四.餃子と雨蛙

「で、結局私は何を手伝ったらいいんです?」


観念した桃子は自転車を手で押しながら小声で神に尋ねる。呑気に顎髭を摩っていた自称神(人参畑在住・職業年齢共に不明)は「うむ」と呟くと、笏を振り上げて遥か大空を指す。


「儂が天界に帰るのを手伝ってほしい」

「はぁ」

「はぁとはなんじゃ!」


桃子は改めて神を眺める。見た目に関してはまぁ特別それっぽくはないが、神と言われれば見えなくもない。だからこそ、


「神様なんでしょう? 自力で帰れないんですか?」

「帰れたらこうして人間如きに頼んだりせぬわ」

「うわ感じ悪。一人でお家に帰れない小学生以下のくせに」

「貴様! 三代祟るぞ!」


とまぁ言い争った所で、そもそも桃子には神様を天界に帰す方法なんて分かりはしない。

だって大凡人だから仕方無いね! 怒ってないよ! 桃子はコメカミが張るのを感じた。しかし怒っても始まらないしコイツから解放もされない。

よって方法を知っていそうな人物に頼ることにしたのだが……。






「あっちゃぁ、そう言えばそうでしたかぁ……」


紡邸のインターホンを鳴らしてから桃子は思い出した。そう言えば紡、不在なのである。だから荷物を預かっているのであって、だからこのおっさんに絡まれる羽目になったのであって……。


「これって紡さんの所為では?」

「なんのことじゃ」


もちろん紡の所為ではない。それはさておき、これでは二進にっち三進さっちも行かなくなってしまう。桃子は縋る思いでつばきの携帯に電話するも、


『ただいま、電話に出ることが出来ません。御用の方は……』

「チッ!」


連絡が付かない。どうやら学芸員じみた仕事とやらがもう始まっているようだ。

そう言えばつばきちゃんもそれに連れて行かれてるんですか、童女が来て知り合いの教授もびっくりだろうなぁ、桃子は少し現実逃避した。


「どうしたのだ先頃から」


桃子は逃避したい元凶ど真ん中の声で現実に戻される。


「貴方絶賛の稀なる気の持ち主に帰る方法を教えてもらおうとしてたんですよ! 私は知らないから!」

「知らんのか!」

「自分だって知らないから私に頼んでるんでしょう!? むしろ神様のくせに自分が知らないこと大凡人が知ってて困らないんですか!?」


桃子の剣幕に神も少し気圧されて後退ずさる。


「グ、グムーッ……、それで、その稀人はなんと?」

「連絡付かないから困ってるんです」

「なんじゃと!? では儂はどうなる! 天界に帰れんではないか!」

「知りませんよそんなの! 神のくせに他力本願なのがいけないんですよ! 貴方は神頼みされる側でしょう!」

「知りませんじゃと!? 儂が天界に帰れんと困るのは地上の衆生しゅじょう共ぞ!?」

「じゃあなんで地上にいるんだよ迷惑だなぁ!」


紡邸のある空間がほぼ外界と隔絶されていてよかった。そうでなければ桃子は、はたから見て一人で喚き散らすヤバい人である。人に見られたら精神疾患で失職である。






 結局どうしようもないので交番まで連れ帰って来てしまった。よっぽど迷子として保護施設に押し付けたかったが、見えてないんじゃ

しかしこの神、来客用の椅子に座って扇風機を独占した挙句、好き放題お茶菓子を漁る。桃子は自分の恨めし気な顔を団扇で扇ぐしかなかった。


「この煎餅、湿気っておるぞ」

「昨日の豪雨の所為ですかね……」

「これ、もちっとマシな神饌しんせんは無いのか」

「生憎神様がいらっしゃるような場所ではないので」

「むーん、こんなのぅ、湿気ったのぅ、安っぽいのぅ、煎餅じゃのぅ」

「……」


有機農法の畑で採れた所為かやたら食べ物にうるさいので、桃子は観念して出前を取ることにした。






「こ、これは……」

「餃子ですよ。昨日蒸し餃子でスカされたので無性に焼き餃子が食べたくなったんです」


出前用の入れ物の中には日本式の薄皮がパリッと焼かれた餃子が二人前。


「存じておる! この儂に餃子とは気が効いておるではないか!」

「? 神様も昨日蒸し餃子だったんですかね?」


まぁそんなことはどうでもいい。桃子は待望の焼き餃子を前に、これ以上の辛抱は出来ない。


「いただきまーす!」


小皿が無いのでタレを上からかけて、まだ少し温かい餃子を一口。


「これこれ! これですよ日本人!」


パリッとした焼き目と、中国式に対して非常に微かに主張する皮のクニッと食感。それを噛み締めるとキャベツのシャキシャキ感が加わり、肉汁と共にニンニクのジャンキーな旨味が溢れ出す。

どれも中国式には無い要素だが、日本人好みにチューニングされた、慣れ親しんだ味。


「あぁ、勤務中でなければ……!」

「儂は勤務中じゃない」

「残念でした。そもそも交番にビールはありません」

「買って来ても良いぞ?」

「勤務中の警官が制服でお酒買いに行って良いわけないでしょう」


桃子が代わりの熱々の玄米茶を湯呑みに注いでいると、


「むっへむっへむっへ!」


神が小袋の胡椒で急にせた。それが桃子を少し驚かせたようで、手元が傾いて勢いよく玄米茶がポットから飛び出し、軽く跳ねたのが制服の胸ポケットに直撃した。瞬間、


「ゲゴッ!」


という悲鳴と共にそこから雨蛙が飛び出した。


「あなや!」

「うわっ、びっくりした!」


床をぺたぺた歩く雨蛙を眺めながら、桃子はぼんやり思い出した。


「そう言えばこの子入りっぱなしでしたか。うーむ、この子を介した通話がまだ繋がってたら紡さんに方法を聞けたんですがねぇ」


桃子が惜しそうに雨蛙を見詰めていると、神はそれを優しく両手で掬い上げた。


「なるほどなるほど、雨蛙を持っておったか」

「雨蛙がどうかしましたか?」

「いや? これはお主の飼いか?」

「いえ、紡さん……も野良をよく使うので誰のでもないかと」

「そうかそうか」


神は蛙を手に持ったまま交番の外に出る。


「おや、どちらへ?」

「お主を見込んでよかったぞ。やはりお主は稀人じゃ」

「えっ?」


神は地面に蛙を下ろすと、懐から笏を取り出した。


「助けてもらい、世話を焼いてもらい、馳走になり、天界に帰る手立てももらった。礼と言ってはなんじゃが、これを進呈しよう」

「笏? こんなの使いませんが」

「儂の笏ぞ? いつか使い道もあろう。では」

「はぁ」


神は何処かへ行こうとして、はたと立ち止まる。


「おぉ、そうであった。世話になったのだ、お主の名を覚えておきたい。なんと申す?」

「沖田桃子、ですが」

「桃の子か、良き名じゃ」

「名乗ったら名乗り返すのがマナーですよ」

「そうであったな。儂は、うむ、人の言うところの『雷神』である」

「雷神?」

「では桃の子よ! 縁あらばいつか!」


雷神はピョンっと雨蛙の上にジャンプする。


「ちょっ!」


慌てる桃子だが、蛙は彼女の予想に反して踏み潰されることはなく、背中に雷神を乗せてそのまま、


ピョーンと青空の向こうまで跳んで行ってしまった。


「え、ええぇぇ〜〜〜!!??」


驚きのあまり桃子は、浮かんでいる雲の一つが雷雲のように黒く濁るのを、ぼんやり見ているしかなかった。

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