第十六話 それは一体何処へ行くのか

序.

 ここはある会社のオフィス。二十代後半くらいのOLがパソコンに向かってひたすらキーボードを叩いている。表計算ソフトでデータをまとめた表を作っているようだ。

高い集中力を発揮し、鬼気迫る勢いで作業にのめり込んでいるように見えて、実は彼女、案外そうではなかったりする。

では何が今彼女の注意を引き付けているのか。

それは、



ヒソヒソヒソヒソ……


ボソボソボソボソ……


フフフ、クスクス……


ちょっとぉ、やだぁ……


だってねぇ、あの人ねぇ……



耳に微かに届くノイズを振り払うかのように、掻き消すかのようにキーボードを叩く彼女だが、そうすればするほど余計に耳に届くような気がする。

逆に言えば、それだけ注意を逸らされながらデータ入力の手が止まらない彼女の仕事に対する慣れも大したものなのだが。


それはそうとして、何故彼女はそんなに周りの声が気になるのか。それは非常に単純、



周囲の話題は自分への陰口だろうからだ。



彼女はスマホを手に取って手帳型のケースを開けた。そのポケット部分、一枚のカード型お守りが入っている。有名な縁切り神社のものだ。普通の巾着型の方が好みではあったが、スマホと一緒に肌身離さず持っておきたいと思った結果、一番薄くてケースのポケットに入れても膨れないこれにした。

彼女がそのお守りのポケットから覗いている部分の、無駄にまばゆいお菓子のおまけシールみたいな光沢を指先でなぞっていると、


「牧原くん、こっちの資料も追加でお願い」

「はぁ!?」


後ろから眼鏡の黒縁の主張が激しい上司が、分厚い書類の束を彼女のデスクに差し込んで来た。


「ちょっと!」

「牧原くんが一番作業速いからさ。君を買ってるんだヨォ〜? ねっ、お願い」

「……」


上司が通り過ぎて行くとその向こうに、魔法瓶を両手持ちしておそらくはココア(新しくここに来た頃、聞いてもないのにアピールして回っていた)を飲んでいた後輩女子が、「てへっ」とでも言うように首を竦めるのが見えた。

この資料は元々彼女の分だったはずだ。別に彼女が手一杯の様子は無いが、どうやら上司が気を回したのだろう。後輩はチビで適度に丸顔の童顔で声も幼くて、とにかく男が騙される要素の塊である。つまり牧原くん、牧原佳まきはらけいとは正反対だ。

佳が睨み返してやろうと思ったら後輩はもうこっちを見ていなかった。


佳はどっと疲れて、視線をお守りに戻す。有名な縁切り神社のお守り。


これを買ったら嫌な上司が移動になった。

そして今の上司が来た。

その神社に再度お参りしたら嫌な同僚が退職した。

代わりにあの後輩が入社して来た。


こうなると効果があるんだか無いんだか分からない。しかし、一応切れろと思った相手とは切れるのだから、あるにはあるのか?

佳が悩んでいると、急にスマホに着信が来た。画面には『典明のりあき』、最近付き合うようになった彼氏だ。……前の彼氏と縁切りしたら、この男と付き合うことになった。


「……もう!」


彼女は小さく声を荒げると、スマホのケースを閉じた。


今度また、縁切りに行こう。こいつらも一掃してやろう。佳はそう心に誓うと、また画面とキーボードに向き直った。

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