二.肉じゃがの輪廻転生

 翌日も桃子は老人達の相手で忙しかった。もうすぐ会える孫達への気持ちを高める為に、孫の自慢話ばかりするおじいちゃんおばあちゃん。桃子はそれを何かのニュースで見た車窓から手をお振りになられる皇族の方のような笑顔で応対する。

今日も朝からずっとそんな調子で、あまりに表情を貼り付け過ぎた桃子が洗面所の鏡を見て


「ヤバい、顔が戻らなくなってきた……!」


などと恐怖絶望していると、


「桃子ちゃん、おるかい?」


表の方から元気の無い声がした。桃子が表情を作る必要も無いままそちらへ向かうと、声の通りおばあちゃんが一人佇んでいる。


「おや、来田きたのおばあちゃん。どうしました、この年末に景気の悪い顔して」


桃子が椅子を差し出すと、おばあちゃんは力無くそこに腰を下ろした。


「ふぅー、やれやれ。ちょっと聞いてくれるかい?」

「私なんかでよければ。そうだ、姫子ひめこちゃん元気ですか?」

「姫子かい? 姫子はね……」


相手の表情に釣られて自然と真顔に戻ることが出来た桃子に、おばあちゃんはポツポツと語り始めた。






 昨日に引き続き桃子が紡邸を訪れると、またもリビングに誰もいなかった。


「あれ?」


代わりにキッチンから、今日はキャッキャと楽しそうな声がする。楽しそうなら昨日のようなメンドくさいことにはならないだろう、桃子がキッチンに顔を覗かせるとそこには愛らしい光景が。

アオアシカツオドリの浴衣の上からいつものエプロンをしたつばきがボウルの中で何かを潰し、銀鶏ぎんけいの浴衣に身を包んだ紡がボウルの中身を小判型に整形していく。


「おや、桃子ちゃん。いらっしゃい」

「あは。二日続けて晩御飯食べに来たんですか?」


桃子の迎え方も昨日と打って変わって柔らかい。


「何作ってるんですか? そんなに楽しそうに」

「肉じゃがコロッケだよ」

「肉じゃがコロッケ! あの『昨日の肉じゃが』が余った時にだけ現れるという伝説の!?」

「肉じゃがコロッケを伝説として語り継ぐ民族も奇特ですね」


肉じゃがコロッケも非常にそそる響だが、桃子にとって一番重要なのはそこではない。


「楽しそう! 私も混ぜて下さい!」

「コロッケの具に?」

「そんなホラー展開あります!?」

「冗談だよ。じゃあ桃子ちゃんは揚げる担当ね。手、洗って来なさい」

「はい!」


桃子が『帰宅するとおやつがあった小学生』みたいなスピードで洗面所にすっ飛び帰って来ると、既に天ぷら鍋に油が入れられ火に掛けられている。


「ささ、早く早く」

「合点承知!」


紡が整形し、肉じゃがを潰し終わったつばきが小麦粉、卵、パン粉の順につけ、それをバケツリレー方式で受け取った桃子が油へ……


ボチャリと落とした! 高温の油が飛び散る!


「うわぁぁ!」

「ぐわぁぁ!」

「あはぁぁ!」


ジュアアア! と音を立てるコロッケが聴覚的にも危機感を煽ってきたが、幸いにして誰も火傷はしなかった。






「ホコホコサクサクでうま〜ですね!」


肉じゃがコロッケはソースをかけずにタネの味で。昨日食べた味のはずなのだが、衣を油で揚げたジューシィさと香ばしさが加わり、別物の新鮮さで味わうことが出来る。それは昨日焼酎か日本酒かで争っていた小娘共が、今日はビールで一致していることからも明らかである。


「いやー、昨日の残り物がこんな風に生まれ変わるんだから、お料理はアイデアですねぇ!」


桃子も上機嫌でビールを呷ると、


「『生まれ変わる』……?」


紡の瞳がキラリと光った。


「うっ!」

「どうしました? コロッケ喉に詰まりましたか?」

「いや、紡さんが……」

「桃子ちゃん」

「は、はいぃ……」


桃子は観念するような声を上げた。つまり彼女は、この後何が始まるか理解しているのだ。


「『生まれ変わる』これは所謂『輪廻転生りんねてんしょう』ということかな?」

「それでいいんじゃないですかね……」


紡は人差し指をくるくる回す。


「『輪廻転生』宗教学において非常に興味深い要素だよね」

「さ、さいですか……」


紡はコロッケを分解していく。衣、じゃがいも、玉ねぎ、肉、にんじん、白滝。


「何が興味深いって宗教は数多あって千差万別、教義や信念、許されること許されないこと色々あるのに、多くのものが共通して輪廻転生に対する思想を持っているところ」

「人がせっかく作ったコロッケに何するんですか。お行儀悪い」


つばきが睨み付けると、流石の紡もちょっと反省するような形で具材を寄せ集めた。


「……つまりどんな宗教、様々な環境で生き、それぞれ違う教えと救いが必要だった人々の誰にも、死後の世界と生まれ変わりは辿り着く思想であり一大関心事だったわけだ」

「そうかも知れませんね。つばきちゃん、ご飯の輪廻転生いただけないでしょうか」

「二百円」

「お金取るんですか!?」


桃子は明らかに聞いていない、一応の相槌すら適当になっているが、紡は紡で気にしない。


「しかしこれがまた、各宗教で輪廻転生に対する考え方がゴロッと違ったりする。大別するとまず『生前の行いが来世に影響する』系」

「あは。だからこの世では善行積みましょうねっていう、道徳の授業みたいなやつですね」

「そう。このタイプは死後の世界の役割が、地獄とかの概念があるにしろ無いにしろ『来世に向けての現世の精算』でしかない。そして現世をよく生きるのも来世、『次の現世』の為であり死後の世界の為ではない。つまり『あの世<この世』」

「仏教とかですか?」

「仏教でも宗派と解釈によるけどね」


紡はグラスにビールを注ぎ足す。


「次に『現世は修行の場です』系。これは基本的に天界や天国に入る為、現世で正しい修行と信仰を積み重ねるタイプ。『あの世>この世』。時には天界にいる魂が修行の為に現世に降りて来たとする見方もある」

「鬼束ちひろの『月◯』ですか?」

「キリスト教なんかだと、洗礼を受けた魂は二度と苦しい現世に生まれ変わらず永遠に神の国で暮らし、洗礼を受けない限り永遠に天国に入れず生まれ変わり続けるみたいな教えもありますね」

「脅しじゃないですか!」

「脅しって」


桃子のリアクションに紡はご満悦でビールを飲み干した。


「でもどちらのパターンにしろ、私達が今ここにいるのは全て前世の因果なわけだ。このコロッケに肉じゃがの味付けが出るように。多くの宗教でそう扱うということは、人間にとって輪廻転生や前世はスタンダードな概念であり、非常に重要なもの」

「前世の記憶ある人とかもいますしね」

「へー」


紡の話は取り留めが無くなりつばきの相槌もズレ始め、何より自分がなんの話かついて行けなくなったので、桃子は強引にまとめにかかる。


「つまり私達がこうして集えたのは前世のおかげですね! 前世万歳!」


桃子がグラスを掲げる横で、つばきが薄く笑う。


「じゃあこのコロッケはどれだけ罪深い前世だったんでしょうね。生まれ変わる時に潰され油に放り込まれ……」

「肉じゃがでしょ」


急に冷静になる紡だった。

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