七.非情と温情、そして感情

「そこの道を曲がってぇ」


車の助手席でぬーがヘッドライトに照らされた左の脇道を指差す。少し前まではこの時間帯も明るかったのに、もうすっかり秋になっている。


「はいはいこっちの道」


運転しているのは桃子で、車は桃子(の父)の車。本来ならあの後すぐ「ぬ」の生まれた場所へ向かう予定だったのだが、


「私は保護者として絶対に付いて行く義務があります!」


と桃子がゴネたので彼女の退勤後に四人が乗れる車を用意してのことになった。


盆地に住んでいると山自体は珍しくないが、それは遠く近くから眺める場合の話。実際に入って行くのはまた別で、それが夜の、しかも田んぼがあちこちに見える田舎道を抜けながらとなると、ペーパードライバーとしての怖さと雰囲気的な怖さがある。

しかも道案内をしているのが妖怪と思えば、「ぬ」のことを信頼していても言い知れぬ空気感が漂う。


「これが妖気とでも言うんでしょうか……」

「ぬ?」

「なんでもないですよ」


桃子は「ぬ」の頭にポンポンと触れる。それに対して「ぬ」はキャッキャと笑う。

そして後部座席の、秋物ジャケットに身を包んだ紡とつばきは終始一言も発さなかった。






 山道をずんずん登って行くと途中で立ち入り禁止の柵が現れた。


「おや、進めなくなってますよ」


桃子が車を停めると紡が降車して柵に近付いていく。つばきもスルッとそれに付いて行くので、桃子と「ぬ」も慌てて降車する。


「紡さん?」

増田ますだ林業……。どうやらこの先は伐採中みたいだね」

「なんと。工事中ですか」


紡は「ぬ」の方を振り返る。


「君が生まれた所、木が切られてた?」


「ぬ」は両手を握って胸の前に持ってくると、コクコク頷く。


「切られてた切られてた! 何本も切られてて、横に並べてあった!」

「そっかそっか。君が生まれた時既に切られて横並び?」

「うん!」

「よしよし、よく分かった。ありがとう」

「偉い? 褒める?」

「褒めて遣わす」


紡は「ぬ」の頭を撫でる。


「何が分かったんです?」

「この子が釣瓶落としなのに五体満足な理由」

「と言うのは」


紡は「ぬ」の頭を撫でるのを止めて腕を組んだ。


「釣瓶落としは木の下に死体を埋めることで産まれると言われている。木が土から水分や栄養を吸い上げるように命を吸い上げて、上に登ったのが釣瓶落としとして落ちて来るとも」

「えっ?」


紡は「ぬ」をじっと見つめる。その未熟さを確認するように。


「この子はその死体が釣瓶落としになって行く途中で宿の木を切り倒されてしまったから、中途半端な状態で止まってしまったんだ。釣瓶落としであって釣瓶落としでない存在に」

「待って下さい。死体が、と言うことは……」


桃子が「ぬ」を見て紡を見る。しかし紡は桃子に背を向けて何も答えない。そのまま


「ねぇ君。君が生まれた所まで案内してもらえるかな?」


「ぬ」の背中を軽く押して行く。


「ちょちょまっ! 待って下さい! ここから先は入れませんよ?」

「迂回すれば入れるよ」

「そういう意味じゃなくてですね!」

「なぁに、見つからなきゃなんてことは無い、何も無い」

「警察官の前で言いますか……」

「ほら、先導して」

「はぁい!」


紡に促されて「ぬ」が無邪気に柵を回り込んで向こうに行ってしまう。


「あっ、もう……」


桃子がそれに続いて柵の横に回ろうとした所で、



紡にぐっと腕を掴まれた。



「なっ」


桃子が何か言う前に紡は桃子の口を手で覆う。


「!? !?」


混乱する桃子に紡は、無言のジェスチャーで車に乗るように促す。取り敢えず大人しく車に向かうと、紡が運転席に入り、桃子はつばきに手を引かれて後部座席に入った。


「な、なんなんですか!? ぬーが行ってしまいますから手短にお願いしますよ!」


それに対して紡は振り返らない。


「このまま行かせよう」

「はぁ!? どういうことですか! 説明して下さいよ!」


桃子が激しい剣幕で紡の肩を掴むと、紡もぐるりと振り返る。


「っ!」


仕事柄荒事も経験してきた桃子でも怯む程の睨み付けるような顔。

あるいは、いつも見ている何処かヘラヘラしたような余裕そうな紡からは想像だにしない顔。

彼女はその表情通りの冷たさの裏に逆立った感情を隠しているような声で告げる。



「釣瓶落としは人間を喰らう妖怪だ。これ以上説明はいる?」



「なっ……」

「実際あの子がどの程度まで釣瓶落としになっているのかは分からない。あれが安全と見るのは間違ってる」

「だからってまさか、山に置き去りにするとでも!?」

「なら今すぐ追い掛けて調伏ちょうぶく、いや、ぶっ殺してやろうか?」

「なんですって!?」


桃子の顔にサッと血の色が増す。彼女は目を血走らせながら紡の襟を掴む。


「いくら紡さんでも許せることと許せないことが……!」


吠える桃子に反射するように紡も腕を掴み返す。


「人喰い妖怪だぞ!? 本来なら安全の為に放置して置けない存在だ! 熊が人里に現れれば人間はマタギを呼んで射殺する! それが人の形をしたら可哀想か!? 自分の連れ合いならお目溢しか!? 君の思い入れは結構だが、それで人が喰われるかも知れないんだぞ!? 君は市民を守る警官じゃないのか! お前は一体どっちの味方だ!!」

「このっ……!」

「もう止めて下さい!」


つばきが小柄に似合わない火事場の馬鹿力で二人の腕を引き剥がす。


「紡さん! いくらなんでもそんな言い方無いです! 思い出があって、それもこんな話を急に聞かされたばかりの桃子さんの気持ちになって下さい!」


つばきは引き剥がした桃子の手を両手で包む。


「でも、桃子さんもどうか分かって下さい。本当に、本当は置き去りだって危ない判断です。精一杯譲歩した、有情うじょうな、甘い判断なんです。そして何より……」


桃子の手に掛かる圧と熱が柔らかく増す。


「紡さんは言いませんけど、桃子さんの為なんです。一番危ないのは、真っ先に食べられてしまうかも知れないのは桃子さんなんです……。それでもいいんですか?」

「それは……」

「それが嫌だから紡さんは気が立っているし、わざわざあんな言い方をするんです。本当に貴方が心配だから。それに」


つばきは一呼吸置いた。


「私も、嫌です……」


つばきが俯くのを見ると、桃子ももう何も言えなかった。二人して俯くしかない状況をルームミラーで確認した紡が呟く。


「もう行ったな」


「ぬ」の姿が十分見えなくなったのを確認してから紡は車のエンジンを入れる。


「もしあの子が戻って来ても近寄れないよう、後でお札あげるからちゃんと交番に貼るんだよ」


その声は、ハンドルを握る手と同じく震えているようにも聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る