第十五話 勤労感謝の日
勤労感謝の日
その日世間は勤労感謝の日、祝日だったのだが桃子は普通に勤務があった。もう真っ暗な空の下を、ゆっくりキィキィ自転車で退勤する。
「ファッキンブラック労働!」
まぁ残業は無いので世のブラックよりは漂白剤が効いているのだが、転職に縁が無い桃子はそんなこと知らない。
さて、今日は嫌なことがあったので居酒屋で鬱憤晴らします、というノリで桃子が門を潜ったのは紡邸。玄関でインターホン鳴らすのももどかしい、縁側から上がってやる! と桃子が物干しへ周ると、
「なんと!」
「やぁ桃子ちゃん、いらっしゃい」
「こんばんは桃子さん」
そこには何処に仕舞ってあったんだというようなサイズの大型テーブルが引っ張り出され、上にはたくさんの大皿料理が所狭しと並んでいる。
唐揚げや焼き鳥、刺身盛りなどの宴会料理からステーキや焼き魚のような一品メイン、他にはカレーや肉じゃがのような家庭の味まで。もちろんサラダからスープ、酒やドリンクにツマミやデザートも。
豪勢で素晴らしいが、どう考えてもこの二人、そこに桃子を足したって食べ切れる量ではない。
「どうしたんですかこのご馳走は!?」
旅館の女将さんみたいな格好の紡を捕まえて聞いてみる。彼女は満面の笑みを浮かべた。
「今日は勤労感謝の日だからね」
「なんと!」
桃子の胸に熱いものが込み上げる。
「まさか紡さん、勤労に励む私を
「んなこたぁない」
「ないの!?」
桃子は思わずカクッとなった。
「じゃあなんでこんなにお料理こさえたんですか! 『普段の勤労に対する自分へのご褒美〜♡』とかですか!?」
「違うよ。もっと高尚な目的さ」
「高尚?」
「お客様が来られるんですよ」
仲居さんみたいな格好をして皿を運ぶつばきがすれ違い様に補足する。
「はえー、にしてもお料理多いですね。団体さんですか?」
「それはそれは団体様だね」
「大変ですねぇ」
「大変だから桃子ちゃんにも手伝ってもらおうかな?」
「なんと」
そんな会話をしていると、
「こんばんは」
唐突に声がしたのでそちらを振り返ると、そこにはホワイトカラーの格好でジャケット代わりにレインコートを着た眼鏡の見知らぬ中年男性が。
「いらっしゃい」
紡が笑顔でそれを迎えるとつばきがテーブルの方へ手を引いて行く。
「椅子が足りないので立ち食いスタイルですけど、どうか楽しんで行って下さい」
「ありがとうございます」
男性はモジモジ嬉しそうに笑うと、取り皿を手に取った。それを眺めながら桃子は紡に耳打ちする。
「全然団体じゃないじゃないですか」
「まとまった団体ではないね。でもこれからどんどんお越しになるよ」
「はぁ。そもそも一体いつからご飯屋なんか始めたんですか」
「今日だけ特別かな。桃子ちゃんこれ運んで」
「なんですかこの寸胴鍋」
「ラーメンのスープ」
「そんなものまで作ったんですか……」
男性が瓶ビールを手に取ると、つばきがそれを受け取ってお酌をする。男性は申し訳無さそうに、人が良さそうにペコペコしながら、
「そういえばあれから広島はどうですか」
「そうですね……。度々水害は起きてますけど、その都度しっかり立ち上がってます」
「そうですか。いやぁ、水害が起きるのは良くないけど、立ち直れているなら、うん」
などと会話している。桃子はそれを眺めながら、
「ここ最近のことを知らないとは、海外にいらしたんですかね?」
「それより桃子ちゃん、忙しくなるよ」
紡に話を振るも取り合ってもらえなかった。そして紡の「忙しくなる」という言葉に門の方を見ると、
「こんばんは」
「いやぁ、わざわざこんな催しをしていただいて」
「今夜はありがとうございます」
ぞろぞろと人が入って来ている。
工事現場からそのまま来たような格好の働き盛り。捩り鉢巻きがトレードマークのような白髪の爺さん。大きなカメラを首から提げた若い女性。よれよれのシャツやネクタイ、スーツで身を固めた男性。暴徒鎮圧でもするのかという装備の警察機動隊員のダンディ。若いバスの車掌の青年。そして、
古い飛行服に飛行帽とゴーグルで身を固め、長いスカーフと日の丸鉢巻を巻いた二十歳前後に見える男性。
「あっ」
客は次々と現れてはご馳走を美味しそうに飲み食いし、あるいは寛いだりあるいは感涙したりしながら、口々に紡やつばきを捕まえては尋ねる。
「あのビル、皆さんの役に立ってますか?」
「今度法律事務所が入るらしいですよ?」
「あの地域、まだマラリアが酷いんでしょうか」
「最近は各国からワクチンが届いているらしくて、死者数は年々減ってますよ」
「いやぁ、プロジェクトは上手く行ったんですかね?」
「この前プレリリースがありましたよ」
「もう流石に最近は『警官隊と衝突!』みたいなニュースはありませんか」
「聞きませんねぇ」
「今の日本は平和ですか」
「お陰様で」
「ねぇ紡さん」
桃子は紡の袖を引いた。
「何かな」
「あのお客さんってみんな……」
「うん。お仕事の中で亡くなった方達」
気が付けば最初のレインコートの男性は忽然と姿を消している。捩り鉢巻きの爺さんはぐい呑みを空にしてテーブルに置き、こちらに『大漁』と書かれたジャンパーの背中を向けて歩いたかと思えば、すぅっと消えて行った。
「皆さんがお仕事を頑張って、そのおかげで私達や誰かの生活や今があるんだ。たくさんの人が命懸けで戦ってきてくれたくれたからこそ。だから私は毎年こうやって、そういう方々を招いてはご馳走で労ってるのさ」
紡は煙草を取り出すと咥えながら笑った。
「なんたって勤労感謝の日、だからね」
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