三.お転婆姫子

 晩御飯を堪能し食事の対価の皿洗いも終わったところで、桃子はようやく紡邸に来た本来の目的を思い出した。今日ばかりは晩御飯をご馳走になりに来ただけではないのである。


「紡さん、聞いて下さいよ。あれ? 紡さん?」


桃子が手を拭きながらリビングに入ると、つばきが一人クイズ番組を見ているだけで紡がいない。


「紡さんならバルコニーで煙草吸ってますよ」

「あの人縁側だったりリビングで平気で吸ったりなのに、なんだって冬のバルコニーに」

「気分屋さんでしょう?」

「ですね」

『問題。ギネス世界記録に認定されている中で、最も数字の桁が多い……』

「グラハム数!」


つばきがテレビの方に集中してしまったので、桃子はバルコニーに上がることにした。






「紡さーん……、うわ、寒っ!」


桃子がバルコニーに出ると、そこはやっぱり外気が冷たかった。その刺すような空気の中を、生ぬるい煙草の煙が流れて来る。


「やぁ桃子ちゃん。いらっしゃい」


欄干に肘を突いていた紡はゆっくり振り返ると、軽く微笑んで桃子に座るよう勧めた。桃子は椅子に腰を下ろしながら、懐かしさを吐き出してみた。


「いやー、そう言えば私達が初めて会った日も、こうしてバルコニーで対面しましたね。このテーブルの、この椅子に座って」


桃子はテーブルを撫でながら紡を見遣るが、自分だけが座って明かりの無い中顔が遠くなった所為か、向こうの表情はよく見えなかった。ただ、紡の慈しむような声の


「どうだか」


だけが耳に届いた。それから彼女も椅子に座ったので、ようやく桃子にも顔がはっきり見える。


「どうだか、って、今年の夏の話ですよ!? もう忘れたんですか!? あの則本珠姫ちゃんの事件の!」

「分ーかってる分かってる」


紡は愉快そうに笑っている。


「まったくもう! からかってくれちゃって! 私、真剣な話しに来てるんですからね!?」

「おや、そうだったのかい」


しかし紡に悪びれる様子は無い。そこを追求しても仕方無いので、桃子は大人しく話に入ることにした。


「今日のお昼のことなんですけどね。来田のおばあちゃんが交番に来てですね……」






 浮かない顔のおばあちゃんは悩みの種を語り始めた。


「嫁がねぇ、姫子のことで学校に呼び出されたんだよ」

「姫子ちゃんがどうかしたんですか?」

「そうだよ。こんな時期なら大体のことは『あゆみ通信簿』で伝えられるもんなのに、わざわざ呼び出しだよ」

「確かに」


おばあちゃんは居心地悪そうに身体を揺すった。今から話すことが、やはり嬉しい話ではないことが見て取れる。


「聞くとね? 姫子が学校で問題起こしたらしいんだよ」

「というのは?」


桃子が軽く身を乗り出すと、おばあちゃんも軽く乗り出してヒソヒソ続ける。


「クラスメイトの子と喧嘩して、大怪我させたらしいんだよ」

「なんと!」


桃子は思わず上体が伸び上がる。前後して忙しい奴である。そしてそれを追い掛けるようにおばあちゃんが前に出る。


「しかもそれが、ここ一ヶ月で三回もあってね」

「んなんと!?」

「それで嫁が呼び出されて面談。困ったことだねぇ」

「そうですかぁ……」


おばあちゃんはようやく身を引いた。桃子も引っ張られるように上体をニュートラルに戻す。


「姫子、そんな喧嘩するような子じゃなかったのにねぇ。むしろ明るくて優しくて、誰とでも仲良く出来るような子だったのに……。それが急にどうして……」

「……」






「ということなんです」


桃子の話が終わると、紡も煙草を灰皿に落とした。この人は食い意地も張ってるし煙草の吸い方にも性格出てるなぁ、桃子はフィルターギリギリまで吸われた吸い殻を眺める。


「なんか、『真面目でおとなしい近所でも評判の好青年だったのに、まさか通り魔なんかするなんて……』みたいな感じだね」

「なんてこと言うんですか。私だって思っても言わなかったのに」

「そりゃおばあちゃんの前で言ったら怒られるからね」


次の煙草に火を点ける紡に、桃子はテーブルに肘を突いて軽く乗り出す。


「で、紡さん。どう思いますか?」

「どうって?」

「『呪』とか陰陽師的観点でですよ! 優しくて喧嘩しないような子が、急に直近一ヶ月で三回も血を見るようなゴリゴリの武闘派になってるんですよ!? おかしいでしょ! 絶対何かありますよ!」

「さぁ? 反抗期とか思春期じゃない?」

「そんな雑な!」


桃子がバンバンテーブルを叩くと、紡は振動で端にズレていく灰皿を手で抑えた。


「確かにあるよ? 悪霊が取り憑いて性格が捻れてしまい事件や問題を起こすようになる、っていうことはある」

「やっぱり! じゃあ早く除霊して下さいよ!」

「でもね、世の中の気が荒いのや悪い子ちゃんが全て霊や『呪』の仕業なわけはないじゃん。まずは普通に情操教育やカウンセリングでしょ」

「それはそうですけど……」

「第一、そのおばあちゃんが桃子ちゃんに『霊の仕業だ!』とか『知り合いの陰陽師に何か頼め!』とか言ったの? 別におばあちゃんはウチに来店もしてないから、私のお客、私の仕事じゃないんだよ、その話は。だから他所の家庭の問題であって、私は首突っ込む立場も権利も無い」


紡がたっぷり煙を吐くと、桃子は肩を竦めてモジモジしている。紡はそれを薄く睨む。


「……他所の家庭のお子さんなのに、桃子ちゃん私に関わらせようとするね? 何かあるの? そんなに気に掛ける理由が」


紡が腕を組むと、桃子は小さい声を出す。


「その、姫子ちゃんはよく交番に遊びに来てくれるので、実は私も知らない仲ではなく、と言うかよく知っており、故に単純な精神の発育の話とは私にも思えず、姫子ちゃんがそんな子ではないと信じており、あの子の友人としても悲しく、超常的な何かの仕業としか思えず、つまり、その、私個人としても大変助けていただきたく……」


桃子の順番がぐちゃぐちゃな供述に紡は、ふぅん、と鼻から溜め息を吐く。それからたっぷり煙草を吸い込むと、


「私が解決する領分の話とは限らないし、請求書は桃子ちゃんに送るからね」


仕方無さそうに吐き出した。

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