三.喋る人参

 おかしい。明らかにおかしい。こんな品種の人参は知らない。そもそも行きはこんな植わってなかった。桃子は脳内に浮かぶ疑問を一つ一つ精査した結果、無視するという結論に至ったのだが、


「ぬわーっ! 誰ぞ、誰ぞあるっ! むっ! このまれなる気は!? そこにおるのは誰ぞ!」


桃子は周囲を見回してみたが、自分の他には特に誰もいない。つまりこれは桃子ご指名である。しかしどうやら相手は桃子を気配で感じただけらしく、見えているわけではないようだ。つまり、

こっそり立ち去るに限る。


「待てぃ! 行くな! 行くでない! そこにおるのは分かっておるぞ! 助けたもう! 助け給う!」

「チッ」


一応助けを求めている市民(?)がいるからには警察官として無視することは許されない。桃子は今程自分の仕事が恨めしいことはなかった。あと先程は顔も見ずにおっさんと判断したけど聞こえてくる声はやっぱりおっさんだ。

その今は半端に殺虫ジェット食らった漆黒のGのようにバタつきながら喚くコスプレおっさんも放っておけばいつか窒息してしまう。そうなったら大問題なので桃子は手早く事を治めに掛かる。


「大丈夫ですかぁ?」

「おお! 何やらひっくり返っておる! 疾く起こさせ給う!」


正直倒立の要領で頭を浮かせば自力で脱出出来るのではないかと思わなくもない桃子だが、ここは素直に手伝ってやることにする。


「はいはい。助けますからちょっと足バタバタするのやめていただけます?」


桃子の声に(頭が埋まっているのによく聞こえるものだ)おっさんの足がピタッと止まる。こんな爪先から頭の天辺(見えてない)まで何一つ常識が無いシチュエーションの主のくせに、案外聞き分けは良いようだ。桃子はその両足を脇の下でホールドすると、


「大きな、か、ぶぅ!」


全身の力を込めて引っ張る。するとズボッと小気味良い感触と共に、髭根モジャモジャの大型人参が収穫された。


「ぶわーっ! ぶはっぶはっ! ぜーぜー……。助かったわい……」


青森のみたいな顔したおっさんは歩道に座り込み、髭に着いた土を落としながら桃子の方を振り返る。


「ところでお主。さすが稀なる気の持ち主、儂が見えておるのだな?」

「なんですかそのファンタジーでこすられ過ぎてそろそろ本体より付いた手垢の方が分量多そうな導入は……」

「ふぁん……?」

「あぁいえ、見えてます、見えてますよ。チラとも見たくはなかったんですが」

「そうかそうか、ふむ……」


おっさんは桃子の皮肉がちっとも届いていない様子で、笏を額に当て考える。


「では私はこれで。今度はせめて足から埋まって下さいね」


桃子が自転車に跨ろうとすると、


「ま、待てぃ! お主に頼みたき儀がある!」


おっさんは縋るように四つん這いで自転車のペダルを掴む。桃子はさすがに手ごとペダルを踏みはしなかったが、ありったけ冷たい目で貴人コスプレ奇人を見下ろす。


「えぇ〜、勘弁して下さいよ。私人参嫌いなんです」

「人参!? 申す意味は分からんが、稀なる気を持つお主を見込んでのことぞ!」

「はぁ。私そんなにすごいサムシングがあるんですか?」

「うむ。故に儂が見えておるのだ」

「いや、そもそも平安コスプレ人参が見えること自体すごいんですか? 平安コスプレ人参本人の方がヤバくないですか?」

「こす……? よく分からぬがとにかく、神である儂を見聞きし、触れて助けられるなど大凡人おおよそびとではなせぬわざよ」

「ふ、ふ〜ん……」


そう言われるとまぁ悪い気はしない。本物の神様が人参畑で収穫されるならの話だが。神様の存在自体に関してはこの夏からの一連の出来事ですっかり疑わなくなってしまった桃子であった。


「そうですか、そこまで言うなら……、待てよ? 貴方、一体いつからそこに?」


気分良くなりかけた所で、桃子は一つ引っ掛かりを覚えた。


「いつから? 昨日からずっとであるが?」


そりゃ大変だ、という感想も頭をよぎったが、重要なのはそこではない。


「昨日って……。私さっきもここ通りましたけど、その時は貴方なんか見ませんでしたよ」

「何?」

「稀なる気とやらにそんなバイオリズムあるんですか?」

「ふむ……」


人参の神(暫定)は少し黙って桃子を検分する。そして紡から預かった荷物が入っている自転車の前籠に目を留めると、


「おや、こんな所に稀なる気が。なるほど、この荷物に稀なる気が込められておったのだな。あまりに力が強いものだから、持ち主が大凡人でもアテられて儂が見えるようになったのだな。うん」

「……」

「うん……」

「……」

「……」

「じゃあさよなら」

「待てぃ! 待たれぃ! 待って!」


ペダルに足掛けて立ち去ろうとする桃子の自転車のスタンドを神が握り締める。


「この際大凡人でよいから助けてくれぃ!」

「その大凡人っていうのやめて下さい! なんか傷付くんで!」

「じゃ、じゃあ稀人まれびと! 稀人殿っ!」

「その掌返しも嫌です!」


桃子は無理矢理自転車を漕ぎ出そうとするも、神が重石になって動けない。


「あぁもう! 離して下さいよ! 私仕事があるんです!」


桃子が一旦自転車を降りて綱引きみたいな引っ張り合いの構図を取ると、神はグフフと笑い出した。


「素直に従った方がお主の為ぞ? 何せ他人に儂の姿は見えておらぬ。つまりこうやって拘泥しておればおる程、お主の姿は一人で不審な動きをする奇人狂人のそれよ」

「なっ!」

「さぁ、そうなりたくなければ儂に協力せい! さすればごく自然に振る舞える範囲の干渉で済ましてやる!」

「この外道!」


神様に会うのはこれで二度目だが、どいつもこいつも碌な性格の奴がいない……、桃子は世知辛い気持ちで項垂れた。

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