一.Show you 肉じゃが

 世間がもうすぐ冬休みに入ろうかという頃。桃子は今日も今日とて交番に詰めているのだが、実はこの頃少し忙しい。何故って、


「ねぇ聞いて桃子ちゃん」

「はいはい」


「おぉ! 元気しとるか桃子ちゃん!」

「へぇへぇ」


「なぁ桃子ちゃん。ちょっといいかえ」

「ほいほい」


年末の浮ついた空気に当てられ、年始に子供夫婦や孫が帰って来る波動を感じた老人達がその待ち遠しい気持ちを桃子で宥めようとしに来るのである。よって彼女は今、人気アイドルの握手会かのように途切れることの無い老人達を次から次へと相手する羽目になっているのだ。


「これもう私にホステスの才能があるのでは?」


桃子は良くない勘違いをし始めているが、公務員の副業禁止規定がある限り滅多なことには至らないだろう。






 そうして珍しく仕事(?)をしている桃子は、過剰な自己肯定感を胸に紡邸へやって来た。


「頑張っている私を労ってもらいましょうかね!」


何なら傲慢さが透けて見えるレベルだ。そんな桃子が門を潜って縁側から


「お邪魔しまーす」


呼び掛けてみるも、


「……」


誰からも返事が無い。リビングを覗いても誰もいない。その代わり、


「大人しく私に従え! 口答えするな!」

「はぁー!? 偉そうになんですか! 紡さんの分際で!」


「なんと!?」


キッチンから文字通り穏やかではない怒号が聞こえて来る。桃子は急いで現場に向かった。喧嘩するくらいならまぁ、生きてりゃ(片方は死んでいる)よくあることだからいいが、なんたって言葉遣いが今後の関係にヒビが入るくらいキツい。ここは警察官として磨き上げた仲裁能力でバシッと一発……、


「な、何してはるですか……?」


行こうと思った桃子の勢いは一瞬で萎んだ。何故なら、


紡とつばきが醤油片手に言い合いをする超シュールな絵面がそこにあったから。


「あ、桃子ちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは桃子さん」

「あ、はい……」

「リビングで座ってゆっくりしてなよ」

「テーブルの上に美味しい胡麻煎餅がありますから、食べていいですよ」

「そ、そうですか……」



「私が家主! 君は居候! 私が上! 貴様が下だ!」

「ここのところ料理は私が担当しています! 部外者が口を挟むな! ここは私の城だ! この海域から出て行け!」

「わーっ! ストップストップーっ!」



桃子が必死に止めに入ったので、二人はジロリとそちらを向いた。


「なんだよ。私達は今忙しいの」

「胡麻煎餅食ってろ」

「怖っ! じゃなくて何をそんな争ってるんですか! 仲良くしましょうよ!」

「はぁ?」

「あはぁ?」

「取り敢えず醤油置きましょうよ……」


桃子の指摘で意識が行ったのだろう、紡が醤油を握り締める顛末について語り始めた。


「今つばきちゃんが肉じゃが作っててさ」

「肉じゃが! 私の大好物です!」

「そんなのはどうでもいい」

「あっはい」


紡は醤油のラベルを桃子に見せ付ける。あまりにも勢いが良くてイソトマ柄の浴衣の袖が翻る。


「肉じゃがと言えば甘ーい料理でしょ? 甘くてナンボでしょ? だから私はこの甘くて美味しい九州の刺身醤油を使おうって言ったの」

「あっはっ!」


瞬間つばきが鼻で笑った。エプロンの「飯喰え」の文字の上に組まれた浴衣の袖には、タイタンビカスが美しい。


「甘いのは砂糖で補えばいいし、第一刺身醤油なんだから刺身用に置いとけばいいんですよ。それより料理にはこれ、牡蠣醤油一択! なんたって風味が違う、旨味が違う! 料理の味わいも数段奥深くなるのはこの牡蠣醤油だというのに」

「えぇ……、そんなことで喧嘩を……? せめて肉じゃがなら『お肉は牛か豚か』とか」


どんどん引いていく桃子と対照的に、紡はまたも燃え上がる。


「肉じゃがは肉料理! 甘辛い牛の旨味を味わうというでも牛丼でもでも愛される日本人の味覚! その王道の組み合わせに牡蠣の風味など邪道! 食材が泣いておるわ愚か者め!」

「牛肉派なんですね」

「肉じゃがは舞鶴発祥という説が強い! であれば舞鶴の風土食文化を鑑みるべきでしょう! そして舞鶴は海の幸豊富にして名物は大ぶりで濃厚な岩牡蠣! となれば肉じゃがの目指すべき味が牡蠣醤油であることは明白! 肉じゃがの歴史が泣いてるぞ浅学せんがくめ!」

「何をっ!」

「やるかっ!?」

「やーめーてー!!」


桃子は両者の間に入って醤油を取り上げた。そして両方を高々掲げる。


「ブレンドして使ったらいいじゃないですか!」

「あ」

「あ」


盲点を突かれた所為か桃子が正論を言った衝撃か、はたまた桃子でも思い付く至極単純なことに気付かなかった屈辱に脳が耐え兼ねたか、紡とつばきはそのままフリーズしてしまった。






「出来ましたよ〜」


その後しばらく煮込まれて、無事、醤油ブレンドで平和的解決に至った肉じゃがが運ばれて来た。


「いい匂いですねぇ! 心躍ります!」


桃子の目の前に並んだのは白米、肉じゃが、ほうれん草のおひたし、レタスサラダ。


「あぁ、この組み合わせ、なんという日本人の喜び……!」

「もしかしてレタス無視してる?」


そんな紡の言葉をこそ無視して肉じゃがを一口。


「日本人でよかった!」


刺身醤油のふくよかで甘い風味と牡蠣醤油の複雑な牡蠣の旨味が混ざり合って、とても親しみ易い家庭的にして深みあるワンランク上の味。それがたっぷり染み込んだ牛肉の旨味がまた一段、日本人の帰るべき舌に馴染む味を作り上げる。他にもジャガイモはホコホコ、玉ねぎはくったり、各々の素材の甘味を醤油の塩気と上手に調和させるのだから隙が無い。

そしてこれがまた、


「白米が進む進む! なんか『男の胃袋を掴むなら肉じゃが!』とか聞いたことありますけど、日本人なら誰でも即捕まりますよ! ね! 二人とも!」


桃子が上機嫌で語り掛けるも、二人からは返事が無い。どうしたことかと視線を向けると、


「肉じゃがが甘いからキリッとした麦焼酎で行くのが当然でしょ。その為の刺身醤油でもあったんだよ?」

「肉じゃがが甘いから負けないように旨味が強い日本酒で調和するのが当然でしょう。その為の牡蠣醤油でもあるんですよ?」


「え、えぇ……」


新たな争いの火種が生まれようとしていた。

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