急.
「ということがあったんですよ」
「へー」
「へー」
夜。桃子は紡邸で晩御飯をご馳走になった後、雷おこしをバリバリ齧っている。
「それはまた、稀な体験をしたね」
「お陰様でですよ。恨みますからね」
「それを言うんだったら私も先方から『荷物まだか』って催促が来て大変困ったんだよね」
「まぁまぁ二人とも。それがあったから神様を助けられたんですし荷物も無事届いたんですし、それで良いじゃないですか」
色取り
桃子はお茶を啜ると、鞄から笏を取り出した。
「それでこんなの貰ったんですけど」
「見せてごらん」
紡は桃子から笏を受け取ると、少し眺めてから目を閉じて撫で始める。
「なるほどね」
紡は笏を桃子に返す。桃子はそれを受け取りながらちょっと身を乗り出す。
「それで、その笏は特別な何かがあったりするんですか?」
「いい仕事してますか?」
「まぁとんでもないものではあるね」
紡の言い方はサラッとしているが、桃子が雑に鞄に仕舞おうとすると手で制する。
「それ、雷出るよ」
「なんと!?」
「一発だけだけど」
桃子は思わず手の中の笏を見詰める。とてもそんな危険物には見えないが。
「一発だけでも大惨事ですよ!」
「だから雑に扱わないでね」
「そういう問題じゃないですよ! そんな物騒な物持ってたくないです!」
「でも向こうが桃子ちゃんへのご好意でくれた物だよ?」
「でもです! 紡さんが安全に保管しといて下さい!」
桃子が笏を紡に突き返すと、紡はそれをつばきに回し、つばきは何処かへ持って行った。
「そう言えば紡さん。どうして雷神様は雨蛙で天界に帰れたんでしょう?」
紡は湯呑みに焼酎を注ぐ。もうとっくにお茶は干したので、今は麦百パーセントである。
「君もこの業界人なんだから、その程度の『呪』は自分で導き出してみなよ」
紡は優雅に湯呑みを揺らす。湯呑みなのに。
「別にその業界に入った覚えはありませんけど……」
紡が教えてくれる様子は無いので、桃子は思い付く限りのことを考えてみる。
「うーん、天界に帰る、天に帰る……。『
「そうだね」
「そうなんですか!?」
「うん」
「そうですか」
「……」
「……」
なんだか誰でも思い付くような洒落な上、せっかく当てたのに紡のリアクションが薄い。通り一遍の褒めすらしてくれない。
「……そう言えばあの蛙、天界まで跳んでっちゃいましたけど、よかったですか? 大事なペットだったりします?」
「いや? 野良だし、向こうも寒い季節を迎えるくらいなら天界行って神の眷属にでもなった方が幸せじゃない?」
「そうですか」
「うん」
「……」
「……」
なんだかリズムが狂ってしまったか、会話が長続きしない。とっても気不味い雰囲気になってしまったので、桃子は必死に話題を探す。
「あっそうだ、雷神様がやたら焼き餃子を喜びましてね」
「ほう」
「やっぱり餃子は日本式ですよ」
「どうかな。ただ餃子だから喜んだだけじゃないかな」
「えー? まぁ確かに『この儂に餃子とは気が効いておるではないか!』って餃子そのものに好意的な感じはしましたけど」
紡は湯呑みをテーブルに置く。焼酎はもう空にされている。
「餃子と雷は同じ意味を持っているからね」
「はぁ?」
「中国で
つばきが戻って来た。紡の様子を見て状況を察すると、軽く微笑んで講義の邪魔をしないよう少し離れた位置の椅子に座った。
紡も話題に乗ってきたしつばきも気を使ってくれたようなので、桃子もよく分からない話なりに前向きに取り組む。
「餃子の意味は分かりましたけど、それの何処に雷との共通点があるんですか。富み栄えるとか真逆じゃないですか。落雷したら引火して溜め込んだもの蔵ごと焼き払われますよ」
「それは雷を雷としか見てないからだね」
「はいぃ? 雷は雷でしょうが。カミソリにでもなるんですか」
意味が分からな過ぎて桃子の前向きな気持ちが急速冷凍されていく。
「雷という字を分解してごらん」
「分解?」
桃子が首を傾げるのとほぼ同時に、つばきが紙とペンを紡に渡す。紡はサラサラと紙に大きく『雷』と書くと、
「さ、桃子ちゃん。よく見て」
授業か何かのように『雷』をペンで叩く。
「この雷という字を上下で分割するとね、ほら」
紡は『雷』を真ん中に横線を入れて区切る。
「『田』の上に『雨』がある。つまり田んぼに雨が降る光景を表しているんだ。田んぼに雨が降ったらどうなる?」
「……稲がよく育つ?」
「正解! つまり雷には豊穣の『呪』が込められているんだよ。漢字の構成を見れば、一側面どころかそれが正体とも言えるね。これは雷神として有名な
「へぇー」
桃子が適当な返事をすると、紡は得意気にペンを回した。
「だから雷神の供物に餃子はツボを抑えてるわけだね。雷神に供物を捧げて天に帰るのも手伝ったんだ、もしかしたらご利益で富がやって来るかもよ?」
「だといいですねぇ」
「あは。そしたら焼肉奢って下さいね」
「そこは農耕に関係あるものにしましょうよ……」
そのやり取りが少しツボだったのか紡はペン回しに失敗し、飛んで行ったペンが用済みの紙を下げようとしたつばきの額に直撃した。
数日後。交番前にて。
「やぁ桃子ちゃん、景気はどう?」
「宝くじで三千円当たりましたよ」
「あは。ちょっとみみっちい」
桃子は空の彼方に、最後までどうにも格好が付かなかった髭面のサムズアップが見える気がした。
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