、紡は顎に手を当てながら、


「となると、夜になったらこの家に、生霊か何かが来るかも知れない、か……」


彼女は顎にやっていた手を腰に当てる。


「よしっ、夜まで張り込むか! 吉川さん、この部屋に一晩いさせていただいても?」

「どうぞどうぞ。私は帰らせていただきますが、それでもよろしければ」


菊代は二つ返事だが反対したのは桃子である。


「えーっ!? こんな荒れ部屋、私嫌ですよ紡さん! ホテルに泊まりたい! て言うか予約してるし!」

「素泊まりの予定だから、吉川さんにチェックインだけしといてもらおうか」

「分かりました。何処のホテルですか?」

「紡さ〜ん!」


桃子の要求虚しく、菊代がホテルへと向かった。失意の桃子は黙ってられないので紡に適当な話題を振る。


「そう言えば紡さん、さっきの電話で水槽の方見てましたけど、何かあるんですか?」

「あぁ、水槽っていうのは風水で重要アイテムなんだよ」

「水槽が、ですか」

「うん。金運や財産運を司るとされている」


紡はキッチンの蛇口を捻って水が綺麗なことを確認すると、勝手にお湯を沸かし始める。


「水槽を置く場所、方角で運勢をアップしてくれるんだ」

「そりゃいいですね。でも今回の件に金運関係ありますか?」


紡はいつの間にかつばきが用意していたコーヒー豆を、ハンドドリップで抽出し始める。


「確かに金運は関係無い。でも『五鬼運財法ごきうんざいほう』によると、水槽を置く方向を誤れば災いを招くとも言われている」

「ひえっ!」

「だから水槽って言われてちょっと気になっただけさ。でも問題無いよ。『五鬼運財法』の方角はその家の玄関の方位で変わるんだけど、それには引っ掛かってない。『陽』の気を放つ水を置くと『陰』の気である睡眠を妨げる、として寝室に置くことも推奨されないけど、ここはリビングだからそれも問題無い。そして水槽そのものも綺麗なもんと来た。気にすることないよ」

「へぇ〜」


それきり紡は、ハンドドリップに集中し始めた。






 夜。それまでにある程度部屋を片付けた一行は、元々が高級マンションだけあってそれなりに寛いでいる。


「生霊来ませんねぇ。来ても困るんですけど」


桃子は傷塗れのソファにごろ寝してテレビを見ている。


「そうですねぇ」


つばきは綺麗になった上質なカーペットでゴロリ。


「あ、吉川さんからメール来てる」


紡はテーブルで煙草を吸いながら、ノートパソコンを開いている。生霊が来たら除霊しようと待ち構えているとは思えない具合。本当なら手がかりが無いと焦るべきなのだが、正直全員が「まぁ役作りに熱が入り過ぎたのが実情だろう」と思っているので、気楽なものである。


「なんてメール来たんですか?」

「えーっとねぇ。『水槽のライトを夜用に切り替えて下さい』だって」

「夜用なんてあるんですね」

「良い照明にはあるみたいです。柳町さんも『設備にはお金掛けた』って言ってましたね」


一行は水槽の方を見る。確かに今水槽を照らしている光は少し、この時間帯には眩し過ぎる。きっと魚もそう思うだろう。


「切り替えてやるか」


紡は重い腰を上げて水槽の方に向かい、照明の切り替え部分を覗くと、


「おっ」


小さく声を上げて、動きを止めてしまった。


「どうしたんですか紡さん?」


桃子が背中に声を掛けると、紡はゆっくり振り返り、


「私、分かっちゃったかも」


ニヤリと笑った。

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