六.彼という人間

「はい。じゃ、まずは幼少期。習い事とかしてました?」

「あ、はい。幼稚園に入ると同時にピアノと水泳を。ピアノは指先の神経が刺激されていい、水泳は肺活量が上がって後々なんのスポーツをするにも役に立つとかで」

「なるほど。確かお父さんはお医者様でしたか」

「そうですけど」

「習い事お好きでした?」

「ピアノはまぁまぁ好きでした」


紡はうんうん頷きながらコーヒーを一口。


「次は小学生編、行ってみましょう」

「小学生編……。えーと、上がると同時に中学受験を目指して家庭教師が付きました。父も母も教育に熱心で、特に父は『お前も俺と同じ医者になるんだ』って。厳しいけど教えるのが上手くてよく笑う、素敵な先生でした」

「息子も医者にする、そういうお医者様多いみたいですね」

「はい。なんと言っても食いっぱぐれず給料も良いですからね。勉強は大変でしたし、その上ピアノと水泳もあるので忙しかったですね」

「他には?」

「他には……、図画工作とか家庭科以外はオール五でしたよ。ピアノでもちょっとしたコンクールで入賞したり。両親にもよく褒められました。水泳の方はまぁ、習い事してる程度のレベルでしたけど」

「努力して来られたんですね」


紡が珍しく当たりさわりの無い真っ当な物言いをするのを、桃子はガチャポンで三回連続同じオモチャが出て来たような顔で見ている。


「では中学生編、お願いします」

「中学は……、受験に成功して私立に入れました。それと共に家庭教師から中高生向けの進学塾に切り替えましたね。大好きな先生だったけど、両親によれば『高校受験はこっちの塾の方が実績がある』ということで。部活はソフトテニス部に入りました。特に実績は残せませんでしたけどね。学校生活が忙しくなったのでピアノと水泳は辞めました。両親が『もう必要無いだろう』と」


紡は一拍間を置くと、少し実義の顔を覗き込むように状態を乗り出した。


「でもピアノ好きだったんでしょう?」

「まぁそうですが、勉強と部活を頑張って良い内申を貰おうと思ったら、ピアノは切ることにしました」

「そうですか。テニスは楽しかったですか?」

「それは、まぁ、二年間打ち込みましたよ。あぁ、二年間って言うのは退部したんじゃなくて、うちの中学は高校受験の為に部活は二年生で引退なんです」

「他に何か中学生編で何かトピックスはありますか?」


実義は少し考えたが、


「まぁ中学でも成績良かったのは自慢ですけど、それくらいでしょうか?」


紡は腕を組んで噛み締めるように二度頷くと、腕を解いた勢いで両膝をパチンと打った。


「そしたら今度は高校生編ですね」


実義もこのノリに慣れて来たのか軽く笑うと、今度はスムーズに話に入った。


「都内有数の進学校に入れたんですよ! 全国的にも偏差値がトップクラスの!」

「それはすごいですねぇ。……で、君らは何してるの」

「ふへっ!?」


暇を持て余した桃子とつばきが、紡の背後でパントマイムしているのはバレていたようだ。


「悪いこと言わないから表出てなさいマジで」

「申し訳ナス……」

「糠漬けにされてぇか」


紡のドスが効いた声に、桃子とつばきは土間ギリギリまで逃げたが、結局外には出ない。


「すいません愚か者共が。では気を取り直して」

「は、ははぁ……」


実義は引き気味に笑うと、背筋をちょっと伸ばして仕切り直した。


「と言っても、あんまり中学と変わらないですね。部活は相変わらずソフトテニスですし。自習が早朝からあったのも中学と一緒です。学校の授業は十限とかになりましたけど、結局学校で勉強してるか家や塾で勉強してるかの差でしかないので」

「うええ十コマ……」

「あは。そういう桃子さんはどうだったんですか?」

「私は……、半分は寝ていたので実質二、三コマですね」

「さっきからうるさいんだよ」


紡が睨み付けるも、桃子とつばきは最早悪びれなくなって来た。そして実義も気にしないようになって来た。


「まぁ過酷は過酷でしたけど、そのおかげで今があると思えばいい思い出です。無事、京塔大にも入れましたし」

「第一志望だったんですね」

「はい。父が京塔で、昔からよく『お前も将来は京塔に入れ』と言われたものです。まぁ結局医学部には入れなかったんですが」


彼は恥ずかしそうに後頭部を撫でる。桃子からすれば立派を通り越して嫌味ですらあるが、それは口に出さない。顔には出る。

紡に関しては、あまりそういうことは気にならないのか完璧スマイルが崩れない。学歴とか就職ではない世界で稼いでいるからだろうか。金持ち喧嘩せず、ということかも知れない。


「高校はそのくらいですか?」

「はい」

「では大学編ですね」

「大学は……」


実義は少し間を空けた。自身の言うべきことを整理しているような。その後彼は多少首を捻ったり傾けたりした後、結局まとまり切らなかったのか歯切れの悪い声を出した。あるいは語りたくない内容なのか。


「えー、大学に入ってからは、うん、医学部に入れなかったのでモチベーションを保つのが大変でしたよ。その上で勉強はますます難しくなるし、親元を離れての下宿で塾も行かないので自分で家事も勉強しなければいけないし、始めた塾講師のバイトに時間も取られるし……。サークル活動っていうのが今までの部活より緩くて時間を取られないのは唯一の救いですかね」

「家庭教師のバイトは自分でお選びに?」

「はい」

「どうですか?」

「えっ?」

「家庭教師のバイトです」

「えぇ、まぁ、楽しいですよ。勉強は頑張って来ましたからね。自分が教えてもらって来たことを人に伝える、それで生徒が新しいことを理解する、成績が上がる……。素直に嬉しいです。あの家庭教師の先生が笑う気持ちもよく分かる……いや、あの人はそういう理由で笑ってたんじゃないだろうけど」

「そうですか。ありがとうございます」


紡が終了を意味するように頭を下げると、端っこにいた桃子が四つん這いで戻って来る。


「努力も出来て、成功もして、聞いてる他人からしたら穴に入りたくなるような人生ですねぇ。で、紡さん。そんな人がやる気失くす程の『呪』、何が憑いてるんですか?」

「君ねぇ……」


紡は呆れ顔で桃子を見た。そして、


「まぁ、『呪』を解く際には、親御さんにも来てもらった方がいいかな。桃子ちゃん、そう伝えといてよ」


ゆっくり立ち上がり実義に微笑んだ。


「お邪魔しました。また来ます」

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