『しかしこの一歩が帰る場所を守るための一歩であることを、帰りたくなる幸せな場所があるという誇りを知っていれば、自おのずと足取りに力が入るのだという気持ちが』
この言葉、何という……名言。
私も息子が幼い時に、この感情を経験しています。だから、こんなにも胸を打つのでしょうね。
……え?いつの間に人間ドラマ感動巨篇になったのですか?(褒め言葉)
桃子も紡の行動も、正解で間違いだと思います。相反する正義とでも言いましょうか…… この考え方、大好物です。
次話、一体どうなるのか? 良いところでお預けとは、なかなかの『S』ですね(笑)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
未だ我が子が居ないなりに、幼き日の父の顔を
思い出して推し測ってみました。
現役父親であらせられるなかとさんの
お墨付きを得られたので胸を張りたいと思います。
この作品は最初から感動虚編ですよ?
第一話で桃子が落雷見せられるシーンなんて泣けるでしょ?
本当に、ここに正解と言えるものはないのです。
あるのは、ただただ愛情と愛情だけです。
いくつもの愛情が縺れる話の行く末は次回までお預け、
ちなみに桃子のイニシャルはMです(そうじゃない)。
水棲虫。
ごきげんよう、もう、水棲虫。さま、泣かしちゃいやです。
可愛い桃子ちゃん、理屈で判っていながら、どうしても情を捨てきれなかったんですね。
確かに、「お布団に入って考える理論」、よく判ります。
それでも、やっぱり、ぬーちゃんとの触れ合いの日々、それをなかったことにはしたくはなかったのでしょうね。
なかったことにする必要はない、ただ、胸の内にその愛らしい姿を留めて、やがてその日々すら思い出として積み重なっていくことで、心に空いた穴を塞ぐ。
それが「おとな」のやり方なのでしょうが、桃子ちゃんには出来なかったのですね(だからと言って彼女を責める言葉を、私は持っていません。これもまたおとなになりきれていないということなのでしょうが)。
そして、交番に現れた紡さん。
彼女はきっと、己の責任とすべき事を理解し、理解した上で実行できる「おとな」として桃子ちゃんの前に現れたのでしょう。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ご機嫌よう、いらっしゃいまし。
泣いちゃえ泣いちゃえ! まぁ人を泣かす趣味は
ございませんけども。
真っ直ぐな愛情と真っ直ぐな愛情を交わした分だけ
いざなると固い楔に姿を変えます。甘美な楔に。
その楔を外し、後に空いた差し込みの穴を
仰る通り思い出にして埋めていくものなのでしょうが、
もちろん桃子がそんな聞き分けのいい「おとな」なわけは
ありません。
そして世の中には、ならなくていい「おとな」があります。
愛執を簡単に切り捨てたり、それを責める言葉をわざわざ
見つけられるような。
桃子とぬー、それを見守る人達の物語を、
おだ様もどうかもう少し見守ってやって下さい。
水棲虫。
どっちの気持ちもわかっちゃうから、もう読んでて辛いなあ。そして紡さんが怖い。怒涛の「ぬ」のシリアスな笑いの文字面に突っ込む気力もない……。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
本当に、みんな愛情が深いだけですからね。
それが喜びにも悲しみにも怖さにもなります。
果たして「ぬ」にして良かったのか、
雰囲気壊れてしまうのか。私には分からぬ。
辺理可付加